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キョウエイグリーン
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キョウエイグリーン(1969年3月28日 - ?)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬、繁殖牝馬。「花の47年組」の一頭。
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経歴
戦績
1971年7月の函館でデビューし、2戦目に8馬身差の圧勝で人気に応えて初勝利を挙げる。3戦目のオープンこそ9着に敗れて人気を裏切ったが、10月から12月にかけて3連勝でシーズンを終えた。
1972年は京成杯・クイーンC7着の後、オープンを勝利してクラシック1冠目の桜花賞に参戦し、当日は3番人気に推される。レースでは4ハロンを45秒台で通過するというハイペースで逃げ、実況していた杉本清(当時・関西テレビアナウンサー)は「キョウエイグリーンがすっ飛ばす、キョウエイグリーンがすっ飛ばします!」と伝えた。直線でアチーブスター[注釈 1]に捕らえられると一杯になり、最後はハジメローズ・センコウミドリ・トクザクラにも交わされて5着に終わる。増沢末夫との初コンビで挑んだ2冠目のオークスは距離の2400mが長すぎたのか、初の2桁着順となる13着に大敗。その後は2ヶ月の休養を経て、9月に中山で行われたオープンで復帰。クイーンSではタカイホーマの2着に入り、続くスプリンターズSでは1番人気に推されたが、4歳牡馬のノボルトウコウ・ハクホオショウの3着に終わる。牝馬東京タイムズ杯(3着)・ダービー卿CT(9着)では共にトクザクラの圧勝を許し、最終戦のCBC賞は最下位の8着であった。
1973年はオープン2着の後、3連勝で安田記念に臨む。野平祐二の騎乗で3番人気に推されたが、17頭中17着と惨敗に終わった。夏は3歳時以来の北海道シリーズに参戦し、札幌の短距離Sではダート戦ながら快勝。秋のスプリンターズSでは前年と同じ1番人気に推され、騎乗した東信二と共に重賞初制覇を飾る。ノボルトウコウの連覇を阻止してのもので、勝ち時計の1分9秒6はレコードタイムとなった。続く牝馬東京タイムズ杯でも1番人気になったが、初の不良馬場に泣いて13着と大敗。11月のオープンでは3位入線も失格となり、12月のオープン2着を最後にシーズンを終えた。
1974年はオープン5着・3着、関屋記念9着と3連続で連対を外す。安田記念では近走不振もあって9番人気と評価を下げたが、同じく牝馬のナスノチグサ・ニットウチドリを抑えて重賞2勝目を挙げた。連覇を狙ったスプリンターズSは無念の出走取消で、復帰戦のオープンではタケクマヒカルの3着に入って立て直したが、ダービー卿CTは13着と大敗し、クモハタ記念7着を最後に引退。
引退後
引退後は1975年から繁殖入りしたが、目立った産駒を出せなかった。その後は不明。
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競走成績
血統表
キョウエイグリーンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ザボス系(オーム系) |
|||
父 *マタドア 栗毛 1953 |
父の父 Golden Cloud栗毛 1941 |
Gold Bridge | Golden Boss | |
Flying Diadem | ||||
Rainstorm | Hainault | |||
Stormcloud | ||||
父の母 Spanish Galantry栗毛 1945 |
Mazarin | Mieuxce | ||
Boiarinia | ||||
Courtship | Gainsborough | |||
Marmite | ||||
母 リユウカオル 鹿毛 1961 |
*ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 |
Bois Roussel | Vatout | |
Plucky Liege | ||||
Sonibai | Solario | |||
Udaipur | ||||
母の母 ヤマオー鹿毛 1949 |
*セフト | Tetratema | ||
Voleuse | ||||
日本泉 | *クラツクマンナン | |||
恩銀 | ||||
母系(F-No.) | シルバーバツトン(GB)系(FN:4-g) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Gainsborough 4×5、The Tetrarch 5×5、Sun Worship 5×5(母内) | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
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