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プリークネスステークス
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プリークネスステークス(Preakness Stakes)はアメリカクラシック三冠の第2冠として、メリーランド州ボルティモアにあるピムリコ競馬場のダート1マイル3/16(9ハロン1/2・約1911メートル)で行われる競馬の競走である。
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概要
ケンタッキーダービーの2週間後に行われるが、かつてはケンタッキーダービーよりも先に開催された年度もあった。前日には牝馬限定のG2競走・ブラックアイドスーザンステークスが行われる。
また出走条件は3歳限定だがケンタッキーダービーやベルモントステークスと同様に性別による出走制限はなく、騸(せん)馬の出走も可能である。多くの場合はケンタッキーダービーを経由してこの競走に出走してくるが三冠競走の中ではもっとも距離が短いこともあり、ケンタッキーダービーに出走しなかったマイル路線組が登録することも多い。
競走の創設はケンタッキーダービーよりも2年早い1873年で、競走名は1870年にピムリコ競馬場がオープンされた時に行われたディナーパーティーステークスの優勝馬・プリークネスを記念して当時のメリーランド州知事オーデン・ボウイによって命名されたものである。
出走馬の本馬場入場時にメリーランド・マイ・メリーランドを観客全員で歌うのが習慣となっている。優勝馬にはメリーランド州の州花でもあるブラックアイドスーザンのレイが掛けられ[注 1]、優勝馬の馬主には「ウッドローンの瓶」のレプリカが贈られる。
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歴史
- 1873年 - 創設される。当初の施行距離は1マイル1/2(12ハロン・約2410メートル)。
- 1889年 - 施行距離が1マイル1/4(10ハロン・約2010メートル)に変更されるが、翌年元に戻る。
- 1890年 - 1889年にメリーランドジョッキークラブがギャロップ競走を中止したため、ニューヨーク州のモーリスパーク競馬場でプリークネスハンデキャップとして代替開催される。
- 1891年〜1893年 - 開催休止。
- 1894年 - ニューヨーク州のグレーヴセンド競馬場に移設して開催される。施行距離が1マイル1/16(8.5ハロン・約1710メートル)に変更される。
- 代替開催されていた期間の競走については、1948年になってプリークネスステークスとして公式に記録されることになった。その期間内の競走は「失われたプリークネス」と呼ばれている。
- 1901年 - グレーヴセンド競馬場からピムリコ競馬場に開催場所が戻り、施行距離が1マイル70ヤード(約1670メートル)に変更される。
- 1908年 - 施行距離が1マイル1/16で開催される。
- 1909年 - 施行距離が1マイル(8ハロン・約1600メートル)に変更される。
- 1911年 - 施行距離が1マイル1/8(9ハロン・約1810メートル)に変更される。
- 1917年 - かつて存在したウッドローン競馬場を記念した「ウッドローンの瓶」レプリカの贈呈が初めて行われる。
- 1918年 - 26頭の登録があり、分割競走として施行される。
- 1925年 - 施行距離が1マイル3/16(9.5ハロン・約1911メートル)に変更される。
- 1948年 - CBSによる、テレビでの放映が始まる。
- 1985年 - タンクズプロスペクトが1分53秒40のレコードタイムを記録する。
- 1996年 - ルイカトラズが1分53秒40のレコードタイムのタイ記録で優勝する。
- 2006年 - 1番人気のバーバロが、スタートして100ヤードほど進んだところで競走中止になる。
- 2009年 - レイチェルアレクサンドラが牝馬として85年ぶりの優勝。
- 2012年 - セクレタリアトが優勝した第98回プリークネスステークスの公式タイムが、メリーランド州競馬委員会により1分53秒0に修正される。
- 2020年 - 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で5月16日に開催予定だったが、延期(10月3日開催)になった。
- 2026年 - ピムリコ競馬場の改修工事に伴い、ローレルパーク競馬場で代替開催予定[3]。
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歴代優勝馬
日本調教馬の成績
→詳細は「日本調教馬の日本国外への遠征 § プリークネスステークス」を参照
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脚注・出典
関連項目
外部リンク
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