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国際的な場における、中華民国(台湾)を示す呼称 ウィキペディアから
チャイニーズタイペイ(英語: Chinese Taipei、フランス語: Taipei chinois、繁体字中国語: 中華台北、IOCコード:TPE)は、オリンピックをはじめとした国際的なスポーツ大会や国際機関などの国際的な場で用いられる中華民国(台湾)を示す呼称。中華民国が国際社会における「中国」としての地位を失い外交的孤立に追い込まれた1970年代以降、同国が国際社会に参加するため、主権・国家承認問題を棚上げする妥協案として使用され始めた。
中華民国は、1949年の中華人民共和国建国後も国際連合等の国際機関における「中国」の代表権を維持していた。だが、1972年のアルバニア決議で国連における中国の代表権を失い事実上追放されると、国際オリンピック委員会(IOC)等その他国際機関における地位も修正を迫られた。
中華民国政府は「中華民国が中国全土を代表する国家である」という建前から「中華民国」という名称で国際機関に参加してきた。だが、実際には中華民国が中国全土を実効支配していないことなどから、1970年代以降「中華民国」という名称が国際社会で受け入れられなくなっていった。しかし一方で、中華民国が実効支配している地域に基づいて「台湾」という名称を使うことは、中華民国・中華人民共和国のいずれもが主張する「一つの中国」論に反する行為であると見なされていた。そのため、中華民国は国際機関で「中華民国」と「台湾」のいずれの名称も用いることができなくなり、それらに代わる名称が求められるようになった。
最初に「チャイニーズタイペイ(中華台北)」という名称が使われたのは、1979年(民国68年)、日本の名古屋で開かれたIOC執行委員会にて「名古屋決議」が議決された時である[1][2]。名古屋決議では、中華民国(台湾)の国内オリンピック委員会(NOC)である「中華オリンピック委員会」が対外的に「チャイニースタイペイオリンピック委員会」(英: Chinese Taipei Olympic Committee、フランス語: Comité olympique de Taipei chinois)」の名称、中華民国の国旗・国歌とは異なる、IOCに承認された旗・歌を使用して残留することを条件に、大陸側の中国オリンピック委員会をIOCに復帰させることが取り決められた。
「中華民国」としてではなく「Chinese Taipei(チャイニーズタイペイ)」名義を用い、青天白日満地紅旗(国旗)や中華民国国歌を使用せずに国際的な場に参画することを奧會模式(オリンピック方式またはオリンピック委員会方式、Olympic model, Olympic Protocol[3])と称する。国旗や国歌が必要な場では、国旗の代わりにオリンピック委員会旗を、国歌の代わりにオリンピック委員会会歌を使用する(後述)。入場などの順序はNOC名簿の排列とIOCコード「TPE」により「T」グループとして扱う[4][3]。これにより「C」グループに属する中華人民共和国とは離れる。ただし、「チャイニーズ」の中国語表記は「中華」と「中国」の2通りがあり、どちらを用いるかで対立が生じている(後述)。
オリンピック方式の確定後、中華民国はIOCや国際パラリンピック委員会(IPC)、及びアジアオリンピック評議会(OCA)が主催する各種総合競技大会に参加できるようになった。また、オリンピック・パラリンピック委員会が関与しない国際競技大会においても、中華民国の競技団体は同様の方式で参加している。更に、オリンピック方式はスポーツ以外の場でも使用されており、中華民国がアジア太平洋経済協力(APEC)、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)へのオブザーバー参加、世界貿易機関(WTO)への加入、経済協力開発機構(OECD)の一部委員会への参加など、国際機関(政府間組織)や国際的な民間組織で活動する際にも用いられている(具体的事例)。ただし、国際機関によっては「チャイニーズ台北」以外の名称を用いている。(具体的事例)。
