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朝まで生テレビ!

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朝まで生テレビ!』(あさまでなまテレビ)は、テレビ朝日が制作・放送する政治関連を中心とした討論番組である。略称は『朝生』(あさなま)。

概要 朝まで生テレビ!, ジャンル ...
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概要

要約
視点

1987年昭和62年)4月25日(24日深夜)放送開始。毎回社会的に賛否の分かれる1つのテーマを設定し、そのテーマに関係する当事者評論家などをゲストに集め討論を行う。初代プロデューサーは大野弘義、ディレクターは日下雄一としてスタートした。その後、プロデューサー日下雄一、吉成英夫、渡辺信太郎他、構成は久利一他、ディレクターは武田一宏、森林華子他、ブレーンは純丘曜彰(純丘皦綺)他[要出典]

当時の深夜番組は『オールナイトフジ』(フジテレビ制作)などといった「お色気路線」が一世を風靡していたこともあり、テレビ朝日の編成局長であった小田久栄門が「深夜から早朝の枠で新しいことをやりたい」とジャーナリストの田原総一朗に提案したことから、本番組が誕生した[1]

放送時間帯が深夜ということもあり、予算などといった、様々な制約があったが、「出演者は(ギャラの安い)文化人とする」、「放送時間は1時から6時とする」[注 4]、「番組内容はこれまでの常識やタブーを打ち破る刺激に満ちたものにする」としたことでこれらの制約をクリアしていった[1]

番組開始当初、このような討論番組は日本には合わないのではないかと思われていたが、取り扱う内容、パネリストの激論、司会役である田原総一朗の、時には強引とも思えるような進行などで視聴者を獲得した。この番組が成功したことで、深夜枠を含め討論番組が幾つか作られるようになった。

今までに取り上げたテーマは政治天皇皇室女性差別朝鮮問題、原子力発電部落差別右翼左翼核兵器経済宗教若者戦後補償安全保障少子高齢化教育援助交際プロ野球テレビ、メディア規制、日本国憲法年金ITアメリカ北朝鮮中国イラク地方自治などと幅広いが、基本的に社会科学系の分野にテーマが集中することが多く、自然科学系の話題が討論テーマに上ることはほとんどない。また、2000年までは少年犯罪キレる若者など、政治以外の社会問題を取り上げることも多かったが、現在では政治以外のテーマを取り上げることはほとんどなくなっている。

タブーとされてきたものを取り上げることもあり、オウム真理教幸福の科学など新宗教関係者を出演させたこともあった。一方、統一教会(旧:世界基督教統一神霊協会、現・世界平和統一家庭連合)は長い間取り上げてこなかったが、2022年9月3日放送回で初めて扱った。

番組テーマ曲は、Jeff Newmann And His Orchestra の「Positive Force」(日本国内でのCDリリースはなし、単曲音楽配信販売)であり、同時期、情報番組『パソコンサンデー』(テレビ大阪制作・テレビ東京系列)でも同曲が使われていた。テーマ曲の音源、番組のタイトルロゴなどのオープニングは、放映開始から同じものを使い続けている。パネリスト登場の際のテーマ曲は、Hypnosisの「Droid」。

2017年4月1日(3月31日深夜)放送分 『激論! 原発事故から6年〜その教訓と課題』で丸30年、360回(番組内呼称は第360弾)を迎えた。

2024年9月までは地上波テレビ朝日系列の各局で毎月最終金曜日の翌日未明(土曜日未明)の時間帯に放送されたが、同年10月から放送局がBS朝日に移動すると共に、毎月最終日曜のゴールデンタイム枠(19:00 - 20:54)に放送時間が短縮された。田原の高齢化により深夜の生放送が難しくなったことを理由としている。時間帯は変わるものの、番組タイトル名は継続する[2][3][4]。地上波における最終回のテーマは同年9月28日未明(27日深夜)に放送された449回「ドーする?!ドーなる?!日本 激論!新総裁誕生」だった[5]

地上波最終回放送後、BSの初回放送予定だった10月27日に第50回衆議院議員総選挙が実施される事となり[6]、初回放送は同年11月3日に急遽延期された[注 5][7]。BS移行後も放送回数をカウントするため、BS初回が記念の450回放送となり、テーマは「激論!与党大敗 ド〜なる?!日本の政治」だった[8][9]

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出演者

要約
視点

総合司会

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司会代理

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討論の司会進行

パネリスト

パネリストとして、ジャーナリスト、研究者、政治家、タレントなど1000人を超える著名人が出演している。
詳細は『朝まで生テレビ!のパネリスト一覧』の項を参照のこと。

