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トレバー・プルーフ
アメリカの野球選手 (1986 - ) ウィキペディアから
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トレバー・パトリック・プルーフ(Trevor Patrick Plouffe, 1986年6月15日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのウェスト・ヒルズ地区出身の元プロ野球選手。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとツインズ時代
2004年のMLBドラフト1巡目(全体20位)でミネソタ・ツインズから指名され、150万ドルの契約金で入団[1]。
2008年にAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ昇格。シーズン終了後の11月にツインズの40人枠に入った[2]。
2010年5月21日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー[3]。
2011年はAAA級ロチェスターでは51試合で打率.313、15本塁打、OPS1.019をマークし、課題だった打撃に大きな進歩が見られた。ツインズの内野手に故障者が相次いだこともあり、メジャーでは後半戦を中心に81試合に出場。打率.238、8本塁打を記録した。

(2012年6月26日)
2012年はジョシュ・ウィリンガムに次いでチーム2位の24本塁打を放った。
2013年は三塁手のレギュラーに定着し、規定打席にも到達したが、課題が残ったシーズンだった。打撃面では、逆方向に打つ事に徹したが、それによって本来の思い切りのいい打撃スタイルを見失い[4]、ホームランが前年比で10本も減少した。また、打席数が増えた事もあるとは言え、三振が100を超えた。
2014年1月17日にツインズと235万ドルの1年契約に合意した[5][6]。巻き返しを図る同年は、引き続き三塁手のレギュラーに固定されて136試合に出場。打率.258こそ、前年とほぼ同等の水準だったものの、リーグ4位の40二塁打・自己最多の2三塁打を放ち、80打点を叩き出した。また、四球を増やす一方で三振も微減させた。守備では失策こそ14と多かったが、DRSは + 6と平均以上の守備力を示し、こちらでも成長の跡を残した。
2015年は、自己最多の152試合に出場。打率は.244まで低下し、三振も124と自己ワーストだったが、3年ぶりの20本塁打以上となる22本のホームランを放ち、チーム最多かつ自己ベストの86打点を記録。ブライアン・ドージャー、ミゲル・サノ、トリー・ハンターらと共に中心打者として活躍した。守備面では140試合で三塁を守り、失策を11まで減らしたが、DRSはマイナスに転じた。また、一塁を17試合で守り、こちらではDRS +4と好守を見せた。
2016年は肋骨を骨折して84試合の出場に留まったが、自己ベストの打率.260・5年連続2ケタの12本塁打を記録し、中心打者としての意地を見せた。三塁守備は63試合で6失策・守備率.960・DRS -4だった。一塁手の13試合ではDRS 0だった。11月18日に40人枠から外れると、FAとなった[7]。
アスレチックス時代
2017年1月18日にオークランド・アスレチックスと年俸525万ドルの1年契約を結んだ[7][8]。6月15日にDFAとなった[9]。
レイズ時代
2017年6月17日に金銭トレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した[10]。8月23日にDFAとなり、25日にマイナー契約で傘下のAAA級ダーラム・ブルズへ配属された[3]。9月4日に再びメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした[3]。オフの11月2日にFAとなった[11]。
レンジャーズ傘下時代
2018年2月12日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[12]。3月23日に一旦自由契約となる[13]が、26日に再びマイナー契約を結んだ[14]。開幕から傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスでプレーしていたが、4月10日に自由契約となった[15]。
フィリーズ時代
2018年4月23日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び[16]、25日に傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属された[3]。7月10日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[17]。7月31日にDFAとなり[18]、8月5日にマイナー契約でAAA級リーハイバレーへ配属された[3]。シーズンでは、12打数3安打だった[19]。10月5日にFAとなった[20]。
2019年2月20日にフィリーズとマイナー契約を結んだ。しかし、3月21日に放出された。
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プレースタイル
打撃面では長打力が持ち味で、2012年には規定打席未満ながら24本塁打を放ち、そこから3年連続で14本以上を記録している。本来のバッティングスタイルは、思い切って引っ張る打球を打つスタイルである[4]。
守備では、強肩ではあるものの、悪送球の多さ・守備範囲の狭さなど[4]、課題がある。2012年以降、遊撃手から三塁手にコンバートされて使われているが、これは遊撃手としては守備力が低いことに起因するものである[21]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 24(2010年 - 2016年)
- 3(2017年 - 同年6月)
- 14(2017年6月 - 同年終了)
- 10(2018年)
脚注
関連項目
外部リンク
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