1981年にIOCと中華オリンピックが取り決めたローザンヌ協定により、チャイニーズタイペイオリンピック委員会が主管するオリンピックやアジア競技大会等の大会へ中華民国の選手が「チャイニーズタイペイ代表」として出場する際、代表団は中華民国の国旗の代わりにチャイニーズタイペイオリンピック委員会旗(中華奧林匹克委員會會旗)を、中華民国国歌の代わりにチャイニーズタイペイオリンピック委員会歌(中華奧林匹克委員會會歌)を、それぞれ使用することになっている。
チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗は、その意匠から梅花旗と呼ばれることがある。白地の旗で、国旗に使われる青白赤の三色で中華民国の国花(中華民國國花)である梅をかたどり、その中に青天白日の紋章とオリンピックシンボルである五輪をあしらったオリンピック委員会のエンブレムを中央に配置している。また、チャイニーズタイペイオリンピック委員会歌は、既存の国旗歌である中華民国国旗歌のメロディを流用しているが、歌詞はオリンピズムとオリンピックへの参加を称える内容へと改められている。委員会旗と委員会歌は、中華オリンピック委員会が関与しないスポーツ大会でも同様に使用されており、過去の例としてバレーボール世界選手権、ワールドベースボールクラシック、FIFAワールドカップ・予選などがあげられる。ただし、パラリンピックやユニバーシアード等の一部大会では、梅花旗の意匠を基調とした独自の代表旗を制作・使用している(詳細)。
中華民国におけるオリンピック委員会の歴史は、1922年に上海に創設された「中華業余運動連合会(中華業餘運動聯合會=中華アマチュアスポーツ連合会)」が、同年パリで行われた国際オリンピック委員会(IOC)年次総会でNOC「中国オリンピック委員会(中國奧林匹克委員會、China Olympic Committee)」として認められたことに始まる。この時聯合會主席で外相などの要職を歴任した王正廷がIOC委員に就任した。1924年に中華業余運動連合会は中華全国体育協進会に改組した。1932年ロサンゼルス、1936年ベルリン、1948年ロンドンの3大会では、中国代表選手はこの体制の下で参加した。
国共内戦の結果、1949年、中国大陸に中華人民共和国が成立し、中華民国政府は台湾に移転した。1951年に「中国オリンピック委員会」は台湾に移転したと通知され、IOCに認められた。中華人民共和国の首都・北京には中華全国体育総会が設立され、「中国オリンピック委員会」としての活動を始めた。1952年のヘルシンキオリンピックでは、中華民国・中華人民共和国双方の参加が決まったが、中華民国側がこれに反発して参加を取りやめた。開催国フィンランドは1950年1月13日に中華人民共和国を国家承認している[5]。
1954年にはアテネで開かれたIOC総会で2つの「中国オリンピック委員会」がともに承認された。1956年のメルボルンオリンピックでは、中華民国が国旗(青天白日満地紅旗)を掲げて参加することに抗議して、中華人民共和国が直前に参加を取りやめた。1958年には北京のオリンピック委員会が「二つの中国」を作る動きに抗議するとして、IOCと複数の主要な国際競技連盟(IF)を脱退、関係断絶を宣言した。IOCに不満を持つ国々と共に独自に新興国競技大会も行った。
1959年5月28日、IOC総会で台北のオリンピック委員会について全中国を代表・統括していないとして、「中国オリンピック委員会」名義で承認し続けることはできないとの決議が採択された。台北のオリンピック委員会はこれを受けて即座に名称を「中華民国オリンピック委員会(中華民國奧林匹克委員會、Republic of China Olympic Committee)」と改め、IOCに申請した。IOCは1960年にこれを認めたものの、試合では「台湾(Taiwan)」または「フォルモサ(Formosa)」の名義を使用することを求めた。台北側はこれら台湾名義の使用を受け入れず、同年のローマオリンピックでは「Formosa」の呼称が使われたことに対して入場式で抗議を行っている。1964年東京オリンピックには「Taiwan 中華民国」名義で、1968年メキシコシティーオリンピックには「Taiwan」名義で参加した。
