赤坂プリンスホテル
東京都千代田区にあったホテル ウィキペディアから
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赤坂プリンスホテル(あかさかプリンスホテル、Akasaka Prince Hotel)は、かつて東京都千代田区紀尾井町で営業していたホテルである。最寄駅は赤坂見附駅または永田町駅。所有・運営は西武グループのプリンスホテル。「赤プリ」の愛称で親しまれていた。
2007年に「グランドプリンスホテル赤坂」と改称された後、2011年3月に「東京ガーデンテラス紀尾井町」への再開発のため閉鎖された。
開業は1955年10月1日で、最終的には旧館・別館・新館・五色(コンベンションセンター)・弁慶橋清水(料亭)・赤坂プリンスレジデンスの6棟から構成されていた。1983年に開業した40階建ての新館は、隣接するホテルニューオータニのタワー棟と並んで赤坂見附にそびえ、バブル時代を代表するホテル・トレンディスポットとしても人気を得ていた。芸能人やスポーツ選手の結婚式の披露宴会場に使用された[1]。バブル時代には若いカップルがクリスマスを高級レストランや高級ホテルやリゾートで過ごすことが流行しており、赤坂プリンスホテルのクリスマスの宿泊予約も9月末には埋まり、クリスマス明けにチェックアウトした客がその場で翌年分を予約するほどの人気であったという[2][3]
旧館は1930年に完成した旧李王家邸を改装したクラシックな建物で、別棟が増築された後には客室は置かれず、バーやレストラン、結婚式場として利用されていた。
2010年4月、老朽化による競争力低下の予想と保有資産の活用再検討の必要性を理由に、翌年3月31日をもって営業を終了することが発表された[4]。その後、2011年3月31日をもってホテル営業を終了した。
新館は取り壊された上で大型複合商業ビルの「東京ガーデンテラス紀尾井町」として再開発され、2016年7月27日に開業。プリンスホテルは同施設にプリンスホテルの最高級ホテルブランドである「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」として入居する。旧館は「赤坂プリンス クラシックハウス」として移設され、同時に開業する(後述)。旧館内のバー「ナポレオン」は再開業となった。
大韓帝国の皇太子として生まれ、韓国併合後は日本の皇族に準じた扱いを受けていた李垠の邸宅として造営された建物を引き継いで1955年(昭和30年)開業した。建物は鉄筋コンクリート造(一部木造)2階建[5]の洋館で、宮内省内匠寮の北村耕造、権藤要吉らが設計し、清水組(当時)により施工された。
日本の敗戦後には李垠も臣籍降下したことから、建物の大部分は参議院議長公邸などとして使用された後、1952年に国土計画興業(後のコクド、及びプリンスホテル)がこれを取得した。客室35室が整備され、1955年に赤坂プリンスホテルとして開業した。
元は四角い中庭を囲む形の建物で、後に西側が撤去されている。デザインはチューダー様式を基調としている。白い壁と濃褐色の木材との対比が落ち着いた印象を与えている。玄関ホールのスクリーン、階段の手摺り子など随所にねじり柱が施されている。談話室などには和風の網代天井も用いられている。現在、1階の大食堂はチャペルとして使用されている。2階のレストランは大幅に改装されているが寝室や書斎などの内装は造り付けの調度品も含めて当初の状態で残され、レストランの個室などに使用されている。1階がバー「ナポレオン」や結婚式場、2階がフレンチレストラン「トリアノン」などとなっていた。
2011年に東京都指定有形文化財となり、敷地内で曳家されたあと修復工事が進められ、2016年にレストラン、結婚式場、宴会場を備えた「赤坂プリンス クラシックハウス」としてリニューアルオープンした。
2016年にオープンしたレストラン1、バー1、宴会場3、挙式会場を備えた施設。バーの店名「バー ナポレオン」は1950年の開業時より名前を引き継いでいる。 敷地内にある挙式会場にて、「キリスト教式」「洋装人前式」「和装人前式」からそれぞれのスタイルに合わせて選べ[6]、敷地内でのガーデン挙式も可能である。 一方、パーティルーム(バンケット、披露宴会場)は「ロイヤル・ルーム」「クラウン・ルーム」「鏡の間」の3つから選択することができる[7]。
