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1994年の全日本ロードレース選手権
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1994年の全日本ロードレース選手権 (1994ねん の ぜんにほんろーどれーすせんしゅけん) は、1994年(平成6年)3月13日の鈴鹿サーキットで開幕し、同年10月30日のMFJグランプリ (筑波)で閉幕[1]した1994年シーズンの全日本ロードレース選手権である[2]。
1994年の全日本ロードレース選手権 | |||
前年: | 1993 | 翌年: | 1995 |
1994シーズン
スーパーバイク
2ストローク500ccの純レーサーマシンで争われてきたGP500クラス休止が決定し、全日本ロードレース選手権の最高峰クラスは本年度より新設されたスーパーバイククラスとなった初年度のシーズンである。マシンレギュレーションはFIMのスーパーバイク世界選手権に準じ、市販車両をベースとしてレギュレーションで認められた範囲で性能を高めた車両で争われる[3]。
開催方式もスーパーバイク世界選手権に倣い、第3、7、10戦のSUGO大会と、第8戦鈴鹿大会にて、全日本選手権では初の試みである決勝日に2回の決勝レースを行う1day2ヒート制で開催された(2ヒート導入はスーパーバイククラスのみ)。
スーパーバイククラス・初代チャンピオンは吉川和多留(ヤマハ)が獲得した[4]。優勝回数で最多の6勝を挙げた青木拓磨(カップヌードル・ホンダ)だったが、4度のノーポイント(吉川は1回のみ)が響き5ポイント差で2位となった。
250cc
ホンダワークス・HRCの宇川徹(NSR250)が開幕4連勝、全11戦中6戦で優勝する好成績で2年連続タイトルを獲得。ランキング2位にはスズキの沼田憲保が躍進した。沼田はRGV-Γ250で2勝を挙げたほか、2位2回、3位2回の成績で表彰台の常連となった[5]。
一方のヤマハは、難波恭司のランキング8位が最上位でメーカーとしてシーズン未勝利で終えた。同年の世界選手権 (WGP250)においても前年世界チャンピオンとなった原田哲也がTZMで成績が下降し、ヤマハにとって苦しいシーズンだった[6]。
日本メーカーに挑むイタリア製・アプリリア・RSV250を採用するチーム・デイトナの宮崎敦はランキング4位(最上位2位)と常に上位に位置し、WGP250でのアプリリア同様ホンダ、ヤマハと互角の戦闘力を見せた。
同年注目されたルーキーは、A級昇格1年目の17歳・加藤大治郎だった。チーム高武RSCより全日本選手権にデビューし、2戦目のMINE大会では市販レーサーRSでポールポジション獲得、レース終盤までトップを走行するなど活躍。第9戦TI英田大会で初優勝を挙げた[7]。また、藤原克昭もホンダ・RSで第5戦富士優勝、年間ランキング3位に入る好走を見せた。
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スケジュールおよび勝者
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シリーズポイントランキング
- 2ヒート制の大会では、各ヒートの順位に対してハーフポイント(1位10点、2位8.5点、3位7.5点、以下15位0.5点まで)の得点が与えられる。
- 第11戦(最終戦)MFJ-GPでは特別ポイントとして入賞者に従来のポイント+3ポイントが与えられる。
スーパーバイク
- 太字はポールポジション。
GP250cc
- 太字はポールポジション。
- Team高武RSCの加藤大治郎は多くの場合No.74で参戦だったが、第1戦鈴鹿でNo.79、第2戦MINEでNo.39と序盤は会場によって異なるNo.で出走した。
GP125cc
- 太字はポールポジション。
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関連項目
脚注
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