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日本の女優 (1930-2006) ウィキペディアから
小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 2006年11月28日)は、日本の女優。本名:四方 美喜(よも みき)、旧姓:山藤(さんとう)。チャコちゃんこと四方晴美の母としても知られる。
東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現在の東京都渋谷区千駄ヶ谷)生まれ。幼時より日本舞踊の英才教育を受け、新協劇団で子役として活躍。1935年、『夜明け前』で初舞台を踏む。
1938年、山本薩夫監督の『田園交響楽』で映画に初出演。この時の芸名は富士山君子。
1948年、跡見高等女学校卒業、1954年、俳優座養成所を第3期生として卒業[1]。
俳優座研究生時代、1952年に黒澤明『生きる』の志村喬の部下役として抜擢され、役名の"小田切とよ"から苗字を取って小田切みきを名乗る。俳優座の研究生は2年にならないと映画出演できないという決まりがあった。当時1年だった小田切は本来は出演できないはずなのだが黒澤映画という事で特別に許されたという[2]。最終選考の段階では、とよ役には小田切と左幸子が残っていたが、黒澤は自然で少しも飾らない小田切の方を選んだ。
『生きる』の撮影に入っていた頃から交際していたいた俳優の安井昌二と結婚、四方姓となる。1970年代半ばは渋谷で小料理屋を営み[3]、毎日朝4時に起きて魚河岸に仕入れに出かけた[3]。娘が二人おり、長女の四方正美、次女の四方晴美ともに子役として人気があった[3]。
日本舞踊尾上流の名取としては尾上菊生の名前を持つ。
その他の映画出演作に『十代の性典』(1953年、島耕二)、『ひめゆりの塔』(1953年、今井正)、『雁』(1953年、豊田四郎)、『太陽のない街』(1954年、山本薩夫)、『警察日記』(1955年、久松静児)、『潮騒』(1971年、森谷司郎)、『親鸞 白い道』(1987年、三国連太郎)など。テレビドラマ出演作に『パパの育児手帳』(1962年)、『東京警備指令 ザ・ガードマン』(1965年)、『チャコちゃん』(1966年)などがある。
永らく芸能活動から遠ざかっていたが、2003年、舞台作品『シベリア超特急4』に友情出演した。
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