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アイアンリージ

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アイアンリージ(Iron Liege)[1]とは、アメリカ合衆国生産の競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1957年ケンタッキーダービー。種牡馬としてフランス、その後日本に輸出された。

概要 アイアンリージ, 欧字表記 ...
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経歴

ケンタッキーダービーの他にジャージーステークス1着、プリークネスステークス2着等があり、全成績は33戦11勝、総獲得賞金は404,169ドルである。生産・馬主はカルメットファーム。主戦騎手はビル・ハータック、調教師はホレス A.ジョーンズ。

同世代はギャラントマンラウンドテーブルボールドルーラー等がいるアメリカ競馬史上屈指の世代として知られ、アイアンリージはこれらを下してケンタッキーダービーに勝利した。ただし、ハナ差で下した2着ギャラントマンの騎手ウィリアム・シューメーカーは、一度先頭に立ちながらもゴール板を間違え後退している。3着ラウンドテーブル、4着ボールドルーラーは突き放しており、この世代トップクラスの実力を持っていた馬であった。

種牡馬

競走馬を引退後、アイアンリージはフランスのオーナーブリーダーであるマルセル・ブサックに購入され、1959年から1967年までフランスで供用されていた[2]。フランスでの種牡馬成績は、1971年末時点で産駒の勝鞍が120勝、産駒の総獲得賞金は2,756,316フランであった[c 2]。フランスでの主な産駒には、ラコンコルド賞勝ち馬イロール(Iror)、ラグランジュ賞勝ち馬コーデュロイ(Corduroy)、パース賞勝ち馬アドガー(Adjar)がいる[c 1]

その後アイアンリージは1967年12月[c 2]日本日本軽種馬協会によって購入され、栃木県西那須野町の那須種馬場に繋養[c 1]、のちに北海道静内町の静内種馬場へと移された[2]。1972年に静内にて、心筋梗塞により死亡した[2]

日本においては有馬記念に優勝したストロングエイトの父として知られる。以下は日本における主な産駒とその勝鞍である[4][c 2]

また、母父としての主な産駒に以下のものがいる[10]

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血統表

アイアンリージ血統(血統表の出典)[§ 1]
父系テディ系
[§ 2]

Bull Lea
1935 黒鹿毛
父の父
Bull Dog
1927 黒鹿毛
Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
父の母
Rose Leaves
1916 青鹿毛
Ballot Voter
Cerito
Colonial Trenton
Thankful Blossom

Iron Maiden
1941 鹿毛
War Admiral
1934 黒鹿毛
Man o'War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
母の母
Betty Derr
1928 鹿毛
Sir Gallahad Teddy
Plucky Liege
Uncle's Lassie Uncle
Planutess F-No.A4
母系(F-No.) (FN:A4) [§ 3]
5代内の近親交配 Bull Dog・Sir Gallahad 2 × 3 = 37.50% [§ 4]
出典

母アイアンメイデンはデルマーハンデキャップなど12勝を挙げた馬で、アイアンリージ以外ではアメリカ殿堂馬スワップスの母となるアイアンリワード(Iron Reward)を産んでいる。母母ベティデルはラトニアオークス優勝馬。3代母のアンクルズラッシーは1929年のケンタッキーダービー優勝馬クライドヴァンデュッセン(Clyde Van Dusen)の母でもあった[c 3]

脚注

参考文献

外部リンク

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