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2007年のロードレース世界選手権
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2007年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第59回大会となる。
2007年の FIMロードレース世界選手権 |
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前年: | 2006 | 翌年: | 2008 |

シーズンの概要
要約
視点
2007年シーズンからの重大な変更点として、MotoGPクラスのエンジン排気量の上限が990ccから800ccに引き下げられたことが挙げられる。この変更によりエンジンパワーは低下したものの、開幕前のテストではブレーキポイントを遅らせ、コーナリングスピードを向上させることによって早速990ccマシンのレコードタイムが破られることになった[1]。
800cc化が発表された時、既存の990ccV5エンジンを1気筒減らすことによって比較的簡単に対応できるホンダがアドバンテージを持つだろうと推測されていた。しかし実際には、ホンダは800cc化によって最も成績を落としたマニュファクチャラーとなってしまった。前年度チャンピオンのニッキー・ヘイデン(レプソル・ホンダ)や、サテライトチーム勢の多くが新マシンのRC212Vへの順応に苦しむ中、ヘイデンのチームメイトのダニ・ペドロサが孤軍奮闘して何とかシーズン2勝・シリーズ2位に入ったものの、連勝街道を築いてワールドチャンピオンに輝いたドゥカティのケーシー・ストーナー、スズキにMotoGP初勝利をもたらしたクリス・バーミューレン、自身初の表彰台を獲得してシリーズ4位に入ったジョン・ホプキンスらの躍進を許すことになった。カワサキ勢もうまく新レギュレーションに対応して好成績を残した。
排気量縮小に加えて、MotoGPクラスでは1回のグランプリに1人のライダーが使えるタイヤの総数が31本(フロント14本・リア17本)に制限されることになった[2]。本数制限に伴い、タイヤの事前登録制(レースウィークの木曜日に、各タイヤメーカーが使用するタイヤをFIMに登録する)も導入された[2]。ただし対象となるのは「2005年以降に2勝以上を挙げたタイヤメーカー」のみとされ、この間未勝利だったダンロップは制限の対象外となった。この制限は1つのタイヤの路面温度・トラック状況への適応範囲がミシュランより広いブリヂストン勢にとってアドバンテージとなった[3]。また前年までミシュランは、主に欧州においてレースウィークの金曜日の結果を受けてタイヤを製造しサーキットに搬入することでブリヂストンに対する優位を得ていたが、事前登録制導入に伴いその手法が使えなくなった[2]。ミシュランを履くバレンティーノ・ロッシを始めとしたトップライダー勢からの不満、TV中継の視聴率低下を受けて、MotoGPを主催するドルナCEOのカルメロ・エスペレータはタイヤのワンメイク化を提案することになった[4]。結果としては使用可能タイヤ本数が9本追加され、ロッシは翌2008年シーズンよりブリヂストンにスイッチすることになった。(タイヤのワンメイク化は2年後の2009年に、ミシュランの撤退によって実現することとなる)
250ccクラスでは、この年の6月に翌シーズンのフィアット・ヤマハからのMotoGPクラスデビューを決めたホルヘ・ロレンソが他を寄せ付けない強さでシリーズ2連覇を果たした。125ccクラスではガボール・タルマクシがハンガリー人初のワールドチャンピオンに輝いた。
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グランプリ
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ポイントランキング
要約
視点
ポイントシステム
上位15名のライダーにポイントが与えられる。ポイントの授与はレースを完走することが条件となる。
ライダーズ・ランキング
- 背景が水色のライダーはルーキー・オブ・ザ・イヤーへの挑戦資格を持つ。
- 背景が水色のラウンドではウェットレースが宣言された。
MotoGPクラス
250ccクラス
250ccクラス ワイルドカード/代理ライダーの成績
125ccクラス
125ccクラス ワイルドカード/代理ライダーの成績
