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1988年のロッテオリオンズ

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1988年のロッテオリオンズ
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1988年のロッテオリオンズでは、1988年シーズンのロッテオリオンズの動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

この年のロッテオリオンズは、有藤道世監督の2年目のシーズンである。また「10.19」として知られる近鉄バファローズの優勝を阻止したダブルヘッダーが起こったシーズンである。

概要

新外国人ビル・マドロックを4番指名打者に据え、4月は10勝7敗と順調に滑り出したが、5月以降は負け越しが続く苦しいシーズンとなった。 投手陣は荘勝雄(13勝14敗、防御率4.12)、園川一美(10勝15敗、防御率4.34)、小川博(10勝9敗、防御率3.40)、村田兆治(10勝7敗、防御率3.89)の先発4本柱が2桁勝利を上げ、移籍2年目の守護神牛島和彦(1勝6敗25セーブ、防御率4.47)も前年より防御率悪化してやや不安定だが2桁セーブを上げた。一方で、チーム防御率4.38はリーグワーストで守り勝つチームとは言い難かった。 打撃陣は、マドロックが期待した程の打棒を見せず、9月以降は6番に降格となった。右翼手高沢秀昭(打率.327、14本塁打、64打点)が首位打者、三塁手西村徳文(打率.256、3本塁打、38打点)が盗塁王獲得と、個々の選手の能力は高かったが、狭い川崎球場を本拠地にしてのチーム100本塁打はリーグワーストであり、長打力不足は如何ともし難いものがあった。 この年のロッテは近鉄に相性が悪く、シーズン終盤に同一カード9連敗を喫し、最後にやっと引き分けに持ち込んだのが伝説の10.19ダブルヘッダー第2試合である[2]。 終わってみると、首位西武ライオンズから21ゲーム差、借金20の最下位となり、マドロックはこのシーズン限りで契約解除された。 コーチ兼任となった山本功児は44試合出場、打率.226、0本塁打、5打点に終わり、このシーズン限りで現役引退した。

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チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/8, 5/1 ...

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さらに見る 順位, 4月終了時 ...

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1988年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位西武ライオンズ73516 .589優勝
2位近鉄バファローズ74524 .5870.0
3位日本ハムファイターズ62653 .48812.5
4位阪急ブレーブス60682 .46915.0
5位南海ホークス58711 .45017.5
6位ロッテオリオンズ54742 .42221.0
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オールスターゲーム1988

さらに見る ファン投票, 監督推薦 ...

できごと

  • 10月19日 - 対近鉄ダブルヘッダー(川崎)で、第1試合に敗れた後、第2試合を引き分けとし近鉄の優勝を阻止(10.19)。

選手・スタッフ

[10]

表彰選手

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ドラフト

さらに見る 順位, 選手名 ...

脚注

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