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エスキル・スッター
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エスキル・スッター[1]( Eskil Suter, 1967年1月28日 - ) は、スイス・チューリヒ州トゥルベンタール出身の元オートバイレーサー。現在はスッター・レーシング・テクノロジー (SRT) を率い、レース用オートバイの製作に携わっている。
ライダーとしての経歴
要約
視点
1991年、ロードレース世界選手権250ccクラスにデビュー。Mohagチームでアプリリアのマシンを駆り6シーズンを戦ったが、最高位は1996年のダッチTTでの5位に留まり、目立った成績は残せなかった。1996年シーズン終了をもってグランプリの表舞台から一旦退くが、1998年には最高峰500ccクラスに参戦するMuZチームのレギュラーライダーであるドリアーノ・ロンボニが第2戦マレーシアGPで負傷したために、テストライダーを務めていたスッターがその代役に抜擢された。マシンの開発を続けながら8戦に出場、3戦でポイント圏内での完走を記録した。
ロードレース世界選手権 戦績
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スッター・レーシング・テクノロジー
要約
視点
1996年、スッターは母国スイスでスッター・レーシング・テクノロジー ( Suter Racing Technology AG, SRT ) を設立した[2]。以来同社はロードレース世界選手権、スーパーバイク世界選手権等を戦うレーシングマシンのデザイン・制作等を手がけている。
開発に携わった主なマシン
MuZ500 (1999年)
1998年にはスッター自身が開発ライダーを務め、レースにも出場していたMuZ500を、翌1999年にはSRTがマシンデザインを請け負うことになった。エンジンは前年から引き続きスイスオート社製、実際のマシン制作はイギリスの Fabrication Techniques 社が担当した。このマシンを駆ってユルゲン・ファン・デン・グールベルクが2度ポールポジションを獲得し、チーム合計獲得ポイントでは前年の11ポイントから64ポイントへと躍進を見せた。

ペトロナス・FP1 ( 2002年 - 2005年 )
SRTは、スーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦したペトロナス・FP1の3気筒900ccエンジンのデザイン・開発を担当した[3]。元SBK世界チャンピオンのカール・フォガティ率いるフォギー・ペトロナスチームが2台のマシンを走らせ、2004年シーズンには2度のポールポジション、2度の表彰台を獲得している。
カワサキ・ZX-RR ( 2004年 - 2006年 )

2004年から2006年にかけて、カワサキ・ZX-RRはエンジンを川崎重工業が、シャシーデザイン・開発担当がSRTという体制で作られ、ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦した[3]。この3年間で中野真矢、オリビエ・ジャックらのライディングにより3度の表彰台を記録した。
→詳細は「カワサキ・ZX-RR」を参照
イルモア・X3 ( 2006年 - 2007年 )

マリオ・イリエン率いるイルモア・エンジニアリングがエンジン担当、SRTはシャシーデザインから制作までを引き受けた[3]。MotoGP2006年シーズン終盤2戦に翌年からのレギュレーション変更を見越した800ccマシンでギャリー・マッコイをライダーにテスト参戦し、ポイントを獲得した。2007年シーズンからフル参戦を開始する予定だったが、資金難によりイルモアチームは開幕戦カタールGPを戦っただけで撤退となった。
スッター・MMX ( 2010年 - )

2010年シーズンよりロードレース世界選手権250ccクラス後継として、新たに4ストローク600ccエンジン(ホンダ製ワンメイク)を使用するMoto2クラスが始まった。クラス初年度は総勢40台、14ものシャシーコンストラクターが参戦する中で、SRTが供給するスッター・MMXは11台と最多数になった[4]。初レースの開幕戦カタールGPではスッター・MMXを駆る富沢祥也が勝利を挙げ、その後ジュール・クルーセル、ロベルト・ロルフォ、ステファン・ブラドルが1勝ずつを挙げた。年間ランキングではフリアン・シモンが2位を記録。コンストラクターズ部門では初代チャンピオンに輝いた。
再びMotoGPへ ( 2012年 - )
2012年よりMotoGPクラスのレギュレーションが改定され、市販車ベースのエンジンの使用が認められるのを見越して、SRTはBMW・S1000RR用のエンジンを積んだプロトタイプマシンの開発を進めている[5]。
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脚注
外部リンク
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