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日本のアナウンサー (1950-) ウィキペディアから
梶原 しげる(かじわら しげる、1950年〈昭和25年〉7月26日[1] - )は、日本のフリーアナウンサー。元文化放送アナウンサー。本名は梶原茂。
神奈川県立外語短期大学付属高等学校卒業後、早稲田大学法学部に進学。大学在学中はハワイアンバンド サークル「ナレオ・ハワイアンズ」[3]に在籍。ボーカルを担当(文化放送入社後もバンド活動を続けていたことがあった)[1]。フリーアナウンサー、タレント、ニュースキャスターの宮川俊二はサークルの3年先輩で、元読売テレビ最高顧問の伝川幹、ジャーナリストの後藤謙次、前北海道函館市長の工藤壽樹は(梶原と同じ早稲田大学法学部の)同級生にあたる。
1973年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。その時の新人教育担当アナウンサーは『セイ!ヤング』のパーソナリティを務めていた、みのもんたで梶原は学生時代にラジオを聴いたことが殆ど無く、聞いたことがあったラジオ番組は『大学受験ラジオ講座』だったため、みのを知らなかった[2]。
若手時代はプロ野球中継の実況アナウンサーを務めたが、野球を知らなかったことで野球解説者の別所毅彦に叱られ、以降はスポーツ中継の実況は務めていない。2006年には日韓合作映画『力道山』にプロレス実況アナウンサー役で出演している。
1982年、洋楽チャート番組『オールジャパン ポップ20』のパーソナリティを務める。この時期は本番組でパーソナリティを務めていた縁もあり、ビリー・ジョエル『アレンタウン』日本盤シングルのライナーノーツを手掛けている。
日本テレビ『全国高等学校クイズ選手権』、テレビ朝日『こだわりTV PRE★STAGE』の司会を務め、テレビ番組にレギュラー出演していたことがある。高校生クイズの出演は福留功男の紹介だったという。
演歌を英語に訳して歌うことを趣味としており、自称「イングリッシュ演歌家元 シーゲル・カジワラ」を名乗る。テレビ朝日『題名のない音楽会』に出演(1979年)。八代亜紀の『舟唄』を梶原が英訳して歌唱した『A boatman's song』が宝酒造「宝正宗」のCMに使用されてヒットした(1987年)。当時、発売したアルバム『梶原茂のイングリッシュ演歌』が2007年11月21日にCDとして再発売され、忘年会ソングとして話題となる。宝塚歌劇団の愛好家であることを公言している[1]。
1991年12月31日をもって、文化放送を退社。1992年1月1日に個人事務所「梶原放送局」を立ち上げて、フリーアナウンサーに転身。現芸名(名をひらがな)にした。
2000年4月、東京都北区の東京成徳大学大学院で臨床心理学を専攻して、修士課程修了。認定カウンセラー、シニア産業カウンセラー、健康心理士資格を取得する。2006年4月からは同大学人文学部客員教授に就任。「対人コミュニケーション論」を中心に講義している[2]。2006年度からの中学1年の国語教科書『伝え合う言葉』(教育出版)で著書『口のきき方』(新潮新書)の一部が採用された。
親の介護で実家へ通うために運転免許の取得の必要性が生じた。実家は茅ヶ崎という観光地で休日は渋滞すること、高速道路を利用したい、各種費用という問題から、オートマチック限定免許の自動二輪免許を2005年に取得。
2023年9月5日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)で、アルツハイマー病であることを明らかにした[4]。前年7月頃から、はっきりとした症状が現れたという[4]。
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