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クリフ・ブランボー

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クリフ・ブランボー
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クリフォード・マイケル・ブランボーClifford Michael "Cliff" Brumbaugh , 1974年4月21日 - )は、アメリカ合衆国デラウェア州出身の元プロ野球選手外野手)。韓国球界での登録名は「브룸바(ブルムバ)」。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴

プロ入り後

デラウェア大学から、1995年MLBドラフト13巡目でテキサス・レンジャーズに入団。

2001年メジャーデビューを果たすも、メジャーでのプレーはこの年のみとなった。

2003年シーズン途中に、不振により解雇されたマイカ・フランクリンの代役として韓国プロ野球現代ユニコーンズと契約。2004年には、打率.343で韓国プロ野球の外国人史上初となる首位打者のタイトルを獲得した[1]

オリックス時代

韓国での活躍を評価され、2004年12月に日本プロ野球のオリックス・バファローズと契約した[1]。年俸は推定8000万円で、千葉ロッテマリーンズ福岡ソフトバンクホークスとの争奪戦を制する形で獲得した選手であった[2]カリーム・ガルシアらと同じく合併球団の外国人選手第1号となった。

2005年は開幕4番に抜擢されながら不調が続いたが、交流戦の時期から徐々に調子を上げていく。しかし、交流戦を過ぎると再度調子を落とした。それでも、124試合に出場して打率.263、19本塁打と一定の成績を残し、翌年の契約を勝ち取った。

2006年は開幕から深刻な打撃不振に陥り、ど真ん中の直球を見逃して三振に倒れることもあるほど調子を崩していた。9月14日に夫人の出産に立ち会うため帰国し、そのまま再来日することはなかった。最終的に47試合の出場で打率.223、5本塁打の成績にとどまり、10月17日戦力外通告を受けて退団した[3]

オリックス退団後

2007年1月11日に古巣・現代に復帰したが、同年限りで現代が韓国プロ野球から消滅したため、2008年から新球団ウリ・ヒーローズと契約。2年間に渡って主軸打者として活躍していたが、2009年はアキレス腱の故障に苦しみ打率が.245と低迷したため、オフに戦力外となり退団した。

2010年は当初リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーしていたが、成績は振るわずシーズン途中に解雇された[4]。その後は独立リーグゴールデンベースボールリーグエドモントン・キャピタルズと契約し、リーグ最優秀選手を受賞した。同年限りで現役を引退。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 一塁 ...

タイトル

KBO

表彰

KBO
NPB

背番号

  • 57 (2001年)
  • 35 (2001年)
  • 24 (2003年 - 2009年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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