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平安時代の公卿。醍醐源氏。代明親王の次男。従二位・中納言。桃園家の祖。 ウィキペディアから
源 保光(みなもと の やすみつ)は、平安時代の公卿。醍醐源氏。代明親王の次男。官位は従二位・中納言。桃園中納言と号す。
村上朝前期の天暦5年(951年)正月に従四位下に直叙されると、2月には皇孫ながら文章生となる。民部大輔・侍従を歴任したほか、天徳2年(958年)には紀伊権守として地方官も務めた。またこの間の応和3年(963年)従四位上に叙せられている。
村上朝末の康和3年(966年)正月に右中弁に任ぜられると、同年9月に左中弁、康和5年(968年)右大弁と弁官として昇進を重ねる。安和2年(969年)円融天皇の即位後まもなく蔵人頭(頭弁)に補せられ、天禄元年(970年)参議に任ぜられ公卿に列した。
議政官として左右大弁を兼帯する一方、天禄3年(972年)正四位下、天延4年(976年)従三位と昇叙されている。その後も、貞元3年(978年)権中納言、永観2年(984年)正三位と円融・花山・一条朝にかけて昇進を続け、永延2年(988年)に中納言に至る。
正暦6年(995年)正月に従二位に昇るも、当時流行した疫病により同年5月9日薨去。享年72。埋葬地ははじめ松前寺。左京にある邸宅は外孫の藤原行成に伝えられた。
『公卿補任』による。
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