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1994年の広島東洋カープ
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1994年の広島東洋カープ(1994ねんのひろしまとうようカープ)では、1994年の広島東洋カープの動向をまとめる。
この年の広島東洋カープは、三村敏之監督の1年目のシーズンである。
概要
19年ぶり最下位の責任をとって1993年のオフに山本浩二前監督が辞任すると、前年まで二軍監督を務めた三村敏之が監督に就任。三村監督は就任後、かつての同僚である山本一義をヘッド兼打撃コーチに招聘するなど、コーチ陣を一新。下馬評では前年最下位だったこともあり前評判は高くなかったが、投手陣は黄金時代を支えたエースの北別府学と川口和久、この年ローテ入りの紀藤真琴、先発・リリーフ両方こなせる佐々岡真司が控え、打撃陣でも不動の切り込み隊長・野村謙二郎や4番の江藤智を軸に、正田耕三・前田智徳・緒方孝市など打てて走れる選手を多く擁し、3年ぶりの優勝が期待された。しかし巨人との開幕戦でエース北別府がメッタ打ちされて大敗すると、続く開幕2戦目も川口がヘンリー・コトーに浴びた本塁打からKOされるなど投手陣が崩壊。さらにエース佐々岡がヤクルト戦で死球を受けたジェラルド・クラークに暴行され(クラークは1週間の出場停止)、大黒柱の北別府が右ひじ痛を訴えるなど故障者が続出したこともあり6月まで最下位を独走し、世間から「広島の優勝はおろかAクラスは無理」の声が上がった。しかし、4番の江藤やこの年レギュラー定着の金本知憲などといった主軸の活躍で7月からの2か月間で33勝17敗と大きく勝ち越して借金を返済すると、9月初めには首位独走の巨人が夏場から失速したこともあって1.5ゲーム差に急接近。最下位からの逆転優勝が期待されたが9月後半以降は中日に抜かれ、三村監督の1年目は3位で終了した。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 70 | 60 | 0 | .538 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 69 | 61 | 0 | .531 | 1.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 66 | 64 | 0 | .508 | 4.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 62 | 68 | 0 | .477 | 8.0 |
4位 | 阪神タイガース | 62 | 68 | 0 | .477 | 8.0 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 61 | 69 | 0 | .469 | 9.0 |
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オールスターゲーム1994
→詳細は「1994年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手
この年の広島は監督推薦による選出のみ。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1994年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 色付きはの選手は逆指名による入団
出典
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