主なパネリストの出演変遷

[11][12]

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放送時間・ネット局

要約
視点

地上波時代の放送時間は、12月分を除き基本的にテレビ朝日系列の各局で毎月最終金曜日の翌日未明(土曜日未明)の1:30 - 4:25(以下すべてJST。金曜深夜)であった。当初は1:00 - 6:00で、「CNNヘッドライン」開始に伴い1:10開始となった。2009年9月分までは1:20 - 4:20であったが同年10月分から金曜23時台「金曜ナイトドラマ」の5分延長に伴い5分繰り下がった。2023年10月からはテレビ朝日における金曜深夜帯のミニ番組枠(『港時間』)廃止、ならびに『バスケ☆FIVE〜日本バスケ応援宣言〜』の枠移動に伴いさらに5分繰り下げ、5分短縮となった。BSに移行してからは毎月最終日曜日の19:00 - 20:54となり、地上波時代末期より61分短縮となった。

地上波放送終了時点でのネット局

テレビ朝日系列のうち東日本放送メ〜テレ(2009年10月分より)・琉球朝日放送は、基本的に討論参加者が登場した直後の1:34から飛び乗りで放送していた。(2023年10月からテレビ朝日などのフルネット局では5分繰り下げ、5分短縮となったが、1:34の飛び乗り点に変更がなかったため、この3局のみ5分短縮はない。) 愛媛朝日テレビは2009年9月分まで飛び乗りで放送していたが、自社製作番組が枠移動したことから地上波放送終了までフルネットで放送していた。山形テレビ九州朝日放送は2009年10月分より飛び乗りで放送、地上波放送終了時点ではフルネットで放送していた。北陸朝日放送では2009年10月分から2020年3月分までは1:34飛び乗りで放送、その後地上波放送終了までフルネットで放送していた。

当初は関東ローカルであったが次第にネット局が増加した(1988年の放送時点ではテレビ朝日(ANB)、瀬戸内海放送(KSB)、九州朝日放送(KBC)の3局ネット)。1989年4月から全国ネットになる。飛び乗りポイントは古くから存在し、1:10開始時代は2分間のスポットないしPTののち「朝まで生テレビ・本番3分前」というタイトルで2分間放送し、1分スポットを挟んでから飛び乗りポイントとなり本編となっていた。朝日放送は1988年度から毎週土曜未明の「フリーチャンネル」枠で『朝生』放送日のみネットしており、新聞のラテ欄で1:24開始と表記しているが実際は1:25開始であった。

制作のテレビ朝日は報道番組とは捉えておらず、つまりはTBS系列の協定(通称・JNN排他協定)にも触れないものとみなされ、過去には日本テレビ系列山梨放送フジテレビ系列石川テレビ・TBS系列の山陰放送(不定期放送)、クロスネット局の山形放送(放送当時)・福井放送でも放送されていた。放送当時クロスネット局だった青森放送テレビ信州山口放送テレビ大分テレビくまもとテレビ宮崎では一度も放送されなかった。

CS放送朝日ニュースター2013年4月以降はテレ朝チャンネル2)は、2012年3月放送分で一時終了したが同年10月6日(テレビ朝日系列同年9月放送分)から再開して、原則月初土曜日と月末最終土曜日10:00 - 13:00に放送している。鹿児島放送は編成上 1:25 - 4:24(179分)だが本編の放送時間への影響はなかった。

2024年9月時点
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討論冒頭ではネット局全てがスクロールで紹介されていた。

過去

  • 山形放送(当時日本テレビ系列・テレビ朝日系列。1989年4月分から、山形テレビがテレビ朝日系列に加盟した1993年3月分まで。元日スペシャルは放送なし)
  • 山梨放送(日本テレビ系列。1987年12月分(1988年元日の回)と1988年12月(1989年元日の回)のみ放送)
  • 石川テレビフジテレビ系列1989年4月分から1991年8月分まで放送、北陸朝日放送開局まで。ただし北陸朝日放送開局との兼ね合いで、1991年9月分の麻原彰晃出演分は石川県では石川テレビ・北陸朝日放送とも放送されなかった。元日スペシャルは放送なし)
  • 福井放送(日本テレビ系列・テレビ朝日系列。1993年10月分から1994年3月分まで。元日スペシャルは放送なし)
  • 山陰放送(TBS系列、前述の通り)

