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オースミシャダイ

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オースミシャダイ(欧字名:Osumi Shadai1986年5月29日 - 2002年12月27日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1990年阪神大賞典日経賞

概要 オースミシャダイ, 欧字表記 ...
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戦績

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]

1988年11月6日、京都競馬場での3歳新馬戦でデビューし、12着。11月中にもう2戦して3戦目で初勝利を挙げる。400万下条件にあがって2戦ののち、1989年初戦の七草賞で2勝目。きさらぎ賞8着、すみれステークス4着、毎日杯5着としたあと東上し、皐月賞では16番人気ながらドクタースパートの4着に入る。京都4歳特別で2着ののち日本ダービーウィナーズサークルの12着。中日スポーツ賞4歳ステークスで10頭立ての最下位となって休養に入り、秋は京都大賞典6着から菊花賞に進んで11着。この後福島記念ウインターステークスに出走も、2戦とも掲示板外の成績に終わった。

5歳となった1990年、初戦の金杯(西)、1500万下特別の万葉ステークスを連続3着し、小倉大賞典5着を挟んで出走した阪神大賞典ミスターシクレノンを下して重賞初制覇。続く日経賞ランニングフリー以下をおさえて重賞2連勝を達成する。天皇賞(春)6着後休養に入り、秋はカシオペアステークス4着を経て出走のドンカスターステークスを勝ち、鳴尾記念8着、第35回有馬記念でもオグリキャップの5着に入った。この有馬記念での美浦トレーニングセンターでの直前調教でオグリキャップとの併せ馬の調教を行ったが、武豊曰く「安田記念当時の出来にはとても戻ってなかった」オグリキャップが先着するような調教を行っている[4]1991年目黒記念と天皇賞(春)で3着に入り、宝塚記念5着からの休養明けで臨んだ有馬記念ダイユウサクの15着だったのが最後の競馬となった。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[5]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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引退後

馬主山路秀則が初めて所有した重賞勝ち馬(山路いわく「最初に親孝行してくれた馬」[6])であったオースミシャダイは、競走馬を引退したあと山路の温情により種牡馬となった[6][7]。種牡馬としては10シーズンの供用で血統登録頭数71頭、出走頭数はそのうちの61頭で勝ち馬頭数は45頭を記録[8]ダートグレードGIダービーグランプリを優勝したナリタホマレを筆頭に、地方競馬の重賞勝ち馬を送り出した。その後、2002年12月27日に亡くなった[2]

おもな産駒

血統表

オースミシャダイ血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ロベルト系
[§ 2]

*リアルシャダイ
Real Shadai
1979 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Desert Vixen
1970 黒鹿毛
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Deset Trial Moslem Chief
Scotch Verdict

カスタネット
1980 栗毛
*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
Mill Reef Never Bend
Milan Mill
Miss Charisma Ragusa
*マタティナ
母の母
ゲラン
1964 栗毛
*ソロナウェー Solferino
Anyway
*ミスブゼン Summertime
Imperial Gold F-No.10-a
母系(F-No.) ミスブゼン(NZ)系(FN:10-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 5×5=6.25% [§ 4]
出典
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脚注

参考文献

外部リンク

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