平城京
奈良時代の日本の首都 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう/ならのみやこ)は、奈良時代の日本の首都。710年に藤原京から遷都するにあたり、唐の都長安城を模倣して大和国に建造された都城。現在の奈良県奈良市、大和郡山市に存在する。
中央北域に宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西8坊 (約 4.3 km) の面積をもち、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分され、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画され、全域が72坊に区画設定されていた。
大阪湾や淡路島(八島のひとつ)にも近い奈良盆地(奈良県奈良市の西部の一部、中心部及び大和郡山市北部)には、5世紀中頃にはすでに天皇陵である佐紀盾列古墳群が作られ、またのちには大神神社、7世紀には興福寺も建立されているが、京となった8世紀には、東大寺や巨大な仏像である東大寺盧舎那仏像、法華寺などが建立された。本州の政治・文化の中心地となるに至って外京(げきょう)に位置した門前町が、今に続く奈良の町を形成する中心となった。