BS移行後のネット局

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特別番組・特例編成

大規模な国政選挙衆議院議員総選挙参議院議員通常選挙)が行われた場合、その開票日に行われる『選挙ステーション』の第2部(概ね開票翌日未明0:00前後から3時間程度、2009年の総選挙時は開票翌日未明 0:30 - 3:20まで)で当番組をベースにした討論会が行われる。これは当番組として正式にはカウントされていない。かつては『朝まで生選挙!』[注 7]と題し、『選挙ステーション』とは別枠で放送されていた。サブタイトルは『どーする!?どーなる!?日本の政治』。2013年、2014年、2016年はスポーツ中継の編成上、行われていなかったが、2017年に5年ぶりに開票翌日の未明0:30 - 4:00に行われた。

2023年まで毎年12月分(放送日付上)は、曜日に関係なく、必ず翌年元旦(当年12月31日深夜)に『朝まで生テレビ!○○(西暦年数)元旦スペシャル』と題した放送が行われた(そのため、元旦スペシャルのオープニング内で新年最初のANNニュースを内包する)。元旦の放送時間は末期では 1:00 - 5:50 となっていた。なお、番組初期は12月31日の21:00 - 翌1月1日6:00まで『年越し生テレビスペシャル』として二部構成・三部構成で放送していた。1989年の放送では同年7月に当時交際者だった近藤真彦と、近藤の自宅マンションで自殺未遂を起こし当時活動休止中だった中森明菜の復帰・謝罪会見を独占生中継した。

BS朝日への移行最初となる2025年の元日(テーブル上2024年12月31日深夜)の生放送は行わず、2024年の最終は通常より1週繰り上げの12月22日に定時で放送された「激論!!波乱国会 ド〜なる?!石破政権と日本」だった。
※1999年12月(2000年元旦スペシャル相当)分は、12月31日-1月1日ミレニアム特番『24時間地球大騒ぎ!!カウントダウン2000』が編成され、1日遅れの2000年1月2日未明(1月1日深夜)に「新春スペシャル」として放送され、1996年1997年12月はそれぞれ翌年(1997年と1998年)元日未明が別番組編成であることから1日繰り上げて12月31日未明(12月30日深夜)に放送された。

2012年3月の分は放送日・放送開始時間を通常より前倒しし、東日本大震災東北地方太平洋沖地震福島第一原子力発電所事故)発生から丸1年となる11日(日曜日)未明(10日(土曜日)深夜)に『朝まで生テレビ!スペシャル』が放送された(1:25 - 4:50に放送)。なお、この3月の放送が、通算300回記念放送となった(3月最終金曜日の翌日土曜日となる31日の放送はなかった)。

2016年3月の分も放送日・放送開始時間を通常より前倒しし、東日本大震災発生から丸5年となった12日(土曜日)未明(11日(金曜日)深夜)に放送された。

まれに、カレンダーや特別編成のスケジュールの都合(特に、毎年7月末に全英女子オープンゴルフ、西暦奇数年の世界水泳選手権大会や西暦4の倍数の年の夏季オリンピックや、その2年後の冬季オリンピックアジアオセアニア以外で行われる場合、その時差の都合上)により、翌月分として、当月分の振り替え分を含めて2回分放送するケースもある。

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スピンオフ番組

スマホで“朝生”

テレビ朝日がサイバーエージェントと協業でローンチした、AbemaTVの開局記念としてニュース専門チャンネルAbemaNewsでスタートし、以降不定期で生配信されている討論特別番組。本家『朝生』の司会である田原と堀江が組んで、討論は朝生のセットに看板を掛け替えた朝生のスタジオで討論を行う。当該番組では本家同様Twitterのツイート募集も行うが、AbemaTVのコメント欄でも意見を募る。また、ネット配信番組での編成の自由さを生かし、直前番組の第1部『もうすぐスマホで“朝生”』と番組終了後の打ち上げの第3部『スマホで“朝生”打ち上げ』の模様も番組として配信。

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その他

要約
視点

番組タイトルで「生」を謳って生放送を強調しており、番組中に視聴者からの意見を電話やFAXのほかに電子メールなどで募集する。田丸が司会を務めた時期は番組冒頭の意見募集告知直前に「もちろん今夜も」と述べていたが、事前収録の場合は事前に意見募集できず、番組公式サイトや番組冒頭で告知して田丸の「今夜も」発言はなかった。事前収録は放送前日の午後や夜に多く行われ、撮って出しされている。過去に4回、テレビ朝日以外のANN系列局スタジオで生放送と収録を行なっている。

