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エルマー・デセンス
メキシコの野球選手 (1971-) ウィキペディアから
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エルマー・デセンス・フサイーノ(Elmer Dessens Jusaino, 1971年1月13日 - )は、メキシコ・ソノラ州エルモシージョ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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来歴
要約
視点
現役時代
1993年1月27日にピッツバーグ・パイレーツと契約。
1996年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たすと、1998年に中継ぎを中心として43試合に登板。
1999年3月31日に放出され、同年4月7日に日本の読売ジャイアンツと契約で合意に達し入団。しかし期待にこたえることができず、未勝利のまま同年11月30日に退団。同年12月15日にシンシナティ・レッズと契約した。
2000年にメジャーに復帰後は、2年連続二桁勝利を挙げるなど活躍した。
2002年12月15日に4球団間でのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。
2003年は、序盤戦にエースのランディ・ジョンソンとカート・シリングを怪我で欠く中、チーム最多の30先発を記録するなど、当時新人だったブランドン・ウェブやミゲル・バティスタらと共に苦しい先発ローテーションを支えた。しかし、7回まで投げたのはわずか4試合だった。また、対戦相手の4番打者は被打率.195とほぼ完璧に抑え込んだのに対し、8番打者には被打率.391と打ち込まれた。
2004年8月19日にトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。10月15日にFAとなったが、12月8日にドジャースと再契約した。
2005年11月3日にFAとなり、12月12日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。
2006年は第1回WBCのメキシコ代表に選出。7月25日にトレードでドジャースへ復帰した。
2007年3月26日にトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。8月9日に放出され、8月11日にコロラド・ロッキーズと契約。10月30日にFAとなり、12月21日にピッツバーグ・パイレーツと契約した。
2008年3月27日に放出され、当初はメキシカンリーグでプレーしていたが[1]、8月27日にアトランタ・ブレーブスと契約。11月5日にFAとなった。
2009年は2006年に続いて第2回WBCのメキシコ代表に選出。2月5日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。シーズン途中にメジャー昇格を果たしたものの、7月30日にDFAとなった。しかしジョン・ニースが故障したことにより、8月6日に再びメッツとメジャー契約を結んだ。11月10日にFAとなったが、12月9日にメッツと再契約した。
2010年11月1日にFAとなった。
2011年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーした。この年限りで現役を引退。
現役引退後
2013年にシンシナティ・レッズ傘下ルーキー級アリゾナリーグ・レッズ(ACLレッズ)の投手コーチ補佐に就任し、2014年に投手コーチに昇格。2022年までACLレッズの投手コーチを務めた[2]。
2023年からはロサンゼルス・エンゼルス傘下A級インランド・エンパイア・66ersの投手コーチを務めている[3]。
また、2023年に開催された第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではメキシコ代表のブルペンコーチを務めた[2][4]。
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詳細情報
年度別投手成績
タイトル
- NPB
記録
- NPB
背番号
- 71(1996年 - 1998年)
- 67(1999年)
- 45(2000年 - 2004年)
- 46(2004年 - 2005年)
- 47(2006年)
- 45(2006年 - 2007年)
- 39(2007年)
- 45(2007年)
- 34(2008年)
- 64(2009年 - 2010年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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