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レッドブル・ザルツブルク

オーストリアのサッカークラブ ウィキペディアから

レッドブル・ザルツブルク
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FCレッドブル・ザルツブルクFC Red Bull Salzburg)は、オーストリアザルツブルクをホームタウンとしているサッカークラブである。オーストリア・ブンデスリーガに加盟し、SKラピード・ウィーンFKアウストリア・ウィーンと共にリーグを代表する強豪である。 スポンサーの制限により、クラブはFCザルツブルク(FC Salzburg)としても知られており、UEFAの大会でプレーする際には修正されたエンブレムと共に使用している。

概要 レッドブル・ザルツブルク, 原語表記 ...

クラブは1933年にSVアウストリア・ザルツブルク(SV Austria Salzburg)として設立され、幾度の名称変更の後、2005年にレッドブルに買収されると、名称とチームカラーを変更した。この変更により、チームのサポーターの一部が新しいクラブ、SVアウストリア・ザルツブルクを設立した。

2017年に国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)が発表したクラブ世界ランキングで10位にランクされた[2]

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歴史

要約
視点

1930年代 

1930年代まで存在していたFCラピード・ザルツブルクとFCヘルタ・ザルツブルクの合併により1933年9月13日にSVアウストリア・ザルツブルク(SV Austria Salzburg)として創設された。同じくザルツブルクを本拠地とするSAK 1914ザルツブルクの陰に長年隠れていたが、第二次世界大戦後に徐々に頭角を現すようになり[要出典]、1953年に1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガ(当時のリーグ名は「Staatsliga」)に昇格した。

1960年代-1980年代

1971年にはオーストリア・ブンデスリーガ(以下「リーグ戦」と表記)とミトローパ・カップで準優勝した。一方で、1950年代には1度、1960年代には3度、1970年代と1980年代に1度ずつ2部リーグへの降格も経験し、特に1960年代はオーストリアを代表するエレベーターチームの1つであった。[要出典]財政的な理由から1985年には同じくザルツブルクを本拠地とし、当時はSVアウストリア・ザルツブルクよりも好成績を収めていたライバルのSAK 1914ザルツブルクとの合併を自ら希望するものの、先方に断られるなどクラブの将来性が見えず、クラブの存続自体が長年に渡り危ぶまれていた。[要出典]

FKアウストリア・ウィーンラピード・ウィーン、そしてFCヴァッカー・インスブルックの強豪クラブがリーグ優勝やカップ優勝を重ねる中、SVアウストリア・ザルツブルクはオーストリア・ブンデスリーガの弱小クラブの一つであった。[要出典]

ちなみに1973年よりスポンサー名がクラブ名に付くようになり、クラブ名は"SV Gerngroß A. Salzburg"(1973-1976)、"SV Sparkasse Austria Salzburg"(1976-1978)、"SV Casino Austria Salzburg"(1978-1997)、"SV Wüstenrot Salzburg"(1997-2005)と変更された。

1990年代

長年スポンサーであったオーストリア・カジノ社が積極的に投資するようになり、ヴォルフガング・ファイアージンガートーマス・ヴィンクルホーファーハイモ・プファイフェンベルガーヘリベルト・ヴェーバーオットー・コンラードなど数多くのオーストリア代表選手が所属するようになる。また、オリバー・ビアホフ(後にドイツ代表に選出)が1991年に入団してリーグ得点王になった。1992年および1993年にはオーストリア・ブンデスリーガで準優勝、1994年にオットー・バリッチ監督の下、リーグ優勝を果たした。

UEFAカップ1993-94では決勝に進出し、イタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノに敗れたが、準優勝の成績を残した。

1994-1995のシーズンで2年連続のリーグ優勝。UEFAチャンピオンズリーグ 1994-95にも出場し、グループリーグでオランダのアヤックスにホームとアウェーで引き分け、ギリシャのAEKアテネには勝利するが、イタリアのACミランに敗れて、同勝ち点ながら得失点差でグループリーグで敗退した。

1995-1996シーズンはクラブ内の権力争いもありチームがなかなかまとまらずリーグ戦で8位に終わった。

1996年の夏には数多くの主力選手を放出、中心選手であったヴォルフガング・ファイアージンガーがボルシア・ドルトムントへ、ハイモ・プファイフェンベルガーがヴェルダー・ブレーメンへ、そしてオットー・コンラートがレアル・サラゴサへ移籍したが、レネー・アウフハウザーロベルト・イベルツベルガーゲルノット・プラスネッガーなど若手も育ち、リーグ戦で3度目の優勝を果たした。

