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ホテルオークラ東京(ホテルオークラとうきょう)は、東京都港区虎ノ門二丁目にある高級ホテル「The Okura Tokyo」を運営するホテルオークラの連結子会社。
The Okura Tokyo | |
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オークラ プレステージタワー(左)と オークラ ヘリテージウイング(右) (2019年9月12日撮影) | |
ホテル概要 | |
正式名称 | The Okura Tokyo |
ホテルチェーン | オークラ ホテルズ & リゾーツ |
デベロッパー | ホテルオークラ[1] |
設計 | 虎ノ門2-10計画設計共同体(谷口建築設計事務所(谷口吉生)、大成建設一級建築事務所、観光企画設計社、日本設計)[1] |
施工 | 大成建設東京支店[1] |
運営 | ホテルオークラ東京 |
階数 | 地下1[1] - 41[1]階 |
レストラン数 | 7軒 |
部屋数 | 508室 |
敷地面積 | 20,442.44[1] m² |
建築面積 | 13,262.54[1] m² |
延床面積 | 180,905.72[1] m² |
駐車場 | 427[1]台 |
最頂部 | 188.65m |
開業 | 1962年5月20日 |
改装 | 2019年9月12日 |
最寄駅 | 東京メトロ神谷町駅、虎ノ門ヒルズ駅、虎ノ門駅、溜池山王駅、六本木一丁目駅 |
最寄IC | 首都高速 霞ヶ関出入口、飯倉出入口 |
所在地 |
〒105-0001 東京都港区虎ノ門二丁目10番4号 |
位置 | 北緯35度40分1.07秒 東経139度44分38.5秒 |
公式サイト | 公式サイト |
補足 |
構造 地下 鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄筋コンクリート造 地上 鉄骨造一部CFT造(柱) 施工期間 2016年6月 - 2019年7月[1] |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 105-0001 東京都港区虎ノ門二丁目10番4号 |
設立 |
2001年10月1日(新設分割) *ホテル開業 1962年5月21日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 1010401045658 |
事業内容 | 国際観光ホテル整備法によるホテル業経営 |
代表者 | 成瀬正治(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円 |
売上高 |
245億1,800万円 (2024年3月期)[2] |
営業利益 |
11億900万円 (2024年3月期)[2] |
経常利益 |
9億3,700万円 (2024年3月期)[2] |
純利益 |
20億3,800万円 (2024年3月期)[2] |
純資産 |
△102億1,300万円 (2024年3月期)[2] |
総資産 |
97億8,300万円 (2024年3月期)[2] |
従業員数 | 842人(2015年8月時点) |
決算期 | 3月 |
主要株主 | 株式会社ホテルオークラ (100%) |
関係する人物 |
大倉喜七郎(創業者) 松井幹雄(元会長) 米谷雅彦(初代社長) 小川矩良(元社長) 清原當博(元社長) |
外部リンク | https://theokuratokyo.jp/ |
ホテルオークラは、帝国ホテル東京、ホテルニューオータニとともに、ホテルの「御三家」と称される。
現在の港区虎ノ門二丁目のあたる江戸見坂、霊南坂、汐見坂に囲まれた地域には、天保年間、川越藩・松平大和守の屋敷があった[3]。明治期以降は政府が接収し、工部省測量司と、それを受け継いだ内務省測量司が事務所および外国人宿舎用地として使用したが、1878年(明治11年)大倉財閥の創始者である大倉喜八郎が購入し、邸宅を構えた[3]。広大な敷地内には喜八郎が蒐集した美術品を展示する私設美術館も設立され、それがのちに日本初の私立美術館「大倉集古館」となった[3]。