多人数を動員するイベント型番組であることから現場運営の一部は学生スタッフに委ねられており、山本へるみ(政治家)、坂本忠弘(元財務省官僚)、黒田昌義国交省官僚)、江碕智三郎(外交官)、森崎めぐみ春野恵子中島多圭子高木徹中村百合子石本沙織フジテレビアナウンサー)[21]青木源太(元日本テレビアナウンサー)[21]などを輩出した。

ハイビジョン制作だがアナログ放送でも上下黒帯のレターボックス(現社屋へ移転した2003年9月分の一部以降、VTR及び元旦スペシャル時のANNニュースコーナーのVTRが4:3映像の場合は額縁放送方式)で放送される。モノラル制作(モノステレオ放送)だったが、2010年4月放送分よりステレオ制作(フルステレオ放送)となる。

1988年7月分放送の「徹底討論・原発」は後日CMを除いて再放送した。1988年9月分放送回は「昭和63年秋 オリンピックと日本人」と表向きのタイトルを付けられていたが、企画段階より討論テーマは天皇制論議が企図されていた。天皇制を論じることを隠した発想は天皇制議論はいわゆる菊タブーへの挑戦であり、昭和天皇は危篤状態であることから右翼勢力などの妨害が想定され、対策として「スネークインスネークアウト」の方針が採用された。あらかじめ出演者の舛添要一猪瀬直樹に切り出し役を依頼し、当時開催されていたソウルオリンピックに関連したナショナリズムの話題から天皇制へ議論を転換させる筋書きであった。この回の一部は、2009年2月1日に放送されたテレビ朝日50周年記念番組で放送された。

1990年6月分放送の「激論!日米安保!!米の狙いと日本の選択」で、田原が番組冒頭にパネリストの西部邁が安保闘争で死亡した学生運動家の樺美智子と恋愛関係にあったような発言をしたため、西部が激怒しスタジオから出て行ってしまった。後に田原は西部に謝罪した。

1992年6月分放送の「激論!どこへ行く!?自衛隊!!第2弾」で観客席の学生が番組終了後に激高し、パネリストとして出演していた自民党の柿澤弘治衆院議員(当時外務政務次官)につかみかかり、シャツが破れ眼鏡が壊れるなど被害が出た。後に学生が柿澤氏に謝罪したため事件にはならなかった。

2007年3月分放送の「東京北京を繋いで大激論!」では史上初の日中同時放送を行い、日本側では副音声中国語による2か国語放送が実施されたが、北海道テレビ札幌地区除く)と時差放送となった音声信号が常時ステレオのCS朝日ニュースターは中継回線使用料や放送設備都合など諸般の事情で実施されなかった。

番組終了時刻が早朝6時の時期は『やじうまワイド』と同様に塩田丸男が朝刊記事のトピックを紹介するコーナーがあったが、番組終了は1993年4月分より5時、現在は4時25分である。

スタジオ内へ観客として時事関心を持つ学生を複数の組織から招き入れ、田原が「あとで学生さんからも聞いてみようと思います」と2 - 3人に意見を述べる時間を与えていた。学生参加者が事前に記述したアンケートを元に発問する場合もあり、革マル派活動家がアジテーションを始めて田原と激論して物議を醸した。

メ〜テレではアニメの放送時間と重複し、月に一度アニメが休止していたが現在は土曜未明(金曜深夜)のアニメ枠は廃止されている。制作局のテレビ朝日では、2009年10月分以降当該時間に『お願い!ランキング』を放送しているが、2011年10月分から、当番組放送日には休止としている。2013年3月分をもって『お願い!ランキング』の金曜版の放送が終了。2022年4月分以降は当該時間に『東京トキメキ百貨店』・『BeauTV〜VoCE』・『バラバラ大作戦』を放送しており、同様に当番組放送日には休止。

毎年10月分は、朝日放送テレビABCチャンピオンシップゴルフトーナメントの録画中継をローカルで放送することに配慮して、その大会が10月最終金曜の翌日土曜に重なる場合1週前倒しで放送することもある。

2011年1月分(29日)はAFCアジアカップ2011・3位決定戦を放送予定していたため、1週繰り下げ2月5日に放送した。

2010年12月分(2011年1月1日放送)の元旦スペシャルではTwitterとの連動という新しい試みが行われたが、視聴者からの投稿では番組がTwitterを使いこなせていないというものが多く、出演者の間に笑いが起こった。