1998年以降はリーグ戦、オーストリア・カップ、そしてヨーロッパカップでも結果を残す事が出来ず、オーストリア・ブンデスリーガでは優勝争いに絡むどころか、2部降格の危機もあった。

2000年代

2000年以降もオーストリア・ブンデスリーガで6位、6位、3位、7位、9位と目立った結果を残す事が出来ず、オーストリア・カップでも当時オーストリア2部に属していたFCケルンテンザンクト・ペルテンに敗北するなど1990年代の黄金時代を知るザルツブルク・サポーターの期待を裏切り続けた。また財政上も非常に厳しい時期が続き、クラブは破産寸前の状態となり、プロサッカーの維持のみならず、クラブの存続自体が危ぶまれていた。

2005年、レッドブルなどを取り扱うオーストリアの飲料メーカーのレッドブル (企業)(以下「レッドブル社」)がクラブを買収。名称が「レッドブル・ザルツブルク」に変更された。

2005-06シーズンはFCヴァッカー・インスブルックハンブルガーSV1.FCカイザースラウテルンなどの監督を務めたクルト・ヤーラが監督に就任。

バイエルン・ミュンヘンから元ドイツ代表のトーマス・リンケアレクサンダー・ツィックラーボーフムからスロベニア代表のアレクサンデル・クナウス英語版、チェコ代表のヴラティスラフ・ロクヴェンツなどが加入、リーグ戦で準優勝を果たす。しかしシーズン終了後、選手の移籍金問題でフロントと対立したためクルト・ヤーラは監督を解雇される。

2006年の夏に元イタリア代表監督のジョバンニ・トラパットーニと元ドイツ代表主将のローター・マテウスがそれぞれ監督とヘッドコーチに就任。また、ニコ・コヴァチ(元バイエル・レバークーゼンハンブルガーSV、バイエルン・ミュンヘン、ヘルタ・ベルリン)、ヨハン・フォンランテン(元PSVアイントホーフェンNACブレダブレシア)、ティモ・オクス(元1860ミュンヘン)、レモ・マイヤー(元FCルツェルン、1860ミュンヘン)、ホルヘ・ヴァルガス(元レッジーナエンポリリヴォルノ)、クリスティアン・ティファート(元VfBシュトゥットガルト)、マークス・シュタインヘーファー(元バイエルン・ミュンヘン・サテライト)などを獲得。2006年12月にガンバ大阪宮本恒靖浦和レッズ三都主アレサンドロを獲得。オーストリア・カップでは準決勝に進出し、リーグ戦は10年ぶりとなる4度目のリーグ優勝を果たした。

UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07は予選3回戦でスペインバレンシアCFに敗れた。

2007-08シーズンはリーグ戦で準優勝の成績を残した。UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08は予選3回戦でウクライナシャフタール・ドネツクに敗れた。

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2007年6月12日、様々な見解の違いから(公式ホームページ日本語版)[要出典]、ヘッドコーチのローター・マテウスを解任した。

2008-09シーズンよりアヤックス・アムステルダムFCポルトAZアルクマールなどで指揮を執ったオランダ出身のコー・アドリアーンセが監督に就任した。

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バイエルン・ミュンヘンとの提携関係

2005年より2012年までドイツ・ブンデスリーガFCバイエルン・ミュンヘンと提携関係を結んでいた関係から多くの元FCバイエルン・ミュンヘンの選手・スタッフがレッドブル・ザルツブルクに所属し深い関係を築いていた。当時のクラブスポンサーもFCバイエルン・ミュンヘンと同じアディダスアウディであった。また、「皇帝」として知られるフランツ・ベッケンバウアーのネットワークもあり、数多くの元2006 FIFAワールドカップの実行委員会のメンバーがクラブマネジメントに携わっていた。

元FCバイエルン・ミュンヘンのクラブ関係者

2006 FIFAワールドカップ実行委員会のクラブ関係者

  • ジェネラルマネージャーヘルムート・ザンドロック
  • サッカー部門取締役マークス・ヘーフレ
  • チームマネージャーマーク・ラング

さらにトーマス・リンケアレクサンダー・ツィックラーニコ・コバチマークス・シュタインヘーファーと往年のバイエルン・ミュンヘンの選手がレッドブル・ザルツブルクに所属していた。

