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日本の歌手、スタジオミュージシャン ウィキペディアから
山根 麻以(やまね まい、1958年10月9日 - )は、日本の歌手。
島根県出雲市生まれ[1][2]。2001年に『山根麻衣』から『山根麻以』へ改名。妹はUGUISSのボーカル・山根栄子(2012年9月15日に他界)で、姉妹で楽曲を多数製作していた。元夫は日本の瞑想指導の第一人者・山田孝男(2003年7月5日に死別)。
島根県立出雲高等学校に在学していた[3]が、17歳で出雲から単身、広島市に出る[1][2]。1976年、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)地区大会でボーカル賞受賞[3]。1977年、第14回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会で全国大会初出場[3]。1978年6月に上京[3]。1979年、ポプコンでの入賞をきっかけに松下誠プロデュースによるシングル「午前0時」でメジャー・デビュー[3]。
2ndアルバム「Sorry」はA面を鈴木茂、B面を松下誠が編曲。伊東たけし・向谷実も参加したロック色のより強いアルバムになった。以後柳ジョージと活動を共にする。
1991年以降、フリーランスとなり、福山雅治、井上陽水、アンジェラ・アキなど多数のアーティストのレコーディング・ライブ参加など、スタジオワーク・サポートの活動を中心に多くのミュージシャンと共演。世界を旅する傍ら、様々なコラボやセッションを展開。
1993年、ギタリスト・窪田晴男とともにギターと歌だけの実験的ロック・アルバムを発表。菅野よう子作品をはじめ、アニメサウンドトラックに参加するようになる。
1996年、ヒランヤ・クリスタルセブンの開発者で「日本の精神世界のパイオニア」と呼ばれた瞑想指導家の山田孝男と結婚。瞑想を学び、2003年に山田が亡くなるまでの7年間、山田のセミナー全てのアシスタントを務めた。
1997年、東京から富士山麓に活動拠点を移し、自主レーベル「New Archaic Sounds」を設立。「ふつうの唄」で新たな境地を拓く。自身の音楽を「Awakening Music」と位置付け、人間の本質を謳った歌を作り始める。
同年、山梨県大月市にあるピラミッドメディテーションセンター[4]を拠点に、「APG(アセンション・プロジェクト銀河の声)」を立ち上げる。
2005年、沖縄で「Happy Sharman's School」をスタート。西表島、石垣島、本島の学校教育の現場で唄のワークショップを開催。現在も全国の学校や団体から要請を受け、ワークショップを続けている。一方で、四国の石鎚神社、富士浅間大社、出雲大社など日本各地の神社、聖地にて奉納演奏を行う。
同年の「愛・地球博」では地球市民村のフィナーレを務め、フランス・パリ、スペイン・サラゴサなどで海外公演も行った。
2007年、韓国・世宗のラグナロク2コンサートにSEATBELTSの一員として出演。
2008年、天然石を使ったオリジナル作品の制作を始めた傍ら、山田から受け継いだ意識テクノロジーの開発と普及にもエネルギーを注いでいる。
自身の活動のすべてを「日本列島やさしいきもち化計画」と位置づけ、みんなの心に人を愛する気持ちを呼び起こそうと幅広く活動を続けている。
この年から、DV(ドメスティックバイオレンス)被害者のためのワークショップ、コンサートに出演。
2009年、さいたまスーパーアリーナの超時空七夕ソニックライブに出演。
2010年・2012年1月12日には、坂の上の雲ミュージアムで小説「坂の上の雲」の主人公の一人・秋山好古の誕生日を祝うコンサートに出演。
2006年から、山梨県山中湖の山中湖交流プラザ きららで音楽魂イベント「Naked Soul」をスタート。毎年夏から秋にかけて開催され、2011年には第六回目を迎えた。NPO法人石鎚森の学校の理事に就任。
斎藤誠、村田和人、山根栄子、山根麻衣、重実徹から成る。1988年結成。
妹・山根栄子との参加作多数。以下に代表的なものを挙げる。
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