1968年、IOCでは中華民国の英語表記「Republic Of China」の略称である「R.O.C.」という名称を使うことで一応の決着を見た。冬季大会初参加となる1972年札幌オリンピックでは「中華民国」名義で、同年のミュンヘンオリンピック、1976年の冬季大会インスブルックオリンピックでは「Republik China(中華民国)」名義で参加した。
1971年、国際連合総会が中国の唯一の合法的代表は中華人民共和国であり「蔣介石の代表(中華民国)」を即時追放するという内容の国連総会決議2758(アルバニア決議)を採択したことにより、中華民国は国際連合脱退を宣言した。1970年にカナダと国交を樹立したことを皮切りに、中華人民共和国は西側諸国との国交樹立を進め、中華民国とこれらの国との国交断絶が相次いだ。
こうした動きに対応するため、1973年に台北のオリンピック委員会は日本の日本スポーツ協会に相当する「中華民国体育共進会」と、「中華オリンピック委員会(中華奧林匹克委員會)」の2つの組織に分割された。一方、1975年4月、北京側はIOCに復帰を申請した。この復帰申請は書類不備を理由に棚上げされたが、国連と同様に一国一代表の前提に立ち、中華民国追放を条件(「国連方式」)としていたために難航した。「中華人民共和国復帰問題」は当時のIOCと国際スポーツ界における最大の懸案の一つとなった。
1976年のモントリオールオリンピックで、開催国のカナダは、「R.O.C.(中華民国)」の呼称とその国旗である青天白日満地紅旗を使う限り、台湾からの選手団を受け入れられないとの方針をとった。IOCは1969年に交わした取り決めに反するとして非難したが、カナダは態度を変えず、この問題によりモントリオール開催の中止も検討された。IOCが示した「Taiwan」という呼称を使い、五輪旗を掲げる妥協案を台北の中華オリンピック委員会は受け入れず、アメリカでカナダ入国を待っていた選手団を呼び戻した。
中華人民共和国側はIOCとIFへの復帰交渉を通じて、段階的に譲歩した。「国連方式」を断念し、中華民国除名の主張を撤回、台湾を含む統一チームでの参加を主張して態度を軟化させた。最終的には「中国の一地域」という前提で台湾を別個のチームとすることを認めた。
1979年10月25日、名古屋で開かれたIOC理事会の決議で、台北の中華オリンピック委員会が「チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会(Chinese Taipei Olympic Committee)」の名称のもと、旗・歌についてはそれまでのもの(中華民国の国旗・国歌)と異なるIOCが認めたものを使うという条件で残留し、中華人民共和国が「中国オリンピック委員会(中国奥林匹克委员会、Chinese Olympic Committee)」の名義で国旗五星紅旗と国歌「義勇軍進行曲」を使用してオリンピックに復帰することが認められた(名古屋決議)。
その後、現行のシンボルや他のNOCとの対等な権利・地位、IOCや関連IFでの会員資格の保証が認められたことにより、1981年3月23日、ローザンヌで行われたIOCとの協議の結果(ローザンヌ協定[6])、チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会は英文名称・旗・エンブレムの変更を受け入れた。
1984年のサラエボ(冬季)・ロサンゼルス(夏季)両大会から、台湾海峡両岸の選手団が共にオリンピックに参加するようになった。
「Chinese Taipei」の中国語名称については、台北側が主張する「中華台北」にするか、北京側の主張する「中国台北」にするかをめぐり、1989年になるまで結論が出なかった。1990年アジア競技大会をはじめとする北京で開催される複数の国際大会を控えてとりまとめる必要があった。1989年4月6日、チャイニーズタイペイオリンピック委員会秘書長(事務局長)李慶華と中国オリンピック委員会主席(会長)何振梁が香港で行った協議で、台湾のスポーツ団体の中国語名称を「中華台北」とすることで合意した。同月20日に開会したアジアユース体操選手権大会に参加するためにチャイニーズタイペイ代表選手が初めて北京に向かったことで、台湾海峡両岸のスポーツ直接交流が始まった。
