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アジアタッグ王座
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アジアタッグ王座(アジアタッグおうざ)は、かつて日本プロレスが創設した王座。管理権が全日本プロレスに移行後、PWFの認定となった。正式名称はオールアジアタッグ王座。本項では1976年に新日本プロレスが創設した新日本版王座についても記載している。
歴史
要約
視点
日本プロレス版
日本プロレス時代
1955年11月に日本プロレスがアジアのシングル・タッグ両王者を決定するためのアジア選手権を開催し、そのタッグ部門で優勝したキングコング&タイガー・ジョキンダーをアジアタッグ王者として認定したのが始まりである。力道山&豊登が3代目の王者になって以来、日本プロレスの看板タッグタイトルとして幾多の名勝負が繰り広げられた。
日本プロレスがジャイアント馬場をエースとする時代に入り、インターナショナル・タッグ王座が日本に持ち込まれると二番手に降格された。とはいえ、当時の挑戦者チームには、ドリー・ファンク・ジュニア&ハーリー・レイス、アブドーラ・ザ・ブッチャー&カリプス・ハリケーン、クリス・マルコフ&ブル・ラモス、ジン・キニスキー&キラー・カール・コックスなどの強力チームも名を連ねている[1]。ジ・アサシンズ(トム・レネスト&ジョディ・ハミルトン)、ブロンド・ボンバーズ(リップ・ホーク&スウェード・ハンセン)、ミネソタ・レッキング・クルー(ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)、ジョニー・バレンド&マグニフィセント・モーリスの伊達男コンビ、ネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズの牧童コンビ、ブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアスの泥棒コンビ、アル・コステロ&ドン・ケントの2代目ファビュラス・カンガルーズなど、当時のアメリカン・プロレス界を代表する「タッグ屋」の挑戦も受けた[1]。
当初、プロレス界でタッグ王者に授与されるのはトロフィーだったが、アジアタッグは1966年12月3日に第18代王者の吉村道明&大木金太郎からは、二頭の麒麟がデザインされたベルトとなった。
日本プロレス崩壊後は他のタイトルとともに全日本プロレスに受け継がれたが、全日本側は崩壊当時の王者チームであるグレート小鹿&松岡巌鉄組に防衛戦をさせる気がなく、一時的に王座は休眠状態となる。
全日本プロレス時代
1976年に新日本プロレスがアジアヘビー級王座・アジアタッグ王座の創設を表明(後述)すると、全日本は対抗策として日本プロレス時代のアジアヘビー級王座とアジアタッグ王座の復活を計画し、同団体崩壊時の社長だった芳の里がNWAに申請する形で復活の許諾を得る。
この時の復活王者はグレート小鹿&大熊元司の極道コンビで、これ以降、若手選手と中堅選手によるタイトルという性格となり、現在では主力選手への登龍門と化している。もうひとつのタッグ王座である世界タッグ王座と比較すると軽視されがちであるが(1980年代にはアジアタッグ王者が世界最強タッグ決定リーグ戦に出場できないことも珍しくなかった)、60年以上の歴史を持つ、日本最古のベルトである。
2019年8月15日、旧来のベルトの老朽化に伴い、チャンピオンベルトを新調。第108代王者のジェイク・リー&岩本煌史組が、8月24日の美幌町で行われた選手権試合より使用している[2]。
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歴代王者
要約
視点
新日本プロレス版
1976年2月、新日本プロレスが「アジア王者がいないのはおかしい」との理由で独自にアジアヘビー級王座とアジアタッグ王座の新設を発表。王座決定リーグ戦を経て、初代アジアタッグ王者チームに坂口征二&ストロング小林を認定[4]。その後、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助にタイトルは移動したが[4]、定着することのないまま短期間で休眠状態になった。なお、アントニオ猪木は初代アジアヘビー級王者を決めるアジアリーグ戦の参加を辞退して、シンを相手にNWFヘビー級選手権試合を行なっている[† 32]。
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新日本プロレス版歴代王者
備考
- アジア選手権のシングル王者が認定されたアジアヘビー級王座も同様に力道山によって設立されて日本プロレスから全日本プロレスに受け継がれた。1977年に王者である大木金太郎がジャイアント馬場とのタイトルマッチに敗れた際に新王者の馬場が王座の封印を宣言。1981年に大木が所持していたインターナショナル・ヘビー級王座を返上する代替としてアジアヘビー級王座の返還を受けて、そのベルトを所持したまま大木が引退したため、長い間タイトルがうやむやな状態になっていた。2018年1月に韓国で王座決定トーナメントが開催されて優勝した崔領二が新王者に認定されている[† 33]。
- 馬場が挑戦した最後の王座が1989年3月27日に小橋健太とタッグを組み、川田利明&サムソン冬木組に挑戦したアジアタッグ王座だった。なお、馬場が初めて獲得した王座も1964年5月29日に豊登とタッグを組み、ジン・キニスキー&カリプス・ハリケーン組に挑戦して獲得したのがアジアタッグ王座である。
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脚注
外部リンク
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