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三条西公条
戦国時代の公卿、歌人、和学者。三条西実隆の次男。正二位・右大臣。『細流抄』『明星抄』など。三条西家5代 ウィキペディアから
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三条西 公条(さんじょうにし きんえだ)は、戦国時代の公卿・歌人・和学者。内大臣・三条西実隆の次男。官位は正二位・右大臣。称名院と号する。
経歴
兄・公順が出家したために[1]次男ながら家督を継ぎ、2歳で叙爵して侍従に任じられる。明応6年(1497年)12月に元服・加冠した後、永正2年(1505年)5月蔵人頭、永正4年(1507年)4月参議、永正8年(1511年)10月権中納言を歴任し、大宰権帥や神宮伝奏を経て、永正18年(1521年)4月権大納言に昇進した。
大永6年(1526年)1月正二位に叙され、天文10年(1541年)1月内大臣、さらに天文11年(1542年)閏3月右大臣に任じられるが、天文12年(1543年)7月57歳で致仕、天文13年(1544年)2月京都二尊院で出家、法名を仍覚という。永禄6年(1563年)12月2日に薨去。享年77。二尊院に葬られた。
父・実隆から『源氏物語』の奥義を継承し、『明星抄』などの注釈を表した他、享禄元年(1528年)から翌年にかけて後奈良天皇に『古今和歌集』を進講するなど、当代一流の文化人として重用された。著書には、古典の注釈書『伊勢物語抄』『百人一首抄』、紀行文に『高野山参詣記』『吉野詣記』『三塔巡礼記』など、他撰の家集としては『称名院』がある。
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系譜
脚注
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