喜八郎の長男である大倉喜七郎は、1922年(大正11年)から父の跡を継ぎ、帝国ホテル会長(のち社長)を務め、1924年(大正13年)大倉組頭取に就任し、川奈ホテルや赤倉観光ホテルの創業を手掛けた[4]。戦後の公職追放と財閥解体を経て喜七郎は大倉商事監査役に復帰し、帝国ホテル社長への返り咲きも渇望するが、それが叶わないと見るや[5]、1958年(昭和33年)に資本金10億円で大成観光を設立[6]。邸宅跡に1962年(昭和37年)「ホテルオークラ」を開業した[3]。
喜八郎が設立した有限責任日本土木会社を前身とする大成建設が施工を担った本館は[7]、高低差と法規による高さ制限とを適合させ、坂上にホテルエントランスを、坂下には宴会場エントランスを設けた地上6階地下6階の画期的な建築であり[7]、中心のエレベーターホールから三つの客室棟に伸びる三ツ矢式建築も、客室を効率的につくるのに、合理性の高いものだった[7]。1973年(昭和48年)には別館も開業し2館体制となった[6]。
1987年(昭和62年)の開業25周年を機に、運営会社は「大成観光」から「ホテルオークラ」に社名を改め、2001年(平成13年)には、所有・経営・運営の分離を図り、経営改革を推し進めるべく、ホテルオークラは「ホテルオークラ東京」を設立して当ホテルを分社化した[6]。
2014年(平成26年)5月、ホテルオークラは竣工して50年が経過し老朽化が顕著となった本館の建て替えを発表[8][9]。2016年(平成28年)6月から建て替えに着手し、施工は本館建築時と同様に大成建設が担い、ホテルとオフィスを併設した地上41階地下1階の高層棟「オークラ プレステージタワー」と、ホテルとレストランのみの構成となる地上17階地下1階の中層棟「オークラ ヘリテージウィング」の2棟を新築し[7]、ホテル前庭となる「オークラ スクエア」も整備。さらにこの広場を創出するため、大倉集古館は曳家工事によって約6m移動することになった[10]。これら工事の完了を受け、2019年(令和元年)9月12日に再開業し、それを機にホテル名称は「The Okura Tokyo(ジ・オークラ・トーキョー)」へと改められた。
開発にあたっては、建て替えの障害となっていた敷地全域の都市計画公園指定を、新制度「港区公園まちづくり制度」を適用することで、建て替えを可能とした[11]。新設した都市計画公園(港区立江戸見坂公園)を含む約2.6haの敷地の50%以上を緑地および広場として公開整備し、さらに地区計画指定と再開発等促進区を定め、この18万㎡の複合ビルは実現に至っている[11]。
別館は「The Okura Tokyo」開業後も「ホテルオークラ東京 別館」として営業を継続していた。2019年、ホテルオークラは別館を2021年度までに閉館し、2024年度をメドに地上43階のタワーマンションと地上21階のオフィスビルを開業する計画を検討していることを明らかにしたが[12]、新型コロナウイルスの影響で2020年(令和2年)5月から休業し、9月末で営業を終了した[13]。建物は10月1日から2021年(令和3年)9月末までの予定で東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に貸し出され、ボランティア用のユニホームの配布などに活用された[13]後、鹿島建設によって解体された[14]。
2019年の時点では、別館跡地の開発は野村不動産が主体となって行う予定で、同社は東京都に地上43階のタワーマンションと同21階のオフィスビルを計画する環境アセスメント資料を「(仮称)六本木一丁目計画」の名称で提出しており、用途にホテルは含まれていなかった[12]。しかし、本計画は実施されず、その後新たに鹿島が同地の環境アセスメント資料を「(仮称)六本木一丁目北地区計画」の名称で提出した[14]。新たな計画では、鹿島が地下4階・地上50階建のビル1棟を建築し[15]、ビルには住宅・店舗・ホテルが入る[16]。