2010年から2016年まで、北海道テレビが北海道ローカルで「北海道 朝まで生討論」を不定期に放送していた。

2013年7月分は本来当たる7月27日と翌週の8月3日が世界水泳バルセロナ(8月3日のみ全英リコー女子オープンと重複)の中継を放送するため、2週繰り下げて、8月10日 1:55- 4:55(9日 25:55 - 28:55)に放送。

2014年11月29日放送分では、同年12月2日公示・12月14日施行の第47回衆議院議員総選挙に関する討論を実施することになっており、荻上チキ小島慶子が一旦は出演を依頼されたが、直前にテレビ朝日側の意向で出演を取り止めることになった。荻上らはテレビ朝日から「中立・公正性の担保」を理由に断られたと主張している[22]

2017年4月13日には港区にて「『朝まで生テレビ!』30周年記念の集い」を開催。歴代キャスターの田丸美寿々丸川珠代を始め、歴代4811人の論客から石破茂平沢勝栄山本一太辻元清美福島瑞穂猪瀬直樹西部邁百地章吉崎達彦高森明勅鈴木邦夫雨宮処凛田岡俊次荻原博子川村晃司飯田哲也池田信夫岩田温駒崎弘樹荻上チキ津田大介古市憲寿三浦瑠麗などが出席した。会場では第1回放送(1987年4月24日)の映像や、故人となった名論客の野坂昭如大島渚の写真が映し出された。

2020年8月14、15日に掛けて戦後75年企画として、田原が厳選「日本の戦争と平和」をテーマに印象に残る放送回8回分を厳選した、「戦後75年企画 田原総一朗が厳選「朝まで生テレビ!激論!“日本の戦争と平和”」」をテレ朝チャンネル2にて編成され、27時間一挙放送された[注 8][23]

嘗てはパネリストの話を田原が途中で遮る事が屡々あったが、ここ数年は田原が高齢である事からその様な事は殆ど無くなり、むしろ、パネリストがプレゼンテーション的に話して田原がそれを黙って聞く事が多くなった。

番組初期は田原の背後に討論のテーマ(激論!ド〜する○○)がスタジオセットとして掲げられていたが、討論内容が左右に飛び過ぎてワンテーマで議論できなくなってきたため、1993年春ごろからマルチスクリーンを設置して、討論のテーマの他にパネリストの表情やスタジオの風景を映し出すようになった。

パネリストの登場曲は1989年元旦スペシャルから流れるようになった。それ以前は音楽なしで登場したり、先にパネリストが着席していて渡辺らが紹介したりしていた。

初期の登場シーンはパネリストはホリゾントの前に列をつくってスタジオに入場した。1989年大晦日の年越しスペシャルから番組のロゴの前に立って入場するようになった。

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批判された発言

  • 2009年4月25日の放送において、田原総一朗が北朝鮮による日本人拉致被害者について、既に死亡しており外務省もそれを承知しているとの発言をおこない、拉致被害者家族会はBPO(放送倫理番組向上機構)に「重大な人権侵害である」と人権侵害の申し立てを行った[24]。BPOは「人権侵害には当たらないが事実と異なる発言は放送倫理上問題がある」との見解を出した[25]
  • 2016年1月1日放送の『激論! 安倍政治 国民の選択と覚悟』において、安倍政権の経済政策(アベノミクス)の成果をめぐってパネリストたちと観覧客の建築板金業者の男性が意見交換していた際に、男性観覧客が「我々の業界(建築板金業)だけで言うと、あまり効果的には伝わっていないという印象」と述べたことに対し、田原総一朗が「民主党政権でも安倍政権でも同じ?」と質問したところ、男性が「民主党政権の時よりはまだ良いかな」と返す場面があった。しかし、その男性は自民党に所属する大森昭彦東京都大田区議であったことが発覚し、議員としての肩書を外して出席していたことから問題となった。大森区議は「議員という立場ではなく零細企業の経営者として意見を述べた。問題はない」と説明し、「テレビ朝日のスタッフと20年以上前から知り合いで、2003年に区議になる前から今までに20回くらいは観覧し、発言もしてきた。私が区議であることをスタッフは知っていた」と明かした。テレ朝広報部は「自民党の区議会議員という情報を、プロデューサーや出演者を含め番組内で共有できず、結果的に議員でもあることを紹介できなかった」「視聴者には説明不足となり、申し訳なく思っている」と謝罪した。この件について田原は「自民党の区議にしゃべらせるならば民主党や他の野党の区議にも話す機会を与えなければ不公平だ」「番組終了後に責任者のディレクターを呼んで、かなり叱りました」と話した[26][27]
  • 2018年1月1日の放送において、村本大輔が「(尖閣諸島を中国に侵略された時は)取られてもいいです。僕は明け渡します」「(沖縄は)もともと中国から取ったんでしょ」などと発言。他のコメンテーターや視聴者から非難が集中し、村本のTwitterは炎上した。後に沖縄を中国のものとしたことについては琉球王国冊封関係を拡大解釈したものだったと反省した[28][29][30]
  • 2019年11月29日深夜の放送で田原総一朗が「ベネッセが自民党の下村博文衆議院議員に二千数百万円の献金をしている」との発言をしたが、下村は自身のフェイスブックでその事実を否定[31]。テレビ朝日もそのような事実はなかったとして、同年12月6日から7日にかけて、公式ホームページとツイッター、『スーパーJチャンネル』にて訂正・謝罪した[31][32]。また、2020年1月1日の元旦スペシャルにおいて、田原本人が事前収録のVTRにて謝罪をした。
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テーマの一覧

