トップQs
タイムライン
チャット
視点
オースミシャダイ
ウィキペディアから
Remove ads
オースミシャダイ(欧字名:Osumi Shadai、1986年5月29日 - 2002年12月27日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1990年の阪神大賞典、日経賞。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
Remove ads
戦績
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
1988年11月6日、京都競馬場での3歳新馬戦でデビューし、12着。11月中にもう2戦して3戦目で初勝利を挙げる。400万下条件にあがって2戦ののち、1989年初戦の七草賞で2勝目。きさらぎ賞8着、すみれステークス4着、毎日杯5着としたあと東上し、皐月賞では16番人気ながらドクタースパートの4着に入る。京都4歳特別で2着ののち日本ダービーはウィナーズサークルの12着。中日スポーツ賞4歳ステークスで10頭立ての最下位となって休養に入り、秋は京都大賞典6着から菊花賞に進んで11着。この後福島記念とウインターステークスに出走も、2戦とも掲示板外の成績に終わった。
5歳となった1990年、初戦の金杯(西)、1500万下特別の万葉ステークスを連続3着し、小倉大賞典5着を挟んで出走した阪神大賞典でミスターシクレノンを下して重賞初制覇。続く日経賞もランニングフリー以下をおさえて重賞2連勝を達成する。天皇賞(春)6着後休養に入り、秋はカシオペアステークス4着を経て出走のドンカスターステークスを勝ち、鳴尾記念8着、第35回有馬記念でもオグリキャップの5着に入った。この有馬記念での美浦トレーニングセンターでの直前調教でオグリキャップとの併せ馬の調教を行ったが、武豊曰く「安田記念当時の出来にはとても戻ってなかった」オグリキャップが先着するような調教を行っている[4]。1991年も目黒記念と天皇賞(春)で3着に入り、宝塚記念5着からの休養明けで臨んだ有馬記念でダイユウサクの15着だったのが最後の競馬となった。
Remove ads
競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[5]に基づく。
Remove ads
引退後
馬主の山路秀則が初めて所有した重賞勝ち馬(山路いわく「最初に親孝行してくれた馬」[6])であったオースミシャダイは、競走馬を引退したあと山路の温情により種牡馬となった[6][7]。種牡馬としては10シーズンの供用で血統登録頭数71頭、出走頭数はそのうちの61頭で勝ち馬頭数は45頭を記録[8]。ダートグレードGIのダービーグランプリを優勝したナリタホマレを筆頭に、地方競馬の重賞勝ち馬を送り出した。その後、2002年12月27日に亡くなった[2]。
おもな産駒
血統表
オースミシャダイの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ロベルト系 |
[§ 2] | ||
父 *リアルシャダイ Real Shadai 1979 黒鹿毛 |
父の父 Roberto1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Desert Vixen1970 黒鹿毛 |
In Reality | Intentionally | ||
My Dear Girl | ||||
Deset Trial | Moslem Chief | |||
Scotch Verdict | ||||
母 カスタネット 1980 栗毛 |
*ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | |
Milan Mill | ||||
Miss Charisma | Ragusa | |||
*マタティナ | ||||
母の母 ゲラン1964 栗毛 |
*ソロナウェー | Solferino | ||
Anyway | ||||
*ミスブゼン | Summertime | |||
Imperial Gold F-No.10-a | ||||
母系(F-No.) | ミスブゼン(NZ)系(FN:10-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah 5×5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
Remove ads
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads