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松永昌博

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松永昌博
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松永 昌博(まつなが まさひろ、1953年12月17日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師、元騎手。中央競馬騎手・調教師であった松永善晴は義父。旧姓・舞原(まいはら)。ナイスネイチャの主戦騎手としても知られる[1]

概要 松永昌博 (舞原昌博), 基本情報 ...
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来歴

1953年、鹿児島県肝属郡田代町(現・錦江町)に生まれる。身体が小柄であったことから親戚より騎手になることを勧められ、中学校卒業後に阪神競馬場曽場広作厩舎に入門、騎手候補生となった。騎手免許試験6度の不合格を経て、1977年に22歳で騎手免許を取得。曽場厩舎からデビューした。

騎手時代

1977年3月に初騎乗、4月2日に初勝利を挙げた。当年、32勝を挙げて関西所属新人騎手の最多勝記録を更新。中央競馬関西放送記者クラブ賞に選ばれたが、シーズン中に制裁による騎乗停止処分を受けていたため、規定により「新人賞」ではなく「敢闘賞」を受賞した。同年に曽場が病気で死去し、翌1978年より松永善晴厩舎に移籍する。1983年には松永の娘と結婚・婿養子となり、松永昌博と改姓した。

1986年12月、ポットテスコレディ阪神牝馬特別を制し、デビュー9年目で重賞初勝利を挙げる。以後も中堅騎手として活動を続け、1991年からはナイスネイチャ主戦騎手を務め、「善戦ホース」として人気を博した同馬とともに知名度を上げた。以後もトーヨーリファールなどで重賞に勝利。1997年にはトーヨーシアトル地方交流GI競走東京大賞典を制し、騎手生活唯一のGI級競走制覇を果たした。

2000年代に入ると年間勝利数がひと桁に落ち込むようになり、2002年2月28日をもって騎手を引退した。通算5846戦544勝(うち障害3勝)、重賞25勝。

調教師時代

騎手引退後、松永善晴厩舎の調教助手を経て、2005年に調教師免許を取得。翌年、栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した。初出走は2006年3月11日中京競馬第6競走のシシャモムスメ(11着)、初勝利は同年7月2日京都競馬第6競走でヒカリクロメート(のべ42頭目)であった。2008年にマルカフェニックスで阪神カップを制し、重賞初勝利を挙げている。2010年10月30日にはスワンステークスをマルカフェニックスで制し、JRA通算100勝を重賞勝利で飾っている。2011年11月20日エイシンアポロンマイルチャンピオンシップに優勝し、騎手時代を含めても初となるJRAのGI級競走勝利を挙げた。

2024年3月5日をもって定年のため、調教師を引退した[2]

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騎手成績

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  • 全国リーディング最高17位(42勝・1987年)

受賞

主な騎乗馬

Thumb
トーヨーリファールに騎乗する松永(第36回宝塚記念

※括弧内は松永騎乗時の勝利重賞競走。太字はGI級競走。

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調教師成績

さらに見る 日付, 競馬場・開催 ...

主な厩舎所属者

  • 森一馬(2011年3月5日‐2024年3月5日。騎手)
  • 小沢大仁(2021年3月6日‐2024年3月5日。騎手)

主な管理馬

太字はGI級競走。

脚注

参考文献

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