2006-2007年シーズンには元バイエルン・ミュンヘンの名選手ローター・マテウスがヘッドコーチを務めていたが、2007年6月12日に解任された。後任のトルステン・フィンクも元バイエルン・ミュンヘンの選手であった。

また、日本人選手獲得の原動力となったスポーツディレクターオリヴァー・クロイツァーも元バイエルン・ミュンヘンのDFとしてドイツ・ブンデスリーガ優勝やUEFAカップ優勝などの実績を残している。

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レッドブル社のサッカークラブへの投資

レッドブル社は以前から、モータースポーツやエクストリームスポーツに対して資本提供する事が多かったが、FCレッドブル・ザルツブルクの前身となったSVアウストリア・ザルツブルクの経営権を取得した以外にも、2006年にメジャーリーグサッカーのメトロスターズを買収、ニューヨーク・レッドブルズとして現在でも運営している。

その他にもレッドブル・グループではドイツ・ブンデスリーガRBライプツィヒオーストリア2部FCリーフェリング、そしてレッドブル・ブラジルを経営している。

また、2007年10月からガーナレッドブル・ガーナを経営していたが、2013年に経営権を別の運営会社に譲った。しかし新たに命名された「West African Football Academy」とは提携関係を結んでいる。

RBライプツィヒとの関係

2016-17シーズンにレッドブル・ザルツブルクはオーストリア・ブンデスリーガを優勝、RBライプツィヒはドイツ・ブンデスリーガを2位になり、共に2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。しかし、チャンピオンズリーグを主催するUEFAの規約で「同一の出資者または個人が運営する2つのクラブは同時に出場することができない。」とされているため、RBライプツィヒがCLに出場できない可能性があると報じられた[3]。しかし、UEFAは両クラブのCL出場は規約に抵触しないとして出場を認めた[4]

ラルフ・ラングニックは両クラブのスポーツディレクターを務めていたが、2015年にRBライプツィヒのSD職に専念することになったほか、レッドブルグループのサッカークラブを統括する役職にRBライプツィヒのCEOが就いていたが、2017年からRBライプツィヒに専念することになるなど、両クラブの独立性を高めるための分離が図られた[5]

レッドブル・ザルツブルクに所属する選手がライプツィヒにグループ内移籍するケースが多くみられる[6]。2016年夏にはナビ・ケイタベルナルドらがRBライプツィヒに移籍した。2019年から過去7年間で18名の選手がレッドブル・ザルツブルクからRBライプツィヒに移籍している[7]

2018-19シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは、両クラブがグループリーグ同組となり直接対決が実現した。2018年9月20日、RBライプツィヒのホームで行われた試合は3-2でアウェーのレッドブル・ザルツブルクが勝利し[8]、11月29日のレッドブル・ザルツブルクのホームでの試合も1-0でレッドブル・ザルツブルクが勝利した[9]

レッドブル社と一部のサポーターの対立

タイトル

国内タイトル

オーストリア・ブンデスリーガ1部

  • 優勝 17回 1993-94, 1994-95, 1996-97, 2006-07, 2008-09, 2009-10, 2011-12, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2018-19, 2019-20, 2020-21, 2021-22, 2022-23
  • 準優勝 8回 1970-71, 1991-92, 1992-93, 2005-06, 2007-08, 2010-11, 2012-13, 2023-24

オーストリア・カップ

  • 優勝 8回 2011-12, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2018-19, 2019-20, 2020-21, 2021-22
  • 準優勝 5回 1973-74, 1979-80, 1980-81, 1999-00, 2017-18

オーストリア・スーパーカップ

  • 優勝 3回 1994, 1995, 1997

エアステリーガ(オーストリア2部リーグ)

  • 優勝 2回 1977-78, 1986-87

オーストリア・室内サッカーカップ

  • 優勝 1回 1999

国際タイトル

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過去の成績

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欧州の成績

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現所属メンバー

2023年9月2日現在[10]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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監督
  • オランダの旗 ペピン・リンダース

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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歴代監督

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歴代所属選手 (SVアウストリア・ザルツブルク時代)

GK

DF

MF

FW

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歴代所属選手 (FCレッドブル・ザルツブルク時代)

要約
視点

GK

DF

MF

FW


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脚注

外部リンク

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