丹下健三設計による超高層ビルで、1983年3月7日に営業を開始した。雁行設計により、全ての客室がコーナールームとなっており、客室内にはエーロ・サーリネンのデザインしたチューリップチェアやサイドテーブルのほか、スイートルームには丹下デザインのソファも配されていた。客室は761室で、1,454人の収容が可能であった。
開業翌年には第25回BCS賞を受賞した。2001年には、全面改装が行われていた。
丹下健三設計のコンベンションセンター。1997年12月3日開業。地上3階、地下2階建[8]。なお、傾斜地にあって五色の屋上玄関が旧館1階と同一階層となっており、旧館・プリンス通り側から見ると五色はすべて地下にあった。
1960年10月1日開業。5階建。
別館外、プリンス通りにベーカリーショップ「ブーランジュリー アカサカ」。2011年3月当時、2、3階は従業員事務所、更衣室になっていた。従業員事務所、更衣室へ変更前はクラウン、パール、ローズ、マーガレット、クィーン、梓、楓の宴会場として使用していた。
2001年7月12日竣工。ホテルの快適さをそのままにセントラル冷暖房完備、各種取次サービスを配したデラックスなマンション。
2011年3月24日、東京都庁は東京電力福島第一原子力発電所事故で避難した福島県民の受け入れ施設として、新館を活用すると発表した[9]。4月9日から6月30日まで福島第一原子力発電所の被災者を受け入れ[10]、建物の解体は7月以降に行われることとなった[9]。
建て替えに伴う地区計画について、東京都の都市計画審議会は2011年7月、緑地の割合を増やすなど周辺環境に配慮されているとして、容積率を従来の2倍の600%に設定した[11]。これにより、該当地区の建物の高さの上限は180メートルとなり、当時の140メートルから大幅に増すことになった[11]。
再開発を進める西武ホールディングスは、該当する紀尾井町南地区44,000平米の敷地に2棟の高層ビルを2012年から建設する[11]。1棟は高さ180メートルの複合ビルで、上層に200-300室規模のホテル、中層にオフィス、低層に商業施設を設ける。もう1棟は高さ120メートルのタワーマンションとなり、100-200戸の賃貸住戸となった[11]。
旧館(旧李王家邸)については、移築して活用されることとなった[11]。
その後、2016年7月27日、跡地に東京ガーデンテラス紀尾井町が開業した。
新館の解体工事は、粉塵や部材の飛散、騒音や振動を最小限に抑える新工法の「テコレップシステム」[12]を開発した大成建設が請け負い、西武ホールディングス傘下の西武建設も参加。解体工事は当初2011年9月中から本格的に開始されるとされたが[11]、諸事情により工事開始は遅れて2012年6月から行われた。2012年11月13日、39階と40階の解体作業が終了し、15本の油圧ジャッキが操作されて建物が6m短くする作業が行われた。解体作業は2013年5月頃まで続く予定とされた[13]が、最終的には2013年7月6日に解体作業が完了した[14]。
これ以前に日本国内で行われた高層建築物の解体工事は、清水建設が2007年に実施した東京・上野のホテルソフィテル東京(112m)が最大のものだったが、今回はそれを上回り[要出典]高層ビルの解体例としては日本で最高の例となった[15]が、世界貿易センタービル (162m) の解体によって記録が塗り替えられた[16]。
新館屋上には、日本放送協会(NHK)が千代田放送会館地内にあった千代田放送所に代わる予備送信設備(アナログテレビ・FM)を設置していたが、取り壊しに伴い廃止された。閉鎖時期がテレビジョン放送の完全デジタル化の時期に近く、かつ東京タワーに代わる送信所となる東京スカイツリーの運用開始は2012年であったため、一時的に予備送信施設がなくなることが危惧されたが、前述の通り解体工事開始が東京スカイツリーの試験運用開始後となったため、その問題は事実上解消した。NHK-FM放送は東京スカイツリーの運用開始後、東京タワーが予備送信施設としての機能を引き継いだ。
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