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ダニー・グッドウィン
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ダニー・ケイ・グッドウィン(Danny Kay Goodwin、1953年9月2日[1] - )はアメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身の元プロ野球選手(外野手)[1]。右投左打[1]。
MLBドラフト史上唯一、2度の全体1位指名を受けた選手。
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経歴
サザン大学からカリフォルニア・エンゼルスに1975年のMLBドラフト1巡目(全体の1位)で入団。当時のポジションは捕手であった。
1971年のMLBドラフトでもシカゴ・ホワイトソックスからドラフト全体1位指名を受けたものの入団しておらず、現在に至るまでドラフト全体1位指名を複数回受けた唯一の選手となっている。スカウト達から「ジョニー・ベンチの再来」と高く評価されていたほどだったが、MLBでは主に指名打者として通算で252試合に出場したのみで、捕手としては出場機会が全く無かった[2]。期待に反してレギュラーに定着することができず、1975年から1982年にかけてエンゼルス、ミネソタ・ツインズ、オークランド・アスレチックスでプレイしたが、1983年以後MLB昇格の機会はなかった。1986年に南海ホークスに入団[1]。
1985年オフに南海は新井宏昌を放出、それにかわる巧打者タイプの左打者として獲得される。MLBでは故障しがちのため守備機会が少なく守備を不安視されたが、南海には同じく守備に難のある門田博光がいるため、指名打者として起用することもできず、当初は守備に目を瞑り左翼手として起用される。しかし不慣れな外野守備を続けたため右足を故障、打率も急降下しシーズン終盤はほとんど代打としての起用が続き成績も惨憺たるものに終わり1年で帰国となった。
なお、当初彼に用意された背番号は4であったがこれを拒否したため62となっている。背番号60の門田、背番号61のデビッド・ホステトラー(登録名は「デビッド」)と併せて「60番トリオ」と売り出したが、グッドウィンの不振もあって、シーズン中に話題になることは少なく、翌年グッドウィンは解雇となり、残留したデビッドも背番号を9に変更し、「60番トリオ」は一年限りで解散となった。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- NPB
背番号
- 20 (1975年、1978年)
- 23 (1977年)
- 25 (1979年 - 1981年)
- 28 (1982年)
- 62 (1986年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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