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ヒシアマゾン
日本の競走馬 ウィキペディアから
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ヒシアマゾン(欧字名:Hishi Amazon、1991年3月26日 - 2019年4月15日)は、日本の競走馬、日本、アメリカの繁殖牝馬[1]。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
アメリカで生まれ日本で調教を受けた外国産馬である。1993年JRA賞最優秀3歳牝馬、1994年JRA賞最優秀4歳牝馬、1995年JRA賞最優秀5歳以上牝馬。
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経歴
要約
視点
3歳 - 4歳時
1993年9月19日の新馬戦を中舘英二騎手とのコンビで快勝[注釈 2]。続くプラタナス賞、京成杯3歳ステークスと2戦連続で2着した後の阪神3歳牝馬ステークスで2着ローブモンタントに5馬身差をつけて圧勝し、一躍牝馬のスターダムに躍り出た。
明けて1994年春、当時は外国産馬にクラシックへの出走が認められていなかったため、裏街道を歩むことになった。年明け緒戦の京成杯こそ2着に敗れたものの、続くクイーンカップ、クリスタルカップ、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスといずれも1番人気に応えて快勝した。特にクリスタルカップで見せた残り100mでの4馬身差を差し、逆に1馬身差をつけた驚異の追い込みは、井崎脩五郎が20世紀のベストレースの1つにあげている。
秋シーズンもクイーンステークス、ローズステークスを連勝し、迎えたエリザベス女王杯では優駿牝馬優勝馬チョウカイキャロルとの叩きあいをハナ差制し、重賞6連勝[注釈 3]で名実ともに4歳最強牝馬となった。
主戦騎手であった中舘英二によると、エリザベス女王杯までのレース戦術について、他の馬と一枚も二枚も力が違っていたことから「負けてはいけない立場だったので、後ろから行って、大外を通って、着差は小さくても最後に勝てばいいというレースをしていた」と説明した[3]。
続く有馬記念では並み居る古牡馬が揃っていたが、相手は三冠馬ナリタブライアン1頭に絞ったレース運びをし、4コーナー付近でヒシアマゾンはナリタブライアンに競りかけたが、ナリタブライアンはこれまで以上の瞬発力を発揮して後続を突き放しており、ヒシアマゾンも勢いを保持したままを追走して3着以下には2 1/2馬身差をつけたが、結果的に優勝したナリタブライアンから3馬身差の2着に敗れた[4]。
同年のレース戦績は、エリザベス女王杯を含む6連勝、有馬記念2着が評価され最優秀4歳牝馬に選出された。
5歳以降
5歳となった1995年は、春にアメリカ遠征に挑戦するもレース直前に脚部不安に見舞われ帰国、帰国後緒戦の高松宮杯ではそれまでの実績から圧倒的1番人気に支持されたものの、スタートから折り合いを欠き逃げる形になってしまい5着に敗れ、デビューからの連続連対記録が12で途絶えるなど、上半期は不本意なシーズンになった。
しかし秋になり、オールカマー、京都大賞典を圧勝し、完全復調をアピール。外国産馬であるため天皇賞(秋)には出走することはできず、迎えたジャパンカップでは、直線鋭く追い込んだものの先に抜け出したランドに1馬身半及ばず2着に敗れたが、負けてなお強しの印象であった。続く有馬記念ではその年不調のナリタブライアンを抑えて1番人気に推されたものの、スタートでの出遅れもあり5着に終わった。
1996年、6歳になると順調さを欠き、安田記念は10着、エリザベス女王杯は2位入線も斜行により7着降着、有馬記念は5着に敗れ、結果的にこれが最後のレースとなった。
1997年、京王杯スプリングカップの出走を目指し調整していたが、同年4月30日に右前脚浅屈腱炎の発症により、現役生活を断念して引退となった[5]。現役時の活躍内容から女傑と呼ばれる[6]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく[7]。
- 1 (*)2位入線、降着。
- 2 タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
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引退後
引退後は北海道静内町の出羽牧場で、繁殖牝馬となるための準備が施された[8]。ファンによる見学も行われ、1日に100人超が牧場を訪ねた[8]。初年度となる1997年は、ヒシマサルが種付けされ、年内にアメリカに渡り、母もいる故郷のテイラーメイドファームに戻った[8]。
ヒシマサルとの初仔(後のヒシアンデス)を出産するとそのままテイラーメイドファームで繁殖生活を送り、2011年に父ウォーパスの牡馬(競走馬としては登録されていない)を出産したのを最後に繁殖を引退し、アメリカ・ケンタッキー州で日本人が経営するPolo Green Stable(ポロ・グリーン・ステーブル)で余生を送っていた。
セリ市では比較的高値で取り引きされた産駒が多く、たとえばFlying Warriorは2007年9月10日に行われたキーンランド・セプテンバー・イヤリングセールで29万ドル(約3300万円)で落札された[9]。
2019年4月15日(現地時間)夜、老衰のため、繋養先のポロ・グリーン・ステーブルで死亡[10][11]。28歳没[12]。
晩年は、牝馬のアイダスイメージ(Ida's Image[13])とともに過ごした[12]。しかし、2018年末にアイダスイメージが31歳で亡くなり、そこから急に力がなくなってしまったという[12]。
繁殖成績
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血統表
ヒシアマゾンの血統(ノーザンダンサー系 / Nearctic4×3=18.75%) | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ヌレイエフ系(ノーザンダンサー系) |
[§ 2] | ||
父 Theatrical 1982 鹿毛 |
父の父 Nureyev1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Special | Forli | |||
Thong | ||||
父の母 *ツリーオブノレッジTree of Knowledge 1977 鹿毛 |
Sassafras | Sheshoon | ||
Ruta | ||||
Sensibility | Hail to Reason | |||
Pange | ||||
母 Katies 1981 黒鹿毛 |
*ノノアルコ Nonoalco 1971 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | ||||
Seximee | Hasty Road | |||
Jambo | ||||
母の母 Mortefontaine1969 鹿毛 |
*ポリック Polic |
Relic | ||
Polaine | ||||
Barbantia | Honeyway | |||
Parthaven | ||||
母系(F-No.) | Katies系(FN:7-f) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nearctic4×3、Pharos=Fairway5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
父Theatricalは名種牡馬、母ケイティーズはアイルランド1000ギニー優勝馬と血統は一流である。
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脚注
参考文献
外部リンク
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