客室は41階建ての高層棟オークラプレステージタワーに368、17階建ての中層棟オークラヘリテージウイングに140の計508室を設けた。付帯施設として宴会場19、レストラン5、バー2、フィットネスクラブ、ビジネスセンター、チャペル、美容室、写真室等も備えた。周辺を坂道に囲まれているため、メインロビーは5階に設置され、宴会場エントランスは1階に置き[17]、宿泊客と宴会客の動線を分けるつくりとした。
プレステージタワーの8階から25階まではオフィスとなり、新設となった都市計画公園に面する3、4階のエントランスホールから目的階に向かう[11]。基準階貸室はワンフロア約2,200㎡、天井高は2,850mmとなっている[18]。なお、オフィス床は、ホテルオークラ、大成建設、新日鉄興和不動産(現:日鉄興和不動産)などが出資する特別目的会社が完成後に取得している[19]。
両棟はフロアtoフロアのガラスで構成されたカーテンウォールにより、ホテルとオフィスの差異はシンプルな立面に溶け込み、さらに頂部のファーリングを一層際立たせ、凛とした姿によりタワーのシンボル性は高められた[11]。
旧本館ロビーなどはその芸術的評価から、建て替えに疑問を呈する意見も噴出し、米・ワシントン・ポストが建て替えに疑問を呈し[20]、英・モノクル誌では建て替え反対の記事も載り[21]、伊・ボッテガ・ヴェネタのデザイナーであるトーマス・マイヤーが発起人となって、同ブランド公式サイトに特設サイトが設けられ[22]、SNSを通じて「#savetheokura」が発信された[23]。また取り壊しを惜しむと、旧本館ロビーは国内外の見学者で埋まるようになった[24]。
そうした動静を踏まえ、ホテルオークラ側も、「ロビーは唯一無二の空間。ロビーがあることで差別化になると考えていた(広報担当者)」として[23]、2015年(平成27年)10月、谷口吉郎の長男で建築家の吉生を設計チームに起用し、意匠を移設するなどして、ロビーは引き継ぐと発表した[23]。これによって、吉郎が設計した旧本館ロビーにあった古墳時代の首飾りをイメージした照明「オークラ・ランターン」、日の光やわらかに塞く麻の葉紋様の木組み格子など、和の文様と装飾で彩られ高く評価された空間が吉生の設計のもと、プレステージタワーのロビーに再現され[25]、ヘリテージウイングのロビーには、旧本館平安の間で使用されていた京都西本願寺が所蔵する国宝「三十六人家集の料紙」を模した壁面装飾が移設された[26][24]。
プレステージタワー、ヘリテージウイングおよび大倉集古館に囲まれた場所に、谷口吉生の提案によりつくられたThe Okura Tokyoの顔となる広場[24]。噴水がある大きな水盤を設け、その中に六角形の島を置いた[24]。水盤には時間の経過によりさまざまな情景が映しだされるという[29]。
The Okura Tokyoやオークラ スクエアの整備の関係から大倉集古館は約6m曳家され[10]、地下を増築して収蔵庫を新設し、これまであった霊南坂側の塀は取り除かれた[25]。誰でも気軽に入ることができる、より開放的な空間が創出され、界隈の防災拠点としての役割も担っていく[29]。
2007年に大阪の船場吉兆で起きた牛肉の産地偽装事件の際には、「素材の安定的な仕入れが保証できない場合、メニューから産地を限定する表現を緩めるようにしている。」とコメントしていたにもかかわらず[37]、2013年11月7日、ホテルオークラの宇多憲治上席執行役員(当時)、成瀬正治取締役(当時)、鈴木隆太郎広報担当部長(当時)らは消費者庁クラブにて、運営する13ホテルと関連会社3社のレストランや宴会場、ルームサービスなどにて提供した「計235品目の使用食材とメニュー表示が異なっていた」、「信頼と期待を裏切ったことをおわびする」と発表した[38]。これまで虚偽の表示で販売された総数は計約38万6千食、販売額は計約8億7千万円にも上り、同社は利用を確認することができれば返金には応じるとしている[39]。
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