マニュファクチャラーズ・ランキング
- それぞれのGPで、各マニュファクチャラーのバイクを駆るライダーのうち最上位の者のみのポイントがマニュファクチャラーズ・ポイントに加算される。
MotoGPクラス マニュファクチャラーズ・ランキング
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エントリーリスト
要約
視点
MotoGPクラス エントリーリスト
シーズン中の変更
- 2007年3月15日、イルモア代表のマリオ・イリエンは資金面の問題からMotoGP参戦を休止することを発表した[5]。
- オリビエ・ジャックは中国GPのプラクティス中のクラッシュで腕に重傷を負い、2戦欠場。フランスGPではフォンシ・ニエトが代役を務めた[6][7]。
- チーム・ロバーツはイタリアGPから2台体制に拡大。カーチス・ロバーツがセカンドライダーを務めた[8]。
- 6月、ケニー・ロバーツ・ジュニア はシーズン途中に参戦休止を表明。チーム・ロバーツは弟のカーチスの1台体制で残りシーズンを戦った[9]。
- 6月21日、カワサキはオリビエ・ジャックに代わってアンソニー・ウエストが残りシーズンを戦うことを発表した[10]。
- ダッチTTのプラクティス中に、トニ・エリアスは左大腿骨を骨折した[11]。ドイツGPではミッシェル・ファブリツィオが、アメリカGPではミゲル・デュハメルがエリアスの代役を務めた[12]。
- アメリカGP、金曜日の最初のプラクティスでアレックス・ホフマンはシルバン・ギュントーリと絡んで左手を骨折。急遽チャズ・デイヴィスがホフマンの代役を務めた。デイヴィスはこれが初のMotoGPライドだった。続くチェコGPでもホフマンは欠場、イバン・シルバが代役となった。
- その後プラマック・ダンティーンはホフマンを解雇。ポルトガルGPでは伊藤真一が代役を務めた。
250cc エントリーリスト
シーズン中の変更
- ロベルト・ロカテリはスペインGPのプラクティスセッションで重傷を負った。代役ライダーは立てられず、ロカテリはその後フランスGPから復帰した[13]。
- 中国GPの予選でのクラッシュにより、高橋裕紀は左足を骨折、フランスGPを欠場した。代役ライダーは用意されなかった[14]。
- フランスGPより、ヒューマンゲスト・レーシングの公式名称はコプロン・チーム・スコットに変更になった。
- アンソニー・ウエストがMotoGPクラスにステップアップしたことに伴い、イギリスGP以降、後釜はダン・リンフットが務めることになった。また、アルトゥーロ・ティゾンが解雇され、エフレン・バスケスが後継となった[15]。
- ダン・リンフットはオーストラリアGP以降フェデェリコ・サンディと交代になった。
- 関口太郎はチェコGPでの負傷により数戦を欠場、これまで数多くの負傷に悩まされてきた関口は、オーストラリアGPでの復帰以降ゼッケンを変更することになった。
125ccクラス エントリーリスト
シーズン中の変更
- フォンタナ・レーシングは、スポンサーの ISPA が Team Sicilia に移ったことから、スキルド・レーシングにチーム名を変更した。
- ステファノ・ムスコは負傷によりカタールGPとスペインGPを欠場、ディノ・ロンバルディが代役を務めた。のちにロンバルディはムスコに代わりレギュラーライダーに昇格した。
- マイク・ディ・メッリオはスペインGPの予選で鎖骨を骨折、トルコGPではケビン・コフランが代役を務めた。コフランは元々ウィノナ・レーシングから250ccクラスに参戦する予定だったが、チームが撤退していた[16]。
- フランスGP以降、スコット・レーシングチームは公式名称をコプロン・チーム・スコットに変更した.
- イギリスGPで、ディノ・ロンバルディがエンリケ・ヘレスの代役を務めた。
- ポルトガルGP以降、ヒューゴ・ファン・デン・ベルクに代わりステファン・ブラドルがレギュラーライダーになった。
- スキルド・レーシングのフェデェリコ・サンディが250ccクラスにステップアップしたことに伴い、後釜にはオーストラリアGPよりフェルッチオ・ランボルギーニが納まった。
- オーストラリアGPではステファノ・ビアンコの代役をグレン・スコットが務めた。
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脚注
外部リンク
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