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ツルマルガール

日本の競走馬 ウィキペディアから

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ツルマルガール(欧字名:Tsurumaru Girl1991年2月11日 - 2004年10月12日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1994年朝日チャレンジカップ

概要 ツルマルガール, 欧字表記 ...
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戦績

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]

1993年7月18日、小倉競馬場での3歳新馬戦でデビューし、7着[4]。3戦目で2着ペガサスセイバーに1秒9差つける大差勝ちで初勝利を挙げる[4]。東上して芙蓉ステークスに出走し、5位に入線したが進路妨害のため13着に降着となる[4]。関西に戻って黄菊賞も6着と振るわなかったが、続く白菊賞で2勝目を挙げ、12月の阪神3歳牝馬ステークスでもヒシアマゾンの4着に入った[4]

4歳となり、初戦はクイーンカップを予定も東上後にトモ[注釈 1]を負傷して仕切り直しとなり[4]、初戦のフラワーカップは7着。続く優駿牝馬(オークス)トライアルのスイートピーステークス小島太騎乗で勝利するも、本番のオークスはチョウカイキャロルの6着に終わった[5]。当初はオークス後に放牧の予定だったところを変更して夏競馬も走り、中日スポーツ賞4歳ステークスイナズマタカオーの3着としたのち、8月小倉競馬場での小倉日経オープンでは古馬と対戦して2着タマモロードに3馬身半差つけて制した[5]。9月に入って朝日チャレンジカップではエプソムカップ、道新杯、函館記念と連勝を続けていたワコーチカコを下して重賞初制覇を果たした。その後は長期休養に入って翌1995年夏に復帰し、テレビ愛知オープンに出走するもナカミアンデスの9着に終わり、これが最後の競馬となった。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[3]、netkeiba.com[6]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
  1. 5位入線13着降着
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引退後

引退後は生まれ故郷の浜本牧場で繁殖牝馬となった。繁殖牝馬としては、初仔のツルマルボーイ安田記念など重賞競走で3勝を挙げ、2番仔ツルマルファイターがすばるステークスを勝って重賞競走でも2着に入る走りを見せた[7]。3番仔ツルマルシスターは野路菊ステークスを勝ったものの[8]、現役中に死亡した[9]。その他、末仔ツルマルオジョウが2018年に産んだウェルドーン2021年関東オークスを制し[10][11]、直仔と孫の世代から重賞勝ち馬を送り出した形となった。

2004年10月12日腸炎肺炎の合併症により死亡した[12]。13歳没。墓は浜本牧場にある[2]

産駒一覧

さらに見る 生年, 馬名 ...

血統表

ツルマルガール血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ファイントップ系
[§ 2]

サッカーボーイ
1985 栃栗毛
父の父
*ディクタス
1967 栗毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Doronic Worden
Dulzetta
父の母
ダイナサッシュ
1979 鹿毛
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ Princely Gift
Sash of Honour

エプソムガール
1978 黒鹿毛
アローエクスプレス
1967 鹿毛
スパニッシュイクスプレス Sovereign Path
Sage Femme
*ソーダストリーム Airbone
Pangani
母の母
ゲシー
1968 栃栗毛
*ダイハード Never Say Die
Mixed Blessing
ジヤヌワ トサミドリ
竜梅
母系(F-No.) エスサーデイー(GB)系(FN:6-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 5 × 5 = 6.25% [§ 4]
出典
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脚注

参考文献

外部リンク

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