「Chinese Taipei」を中国語でどう表記するかは政治的にデリケートな問題である。
チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会の名称は、対外名称である英語名称は「Chinese Taipei Olympic Committee」とされるが、国内向けの中国語名称では「台北」の文字を使わず「中華奧林匹克委員會(中華オリンピック委員会)」としている。他の競技統括団体では、オリンピック委員会同様、英語名称に「Chinese Taipei」を使うが、中国語名称を「中華民國○○協會」としている場合が多い。
台湾では自国の代表チームを「中華隊(中華チーム)」と呼ぶのが一般的である。台湾本土化を支持する泛緑系のメディア(自由時報など)では「台湾隊」という呼称を使用している。
中国大陸では、試合会場などの公式な場では「中華台北」を使用する一方で、報道などでは「中国台北」と呼ぶべきであるとされた[7]。大陸では同じ文脈で香港を「中国香港」、マカオを「中国澳門」と呼ぶ。公式・対外的な場で中国語での呼称として「中国台北」が使われた場合には、台湾側が抗議を申し入れたことがある。
北京オリンピック直前の2008年7月、台湾側がこの呼称問題により、開会式・大会のボイコットを示唆したこと[8]を受けて、大陸側も譲歩し新華通訊社、華僑向けの中国新聞社(中新社)といった国営通信社をはじめ、大陸メディアの配信記事にも「中華台北」の名称が見られるようになった。北京オリンピック以前、「中華台北」という名称がメディアによって使われたのは、香港などに限られた。ただし香港においても大公報・文匯報といった大陸系メディアは「中国台北」を使った。
中華民国外交部は、「Chinese Taipei」を「中華台北」と訳すべきであるとしている。2008年、中華人民共和国国務院台湾事務弁公室(国台弁)のスポークスパーソン楊毅はこれに対し、「中国台北」も「中華台北」も「Chinese Taipei」の中国語訳であり、オリンピック委員会の取り決めは、その範囲外で大陸の組織団体・個人が「中国台北」を使う権利には及ばず、「中国台北」は台湾の矮小化だとの指摘は当たらないと説明した[9]。同時に楊は、北京オリンピック組織委員会の文書などでは、台湾のスポーツ団体・組織を指す場合「中華台北」の表記に統一されているとした。
2016年5月に蔡英文総統が就任してからしばらくの間は「中華台北」の呼称に変更はなかったが、中華人民共和国政府と中華民国政府との間に九二共識について意見の隔たりが出てくると、両者の関係は緊迫し、中国大陸のメディアは再び「中国台北」を使うようになった。
新華社が出した《新華社新聞信息報導中的禁用詞和慎用詞(2016年7月修訂)》(報道における使用禁止用語と要注意用語〈2016年7月修訂〉)の66番目の項目には「国でなくとも参加できる国際機関や経済貿易・文化・スポーツに関する民間の国際組織の中の台湾の組織は『台湾』または『台北』と呼んではならず、『中国台北』『中国台湾』と呼称しなければならない。特殊な事情で『中華台北』を使う場合には事前に外交部と国台辦の指示を仰ぐこと」とある[10]という。
2017年4月、中国中央電視台など中国の官製メディアがスポーツ中継で台湾を「中華台北」でなく「中国台北」と呼ぶようになったことについて、中華民国行政院大陸委員会の張小月主任委員は「大陸メディアが一方的にわれわれの名称を(「中国台北」と)矮小化しているのを受け入れることは決してできない。台湾は断じて中国大陸の一部ではない。大陸側に正式に抗議する」と発言した[11]。
蔣介石・蔣経国政権時代は、中華民国政府こそが中国全土を代表する正統政府であると主張していた。中国全土を代表するはずの国家が「台湾」を称することはその正統性を脅かすこと(「法理独立」)に繋がる。そのため当時の中華民国には「台湾」や「フォルモサ」という名義・名称は受け入れられなかった。当時中華民国では民間団体であっても全国的なものの名称に「台湾」を使うことはできず、「中華民国」、「中国」または「中華」を使用しなければならなかった。
