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美濃町(みのまち)は、かつて岐阜県武儀郡にあった町である。現在の美濃市の中心部(通称としての美濃町)および長良川・板取川沿いの地域に該当する。
美濃和紙の産地であることにちなんで、1911年(明治44年)に旧町名の上有知町(こうずちちょう)から改名。現在の美濃市は、美濃町が市制施行したものではなく、美濃町と周辺6村が合併・市制施行したものである。ここでは上有知町と美濃町とをともに述べる。
関ヶ原の戦いで東軍で戦った金森長近は徳川家康から「口郡金山より岩佐谷口迄」を加封されて、和紙で栄えていた上有知の町造りをすすめた。当時の町は長良川近くの低地にあり、度々洪水の被害を受けていた為に、1605年(慶長10年)町を現在の高台に移した[1]。
高台に移設された上有知は水の便が悪く、度々大火に襲われた。その歴史を「うだつの上がる町並み」と、屋根に祭られた「秋葉様」で見ることができる。「うだつ(卯建)」とは、もともと火災のときに隣家からの延焼を防ぐための防火壁であった。隣り合う切妻造の屋根を一段高くして防火壁とし、板葺屋根に袖壁を一段高くし小屋根を付け、江戸時代には板葺屋根に板うだつが大半であった。城下町から商家町へと発展した上有知では、このうだつは、防火壁の機能と共に商人の権威の象徴としての意味も含むようになった。うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、慣用句「うだつが上がらない」の語源と考えられている。
鬼瓦等で豪華に飾られた上有知のうだつは、江戸時代後期〜明治5年(1872年)にかけて造られた19棟が今も残っている。その町並みは貴重な建造物群であるとして、文化財保護法に基づき重要伝統的建造物群保存地区として選定され、その中でも代表的な遺例である小坂良治家の住宅は国の重要文化財に指定されている(1979年(昭和54年)2月3日指定)。
「秋葉様」とは静岡県にある秋葉神社の火の神で、組地区毎に、屋根に祭り、毎年代表者が「代参」している。
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