目次
さらに見る 1980年代, 1990年代 ...
  • 放送日の欄は金曜日の日付ではなく、放送開始時刻の日付(多くの場合土曜日)で統一している。
  • 正確な放送日が不明の場合、暦日上翌月1日の未明早朝あるいはそれ以降の日に放送された回でも、当月分として記載。

1980年代

さらに見る 回, 放送日 ...

1990年代

さらに見る 回, 放送日 ...

2000年代

さらに見る 回, 放送日 ...

2010年代

さらに見る 回, 放送日 ...

2020年代

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書籍

特定の回の討論を活字化(テキスト化)した書籍が、複数出版されている。

  • 朝まで生テレビ! 原発(テレビ朝日、1988年12月、ISBN 4-88131-117-4
  • 朝まで生テレビ! 原発2(テレビ朝日、1989年3月、ISBN 4-88131-121-2
  • 生テレビ熱論 天皇(テレビ朝日、1989年8月、ISBN 4-88131-124-7
  • 朝まで生テレビ! オレにも言わせろ! 日本人とプロ野球(テレビ朝日、1989年10月、ISBN 4-88131-140-9
  • 朝まで生テレビ! 社会主義よどこへ行く(テレビ朝日、1989年11月、ISBN 4-88131-141-7
  • 朝まで生テレビ! なるか野党連合(テレビ朝日、1989年12月、ISBN 4-88131-143-3
  • 朝まで生テレビ! 激論 マスコミ&ジャーナリズム(テレビ朝日、1989年12月、ISBN 4-88131-129-8
  • 朝まで生テレビ! 激論! 消費税(テレビ朝日、1989年12月、ISBN 4-88131-142-5
  • 朝まで生テレビ! 激論!! 外国人労働者(テレビ朝日、1990年2月、ISBN 4-88131-145-X
  • 朝まで生テレビ! どうする? どうなる? 90年代日本(テレビ朝日、1990年5月、ISBN 4-88131-152-2
  • 朝まで生テレビ! 激論! 日本の右翼(テレビ朝日、1990年6月、ISBN 4-88131-154-9
  • 朝まで生テレビ! 激論!! 少年凶悪犯罪(テレビ朝日、1990年8月、ISBN 4-88131-155-7
  • 朝まで生テレビ! 構造協議の果てを読む 激論!! 日米新時代(テレビ朝日、1990年9月、ISBN 4-88131-157-3
  • 朝まで生テレビ! 激論 海外派遣か!? 自衛隊(テレビ朝日、1992年10月、ISBN 4-88131-180-8
  • 朝まで生テレビ! 日本はなぜ負ける戦争をしたのか(アスキー、2001年8月、ISBN 4-7561-3859-4
  • 朝まで生テレビ!「愛国心」「国益」とはなにか。(アスコム、2004年1月、ISBN 4-7762-0133-X
  • 朝まで生テレビ! 徹底討論! 皇室は必要か(PHP研究所、2004年8月、ISBN 4-569-63853-8
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関連項目

  • サンデープロジェクト - 1989年4月2日から2010年3月28日まで、毎週日曜 10:00 - 11:45に同系列局で放送されていた討論番組。当番組の討論司会である田原も出演していた。
  • 激論!クロスファイア - 2010年4月から、BS朝日で放送される討論番組。討論司会は田原。本番組のBS移行後は、本番組放送予定日以外の放送となっている。
パロディ

脚注

外部リンク

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