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勝浦正樹
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勝浦 正樹(かつうら まさき、1978年8月10日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手。競馬評論家。
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来歴
1997年にデビュー。同期には武幸四郎や秋山真一郎らがいる。初騎乗は1997年3月2日、中山競馬第2競走で、14頭立ての14着だった。初勝利は6月14日、福島競馬第1競走。
デビュー2年目の1998年に50勝を挙げる活躍を見せると、翌1999年の共同通信杯4歳ステークスでヤマニンアクロに騎乗し、重賞初勝利を挙げる。
2000年2月6日、小倉競馬第12競走で勝利してJRA通算100勝を達成した[2]。
2002年、テレグノシスとのコンビでNHKマイルカップに挑み、GI初勝利を挙げる。しかし、このレースではやや強引なレース運びとなったことで、圧倒的1番人気のタニノギムレットが被害を受けるなど、審議対象となった。この年は自己最多の53勝を挙げ、第1回の中央競馬騎手年間ホープ賞を受賞した[3]。
その後、テレグノシスとのコンビでは、ジャック・ル・マロワ賞やムーラン・ド・ロンシャン賞などへの海外遠征も行っており、ジャック・ル・マロワ賞では3着に入る健闘を見せた[4]。
2007年、朝日杯フューチュリティステークスでゴスホークケンに騎乗して逃げ切り勝ちを収め、久し振りのJpnI(GI級競走)勝利を挙げた[5]。
2009年9月20日、中山競馬第9競走をアロマンシェスで勝利し、JRA通算500勝を達成した[6]。
2013年2月23日、小倉競馬第9競走でアクアブルーフライに騎乗し、史上27人目のJRA通算10000回騎乗を達成した[7]。
2021年12月28日、中山競馬第6競走でハイリミットカフェに騎乗し、史上16人目のJRA通算15000回騎乗を達成した[8]。

2024年4月6日、同月14日付で騎手免許の取消申請を行い、騎手を引退する事をテレビ東京「ウイニング競馬」内で放映されたVTRで発表した。(VTR放映時、中山競馬場で騎乗していた。)[9][10]。現役最終騎乗となった4月14日の中山競馬第7競走でニシノピウモッソに騎乗し2着だった[11]。

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人物
「最終の勝浦」の異名を持ち、その日の最終競走(通常の場合は第12競走)で人気薄の馬を上位に持ってくるなどの活躍が目立った。
ばんえい競馬のイベント、JRAジョッキーDayのエキシビジョンレースに第1回より参加している。2017年の第11回では悲願の初勝利を挙げた[14]。
主な騎乗馬
- ヤマニンアクロ(1999年共同通信杯4歳ステークス)
- クラフトマンシップ(2000年函館記念)
- オンワードセイント(2001年エンプレス杯)
- テレグノシス(2002年NHKマイルカップ、2003年京王杯スプリングカップ、2004年毎日王冠)
- ディーエスサンダー(2003年マーキュリーカップ)
- トーセンダンディ(2004年オールカマー)
- スキップジャック(2004年京王杯2歳ステークス)
- グラスボンバー(2005年福島記念)
- キネティクス(2006年富士ステークス)
- シーキングザベスト(2006年武蔵野ステークス)
- アポロティアラ(2006年フェアリーステークス)
- サウンドザビーチ(2007年TCK女王盃)
- ゴスホークケン(2007年朝日杯フューチュリティステークス)
- アドマイヤスバル(2009年白山大賞典)
- パワーストラグル(2011年マーキュリーカップ3着)
- シゲルカガ(2015年北海道スプリントカップ)
- パドトロワ(2013年函館スプリントステークス)
- トゥインクル(2016年ダイヤモンドステークス)
- インカンテーション(2017年マーチステークス)[15]
- ニシノデイジー(2018年札幌2歳ステークス、東京スポーツ杯2歳ステークス)
騎乗成績
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表彰歴
- フェアプレー賞(関東)(2001年度、2002年度、2006年度、2009年度、2010年度、2011年度、2012年度、2015年度、2016年度、2017年度[16])
- 中央競馬騎手年間ホープ賞(2002年度)[3]
出典
関連項目
外部リンク
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