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川中基嗣
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川中 基嗣(かわなか もとつぐ、1973年12月19日 - )は、京都府京都市[1]出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
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来歴・人物
小学3年から野球を始め、東山高校では1年秋からレギュラーとなる[1]。東山高校の2学年後輩には、後に読売ジャイアンツでもチームメイトとなる岡島秀樹がいた。
東洋大学では1年秋、4年春にベストナイン(三塁手)。東洋大学では同期に塩崎真と清水隆行(塩崎は中退)、3学年先輩に和田孝志、2学年先輩に関口伊織、1学年後輩に今岡誠、2学年後輩に田中充、3学年後輩に福原忍がいた。
社会人の日本通運では1997年の都市対抗野球で準優勝に貢献し首位打者となり、久慈賞を獲得[2]。
プロ入り当初は代走・守備固めでの出場が主だったが、2001年から出場機会を増やし、2002年9月14日には、谷中真二からプロ初本塁打をサヨナラ本塁打で飾り、2005年は101打席で5本塁打、代打成績で打率5割を記録。またポジションも内野手登録ながら、外野も問題なくこなし、内外野の全ポジションを守れる強肩・俊足のユーティリティープレイヤーとして活躍した。なお現役時代は8つのポジションを3種類のグラブで守っていた。
2006年シーズン後半から右打席の練習にとりくみ、2007年からはスイッチヒッターに転向。またポジションも外野手に専念した。しかし、高橋由伸と谷佳知が通年で活躍したのもあり、プロ入り後初めて一軍試合出場なしに終わった。
シーズン終了後に現役を引退、二軍サブマネジャー兼育成コーチを2009年まで務めた。2010年から2012年までは球団のフロントに入り、営業企画部兼育成部の仕事に就いていた[3]。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初出場:1998年7月2日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、6回表に小野仁の代打として出場
- 初打席:同上、6回表に伊東昭光の前に一直
- 初盗塁:1999年5月20日、対ヤクルトスワローズ9回戦(明治神宮野球場)、8回表に二盗(投手:山部太、捕手:古田敦也)
- 初安打:1999年7月6日、対中日ドラゴンズ14回戦(札幌市円山球場)、9回裏に宣銅烈から二塁内野安打
- 初先発出場:1999年10月10日、対横浜ベイスターズ27回戦(横浜スタジアム)、7番・右翼手として先発出場
- 初打点:同上、3回表に戸叶尚から中前2点適時打
- 初本塁打:2002年9月14日、対阪神タイガース23回戦(東京ドーム)、11回裏に元木大介の代打として出場、谷中真二から右越サヨナラソロ
背番号
- 29 (1998年 - 2000年)
- 0 (2001年 - 2006年)
- 00 (2007年)
- 112 (2008年 - 2009年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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