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ジェイソン・イズリングハウゼン
アメリカの野球選手 (1972 - ) ウィキペディアから
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ジェイソン・デリック・イズリングハウゼン(Jason Derik Isringhausen, 1972年9月7日 - )は、イリノイ州ブライトン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「イジー」(Izzy)。
現役時代は2002年から2007年にかけて、セントルイス・カージナルスのクローザーとして活躍。通算300セーブを記録した。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
イズリングハウゼンの母と姉はソフトボールをしており、イズリングハウゼン自身は4歳の頃に野球を始め、6歳の頃に本格的に始める[1]。高校時代は強肩強打の野手として注目されていた。野球のみだけでなく、バスケットボールやアメリカンフットボールでも活躍[2]。
プロ入りとメッツ時代
1991年6月にニューヨーク・メッツからドラフト44巡目(全体1156位)指名を受けた。
1992年5月に外野手として入団、入団後投手に転向する[1]。
1993年の夏に投手コーチからひじや肩に負担のかからないカーブの投げ方を学んだ[1]。
1995年にメッツの最優秀マイナー選手、インターナショナルリーグ最優秀選手に選出された[3]。7月17日にメジャーデビュー。すぐさま先発に定着し、9勝2敗を記録した。当時のイズリングハウゼンは、ほぼ同時期にデビューしたポール・ウィルソンやビル・パルシファーとともにメディアから「新世代の三銃士」(「ジェネレーションK」)と評され、大いに期待される存在だった[4]。
アスレチックス時代
1999年、トレード期限間際にオークランド・アスレチックスへトレードされ、これを機に本格的にクローザーへ転向することになる。
カージナルス時代

2001年オフにセントルイス・カージナルスにFA移籍。クローザーとして期待されての入団であった。
2002年は32セーブを記録。2003年は故障による離脱で22セーブに終わった。
2004年は球団タイ記録の47セーブを記録して最多セーブのタイトルを獲得する。
2005年も腹筋痛で故障者リスト入りとなったものの、安定した投球を見せ、防御率は自己ベストの2.14であった[2]。
2006年は腰の故障の影響で被本塁打が増加し、10回のセーブに失敗。シーズン終了を待たずにクローザーの座をアダム・ウェインライトに託し、手術に踏み切った[5]。リー・スミスが保持していた球団セーブ記録(160セーブ)を更新したものの、カージナルスが10度目の世界一となったワールドシリーズには出場できずに終わった。
2007年はクローザーに復帰し、9月まで防御率を1点台に抑える好投。セーブ失敗は2回(4月と6月に1回ずつ)だけと守護神としての地位を取り戻した。8月26日のアトランタ・ブレーブス戦で、カージナルスでの通算200セーブを達成。昨シーズン終了時は退団が有力視されていたが、この活躍を受け、球団は1年総額800万ドルのオプションを行使[5]。
2008年は5月9日時点でリーグ最多の11セーブを記録する一方で、リーグ最多の5回目のセーブ失敗を記録。トニー・ラルーサはイズリングハウゼンを中継ぎに配置転換させ[6]、8月16日の登板を最後にシーズンを終えた。
レイズ時代
レッズ傘下時代
2010年7月22日にシンシナティ・レッズとマイナー契約したが、メジャー昇格できなかった。
メッツ時代
2011年は古巣メッツと契約。
フランシスコ・ロドリゲスがミルウォーキー・ブルワーズへ移籍後はクローザーを務め、8月15日にはMLB史上23人目となる通算300セーブを達成。
エンゼルス時代
2012年2月22日、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結ぶ。開幕ロースター入りを果たし、中継ぎを務める。その後、退団。
コーチ時代
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選手としての特徴
持ち球は93 - 97mph (約149.7 - 156.1km/h)最速は99mphのフォーシームと、大きな縦のカーブ。時折カッターやスプリットフィンガード・ファストボールを投げることもあるが、基本的にはこの2つだけで打者を押さえ込む[1]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
タイトル
- 最多セーブ投手:1回(2004年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(2000年、2005年)
諸記録
- ニューヨーク・メッツ在籍時の1996年5月29日、サンフランシスコ・ジャイアンツの投手ウィリアム・ヴァン・ランディングハム(William Van Landingham)と先発で投げ合った。2チームの先発投手の名前の合計文字数はMLB史上最長タイ記録だった。
- 2002年4月13日、ヒューストン・アストロズ戦の9回に登板。ダリル・ウォード、ホセ・ビスカイーノ、フリオ・ルーゴを相手に「3者連続3球三振」を記録。MLB史上31人目(ナショナルリーグでは22人目)。試合は2-1でカージナルスが勝利した。
- 2006年6月13日、カージナルスでの通算161セーブ目を挙げ、リー・スミスを抜いて球団セーブ記録を更新した。
背番号
- 29(1995年 - 同年途中)
- 44(1995年途中 - 1999年途中、2000年 - 2009年)
- 48(1999年途中 - 同年終了)
- 45(2011年)
- 55(2012年)
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参考資料
関連項目
外部リンク
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