本省人である李登輝総統が政権基盤を固め始め、「來自台灣的總統(台湾から来た総統)」としてシンガポールを訪問し「務實外交(現実外交)」を展開するようになる1989年3月以降、状況に次第に変化が見られるようになる。
2007年4月、陳水扁総統は、台湾在外ビジネス団体の帰国訪問団との会見で「中華台北(チャイニーズタイペイ)」について「奇妙な名称」とし、オリンピックで台湾の名を使用できないことについて「歴史的な要素があり、また当時もさまざまな現実を考慮してのことだった」としながらも「不公平な待遇」と述べ、台湾への改称(台湾正名運動)に意欲を見せた[12]。
2008年4月、馬英九は総統就任を前に中央通訊社とのインタビューで世界保健機関(WHO)加盟問題について、「外交部は『中華台北』を用いるなと言うが、問題は『中華台北』以外の名称で(加盟に)成功したことがあるのか。『中国台北』というさらに受け入れがたい名称のほか、現在『中華台北』より適切な(参加可能な)ものがあるだろうか」と述べ、「中華台北(Chinese Taipei)」について国際社会で受け入れられる「適切な名称」であるとの認識を示し、台湾名義の使用は今後推進しないとの考えを述べた[13]。
2018年11月24日、東京オリンピック・パラリンピックにおける選手団名称を「台湾」に変更し、IOCへ申請する是非を問う国民投票が統一地方選挙と併せて行われた。その結果、反対票が賛成票を100万票近く上回り、否決された。IOCは投票前に「チャイニーズタイペイ」は1981年の協定で台湾側も合意して決定した名称であり、その内容に反した名称の変更は外的勢力の干渉とみなすとして、名称変更を認めず、変更した場合には権利を停止または剝奪する可能性があると警告していた[14][15]。チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会は国民投票を政治行為であると位置付け、(「台湾」への名称変更は)IOCとの協定を破ることになり、オリンピック参加資格が停止される可能性を指摘した。また、オリンピックの独立参加選手団として参加した場合、コーチなどのバックアップを受けられないため不利であるとし、出場資格を守るために断固反対する、と反対投票を呼び掛けた[16]。
2021年8月10日、台湾のシンクタンクである台湾制憲基金会が台湾で実施した世論調査の結果を発表し、東京オリンピックで中華民国(台湾)の「国名」を使用できなかったことを「遺憾」とした回答が82.5%だった[17]。台湾は、東京オリンピックでこれまで通り「チャイニーズタイペイ」の名称で参加したが、同調査によると65.1%の人が「台湾」と呼んでおり、「チャイニーズタイペイ」と呼んでいた人は25.7%だった[18]。国旗や国歌を使用できないことを残念に感じている人は80%以上に上った[18]。
日本語では、公式の場面では「チャイニーズタイペイ」「中華台北」も用いられるが、それ以外では単に「台湾」と表記されることが多い。
2021年7月23日に行われた東京オリンピックの開会式の台湾選手団の入場行進は、プラカードの表記は英語と日本語ともに「チャイニーズタイペイ」で、NHKが放映していた国際映像も字幕は「CHINESE TAIPEI」だったが、開会式を生中継していたNHKの特別番組で司会を担当した同局アナウンサーの和久田麻由子は「チャイニーズタイペイ」選手団を「台湾です」と紹介した[19][20][21][注釈 1]。また、2022年2月4日の北京オリンピックの開会式、2024年7月26日のパリオリンピックの開会式でもNHKでは同様に「台湾です」と紹介した[22][23]。
東京大会の開会式後、台湾ではチャイニーズタイペイの呼称に反発があるため、台湾メディアは「台湾に誇りの瞬間をもたらした」と歓迎する一方、中国共産党機関紙『人民日報』傘下の『環球時報』は「(NHKは日本の)公共放送として『一つの中国』を損なうような報道はすべきでない」などと反発する記事を配信した[20][24]。
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