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チーム・ペンスキー

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チーム・ペンスキー
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チーム・ペンスキーTeam Penske)は、アメリカノースカロライナ州ムーアズビルに本拠を置くレーシングチーム。2013年までは「ペンスキー・レーシング」を名乗っていた。

チームロゴ
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2013年サム・ホーニッシュJr.NASCARマシン

概要

要約
視点
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2007年のインディ500
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2007年ALMS(黄色のLMP2マシン)

元F1ドライバーのロジャー・ペンスキーが1958年に設立して以来オープンホイールストックカースポーツカーレースで幾度となくチャンピオンを獲得し、アメリカのモータースポーツの中では「名門」と言えるチームで、その強さは「ニューヨーク・ヤンキース・オブ・モータースポーツ」ともあだ名されるほどであった[1]。特にオープンホイールでの活躍が知られ、インディカー・シリーズを含めると32度の北米最高峰制覇を果たしている。

シャシーの製造能力も有しており、1970年代にはF1に参戦していたほか、1999年までオリジナルシャシーのPCシリーズでCARTに参戦していた。1993年のシーズン前にはウィリアムズルノーへの加入が叶わなかったアイルトン・セナがテストドライブした事もあった。

ストックカーではUSACを経て、1972年にNASCARウィンストンカップ・シリーズへの参戦を開始。2003年からはダッジのワークス格として活動し、2008年のデイトナ500ではライアン・ニューマンカート・ブッシュが1-2フィニッシュを果たした[2]。2012年にはブラッド・ケセロウスキーがチーム初となるシリーズチャンピオンを獲得した[3]が、ダッジの撤退により2013年からフォードにマシンを変更している[4]。2015年にはジョーイ・ロガーノデイトナ500を制し[5]、2018年にはロガーノがモンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズのシリーズチャンピオンを獲得した[6]

スポーツカーレースにもキャリア初期の1966年からローラシボレーカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)や合衆国ロードレーシング選手権英語版(USRRC)に参戦し、1969年のデイトナ24時間レース総合優勝、トランザム・シリーズ、USRRCのチャンピオンも獲得している。その後長きに渡る空白期間を経て、2000年代にライリーポルシェデイトナ・プロトタイプで、グランダム・シリーズに参戦。また、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)にもポルシェのセミワークス「DHL・ポルシェ・チーム・ペンスキー」(ポルシェ・RSスパイダー)としてLMP2クラスに参戦し、2006年から2008年まで3連覇した。2018から2020年はユナイテッド・スポーツカー選手権(USCC)にアキュラのセミワークス「アキュラ・チーム・ペンスキー」(アキュラ・ARX-05)として参戦し、2019、2020年と2年連続でチャンピオンに輝いた。

2023年からポルシェと再び提携し、ワークスチーム「ポルシェ・ペンスキー・モータースポーツ」として、ユナイテッド・スポーツカー選手権とFIA 世界耐久選手権(WEC)にポルシェのル・マン・デイトナ・h(LMDh)カテゴリのマシンであるポルシェ・963で参戦することが発表された[7][8]

また2014年に豪州スーパーカー選手権の強豪であるDJRレーシングの株式を51%取得し、「DJR・チーム・ペンスキー」として参戦している(マシンはフォード)。

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所属ドライバー

要約
視点

アメリカン・オープンホイール(CART/インディカー)

現シーズン(2023年)

過去の所属ドライバー

グレッグ・ムーアはチーム・ペンスキーより2000年シーズンに出場予定であったが、1999年シーズンの最終戦での事故により他界した。代わりに招かれたのがエリオ・カストロネベスである。

モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ

現シーズン(2024年)

過去の所属ドライバー

エクスフィニティ・シリーズ

現シーズン(2021年)

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主なスポンサー

データは2013年時点。

F1

概要 参戦年度, 出走回数 ...
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1975年に使用されたPC1

概要

1974年の終盤カナダGPからF1に参戦。1975年からフル参戦を開始した。1975年の一時期、マーチ製シャーシを使用もしたがそれ以外は自製シャーシで参戦。エンジンはフォードコスワースDFVを使用して、当時の典型的なF1マシンであったが、デザインは他のチームと異なり、曲線などをマシンの随所に使用していた。スポンサーはファースト・ナショナル・シティ銀行

1976年のオーストリアグランプリでは、チーム唯一となる勝利をジョン・ワトソンが挙げた。1977年にドイツのホイールメーカーであるATSがチームを買収したことから、エントリー名がATS・レーシング・チームに変更されたが、コンストラクター名はペンスキーのままであった。マシンは前年度のPC4を継続使用した。1978年からはコンストラクター名もATSとなり、さらにマーチも買収して、完全にATSとして参戦した。

変遷表

さらに見る 年, エントリー名 ...

*枝がついているチームに車体を供給(括弧内に供給した車体の型番を記載)
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など

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脚注

外部リンク

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