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ヒョードル・クリモフ

ロシアのフィギュアスケート選手 ウィキペディアから

ヒョードル・クリモフ
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ヒョードル・アレクサンドロヴィチ・クリモフロシア語: Фёдор Александрович Климовロシア語ラテン翻字: Fedor Aleksandrovich Klimov1990年9月7日 - )は、ロシア出身の男子元フィギュアスケート選手(ペア)。パートナーはクセニヤ・ストルボワなど。

概要 ヒョードル・クリモフ Fedor KLIMOV, 生誕 ...

2014年ソチオリンピック銀メダリスト、団体戦金メダリスト。2014年世界選手権2位。2015年グランプリファイナル優勝。

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経歴

要約
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2012欧州選手権

2009年からクセニヤ・ストルボワとペアを組み、初めて出場した国際競技会となるISUジュニアグランプリ レークプラシッドで2位となり、ジュニアグランプリファイナルに進出。世界ジュニア選手権では3位の成績を修めた。

2010-2011シーズンはジュニアとシニアの掛け持ちのシーズンを送った。ジュニアグランプリ2戦では優勝し、ジュニアグランプリファイナルでは前年よりも順位を一つ順位を上げ2位となった。世界ジュニア選手権では前年の世界ジュニア選手権、そしてジュニアグランプリファイナルで敗れた高橋成美/マーヴィン・トラン組を上回り銀メダルを獲得した。

2011-2012シーズンより、シニアクラスへ完全移行。エリック・ボンパール杯のFSではジャンプの要素を全てでミスがあり、スピンやリフトでも失敗があるなど不安が残る内容となった。2度目の出場のロシア選手権では2位となった。試合終了時点では国際大会の代表には選ばれていなかったが、川口悠子/アレクサンドル・スミルノフ組の手術による欠場のため、補欠として欧州選手権への出場が決まった。試合では会心の出来の演技を披露し銅メダルを獲得。ロシアの表彰台独占に貢献した。

2012-2013シーズン、中国杯では3位、グランプリシリーズで初めてのメダルを獲得。ロシア選手権では2年連続の表彰台。当初は欧州選手権の代表に選ばれていなかったが、ベラ・バザロワ/ユーリ・ラリオノフ組の欠場のため、補欠として出場し6位。シーズン終了後にコーチをニーナ・モーゼルに変更した[1]

2013-2014シーズン、スケートアメリカで3位。ロステレコム杯はSP6位と出遅れるが、FSで初の130点台をマークし総合4位に順位を上げる。ロシア選手権では初優勝を果たした。欧州選手権ではSP・FS共に自己ベストを更新し初めて200点を突破。銀メダルを獲得した。ソチオリンピックの団体戦ではFSに出場し金メダルを獲得。個人戦ではSP・FSに自己ベストを更新し銀メダルを獲得した。初出場の世界選手権でも銀メダルを獲得した。

2014-2015シーズン、ロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝。エリック・ボンパール杯では開催地のフランスに合わせ、FSをフランス語ボーカルに変更し披露。連勝でグランプリファイナル初出場を決めた。ファイナルでも開催地に合わせスペイン語ボーカルバージョンでFSを披露し、銀メダルを獲得した。欧州選手権ではSPで首位に立ったものの、FSの最後のエレメンツであるスロー3回転サルコウの助走でクリモフが転倒するなどのミスで2位に順位を落とした。代表が決定していた世界選手権は次のシーズンへの準備のために欠場する[2][3]

2015-2016シーズン、スケートアメリカではSPでスロー3回転ルッツを転倒するなど精彩を欠き5位。FSではペア史上初めて3回転トウループ+3回転トウループ+2回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させたが、最終順位は4位でメダルを逃した。ロステレコム杯では優勝。グランプリファイナルではSP1位、FSでは1人のジャッジからも、マイナス評価を受けない完璧な演技で大幅に自己ベストを更新し、優勝した。ロシア選手権は背中の痛みを理由に欠場した[4]欧州選手権の代表に選出されたが、練習中の肩の怪我で欠場を発表した[5]世界選手権では4位に終わった。

2016-2017シーズン、6月中旬にストルボワがスケート靴を替えたことから左足首に神経の問題が生じ、深刻な炎症に発展した[6]。それを理由にグランプリシリーズを欠場。ロシア選手権で試合に復帰し、0.93点差の接戦を制し3度目の優勝を果たした。欧州選手権では4年ぶりに表彰台を逃す4位。世界選手権のSPでは、3回転ツイストリフト・3回転スローフリップで転倒し、3回転トゥループでステップアウトするなどして13位スタート。FSでは3位で総合5位に順位を上げた。

2017-2018シーズン、グランプリシリーズでは2大会で銀メダルを獲得。グランプリファイナルでは4位。ロシア選手権と欧州選手権では同門のエフゲーニヤ・タラソワ/ウラジミール・モロゾフ組に後塵を拝し2位だった。一旦は平昌オリンピック代表は確実な状況だったが、ストルボワがIOCから出場を認められず、オリンピックへ出場への道は閉ざされた[7][8]。出場予定だった世界選手権は、ストルボワが右足の靭帯を断裂したために出場を辞退した[9]

シーズン終了後もストルボワとのペア続行を予定していたが[10]、8月31日にペア解散が発表された[11]。9月8日に現役引退を発表した[12]。引退後はフィギュアスケートのコーチに転身した。

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主な戦績

2011-2012シーズン以降

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2010-2011シーズンまで

さらに見る 大会/年, 2009-10 ...
  • J = ジュニアクラス

詳細

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プログラム使用曲

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脚注

参考文献

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