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クリス・オクスプリング
オーストラリアの野球選手 (1977 - ) ウィキペディアから
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クリス・アンドリュー・オクスプリング(Chris Andrew Oxspring, 1977年5月13日 - )は、オーストラリア連邦クイーンズランド州イプスウィッチ出身の元プロ野球選手(投手)。韓国球界での登録名は、「オクスプリン(옥스프링)」。
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経歴
要約
視点
チーターズ時代
イプスウイッチ州立高校を卒業後、独立リーグであるフロンティアリーグのクックカウンティ・チーターズに入団。
プロ入りとパドレス時代
2000年秋にトライアウトを受け、サンディエゴ・パドレスと契約。その後は傘下のマイナーリーグでプレーを続けた。
2004年アテネオリンピックにおける野球競技でオーストラリア代表に選出された。この大会では、エースとして2試合に登板し、14回2/3を無失点に抑える活躍を見せた。特に日本との準決勝では6回2/3を5安打無失点の好投で勝利投手となり、オーストラリア代表の銀メダル獲得に大きく貢献。
阪神タイガース時代
オリンピックでの活躍は日本関係者の目に留まり、2006年に阪神タイガースと契約。開幕前の3月には、この年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオーストラリア代表に選出されたが、阪神でのプレーに集中するために辞退した。オープン戦の序盤こそ本調子ではなかったものの、徐々に調子を上げていき見事開幕ローテーションを勝ち取った。しかし、立ち上がりが良くても4~5回あたりで突然炎上する悪癖を露呈し、シーズン4勝に終わりこの年限りで退団した。
ブルワーズ傘下時代
2006年12月15日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。
2007年は開幕から好投を続け、AAAのオールスターゲームに選出されていた。
LGツインズ時代
オールスター選出直後の2007年7月10日に、不振により解雇されたティム・ハリッカラの代役として韓国プロ野球・LGツインズと契約。入団1年目から韓国野球に適応し、4勝5敗、防御率3.24の成績を残して再契約に成功した。
2008年は、チームの先発投手陣が手薄なこともあり、右の先発1番手として活躍し10勝をマーク。チームが最下位に低迷する中、左腕エースの奉重根と共に奮闘を見せた。オフには再契約を結び残留し、同球団で3シーズン以上在籍することとなった初の外国人選手となった。
2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのオーストラリア代表に選出された[1]。しかし、WBCでの登板で肘を痛めて長期離脱が避けられなくなったため、1試合も登板しないまま開幕後に放出された。
ブルーソックス時代
2010年は手術した肘のリハビリに専念し、一時は古巣LGツインズへの復帰も検討された。11月からはこの年発足したオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)のシドニー・ブルーソックスに所属し、先発で好投を続けた。
タイガース傘下時代
2010年12月にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ。
2011年5月24日に解雇された。
パトリオッツ時代
2011年シーズン途中に、独立リーグ・アトランティックリーグのサマセット・パトリオッツと契約した。
2012年11月からはシドニー・ブルーソックスに復帰し投手兼任コーチとしてプレーした。
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのオーストラリア代表に選出され[2][3][4]、2大会連続2度目の選出となった。
ロッテ・ジャイアンツ時代
2013年3月20日、故障により開幕前に退団したスコット・リッチモンドの代役としてロッテ・ジャイアンツと契約し、4年ぶりの韓国球界復帰となった[5]。同年はチーム最多タイの13勝と活躍した。2014年も10勝を挙げ、韓国通算3度目の2ケタ勝利を記録。だが、チームがジョシュ・リンドブロムと契約することになったため、同年限りでロッテを自由契約となった。
KTウィズ時代
2014年12月22日、韓国プロ野球・KTウィズと契約した。2015年4月11日、ネクセン・ヒーローズ戦で同年より一軍公式戦に参加した新球団KTにとって初の勝利投手となった。最終的にチーム最多の12勝を記録したが、投球内容が悪かったこともあり契約更新は見送られた。
KT退団後
2016年より、ロッテ・ジャイアンツの二軍投手コーチとなった。同年8月18日に一軍コーチへ配置転換され、2018年まで務めた。
また、2016/17年シーズンにABLのシドニー・ブルーソックスで現役に復帰した。
2017年2月9日に予備投手として第4回WBC本戦のオーストラリア代表に選出された[6]が、本大会には出場しなかった。
2019年、第2回 世界野球プレミア12にオーストラリア代表のコーチとして参加した。背番号は35。
2019/20年シーズンより、ABLのシドニー・ブルーソックスで投手コーチに就任した[7]。また、オーストラリア女子野球代表の投手コーチも務めている。
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プレースタイル
速球は最速で150km/hを記録した。球種はカーブ、スライダー、チェンジアップ。特にカーブはよく曲がり、この投手を特徴付けるものとなっている。
人物
阪神時代の愛称は「オックス」「オク様」など。阪神甲子園球場などでは名前が長いため「オクス/プリング」と改行されて表示されていた。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB
- 初登板・初先発:2006年4月6日、対広島東洋カープ1回戦(倉敷マスカットスタジアム)、7回無失点
- 初奪三振:同上、1回裏に新井貴浩から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2006年4月25日、対横浜ベイスターズ5回戦(草薙球場)、5回2失点
- 初安打:2006年5月2日、対読売ジャイアンツ4回戦(阪神甲子園球場)、3回裏にジェレミー・パウエルから左翼線安打
背番号
- 58 (2005年)
- 45 (2006年)
- 99 (2007年 - 2009年)
- 46 (2013年 - 2014年)
- 32 (2015年)
- 90 (2016年 - 2018年)
登場曲
- 「Down with the Sickness」System of a Down(2006年)
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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