トップQs
タイムライン
チャット
視点
チーム・ペンスキー
ウィキペディアから
Remove ads
チーム・ペンスキー(Team Penske)は、アメリカ・ノースカロライナ州ムーアズビルに本拠を置くレーシングチーム。2013年までは「ペンスキー・レーシング」を名乗っていた。


概要
要約
視点

元F1ドライバーのロジャー・ペンスキーが1958年に設立して以来オープンホイール・ストックカー・スポーツカーレースで幾度となくチャンピオンを獲得し、アメリカのモータースポーツの中では「名門」と言えるチームで、その強さは「ニューヨーク・ヤンキース・オブ・モータースポーツ」ともあだ名されるほどであった[1]。特にオープンホイールでの活躍が知られ、インディカー・シリーズを含めると32度の北米最高峰制覇を果たしている。
シャシーの製造能力も有しており、1970年代にはF1に参戦していたほか、1999年までオリジナルシャシーのPCシリーズでCARTに参戦していた。1993年のシーズン前にはウィリアムズ・ルノーへの加入が叶わなかったアイルトン・セナがテストドライブした事もあった。
ストックカーではUSACを経て、1972年にNASCARのウィンストンカップ・シリーズへの参戦を開始。2003年からはダッジのワークス格として活動し、2008年のデイトナ500ではライアン・ニューマンとカート・ブッシュが1-2フィニッシュを果たした[2]。2012年にはブラッド・ケセロウスキーがチーム初となるシリーズチャンピオンを獲得した[3]が、ダッジの撤退により2013年からフォードにマシンを変更している[4]。2015年にはジョーイ・ロガーノがデイトナ500を制し[5]、2018年にはロガーノがモンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズのシリーズチャンピオンを獲得した[6]。
スポーツカーレースにもキャリア初期の1966年からローラ・シボレーでカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)や合衆国ロードレーシング選手権(USRRC)に参戦し、1969年のデイトナ24時間レース総合優勝、トランザム・シリーズ、USRRCのチャンピオンも獲得している。その後長きに渡る空白期間を経て、2000年代にライリー・ポルシェのデイトナ・プロトタイプで、グランダム・シリーズに参戦。また、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)にもポルシェのセミワークス「DHL・ポルシェ・チーム・ペンスキー」(ポルシェ・RSスパイダー)としてLMP2クラスに参戦し、2006年から2008年まで3連覇した。2018から2020年はユナイテッド・スポーツカー選手権(USCC)にアキュラのセミワークス「アキュラ・チーム・ペンスキー」(アキュラ・ARX-05)として参戦し、2019、2020年と2年連続でチャンピオンに輝いた。
2023年からポルシェと再び提携し、ワークスチーム「ポルシェ・ペンスキー・モータースポーツ」として、ユナイテッド・スポーツカー選手権とFIA 世界耐久選手権(WEC)にポルシェのル・マン・デイトナ・h(LMDh)カテゴリのマシンであるポルシェ・963で参戦することが発表された[7][8]。
また2014年に豪州スーパーカー選手権の強豪であるDJRレーシングの株式を51%取得し、「DJR・チーム・ペンスキー」として参戦している(マシンはフォード)。
Remove ads
所属ドライバー
要約
視点
アメリカン・オープンホイール(CART/インディカー)
現シーズン(2023年)
- No.
ジョセフ・ニューガーデン (2017年 - )
2 - No.
スコット・マクラフリン(2020年 - [注 1])
3 - No. 12
ウィル・パワー (2009年 - )
過去の所属ドライバー
マーク・ダナヒュー(1968年 - 1975年)
デヴィッド・ホブス(1971年)
ゲイリー・ベッテンハウゼン (1972年 - 1974年)
ゴードン・ジョンコック(1972年)
マイク・ヒス(1972年, 1974年)
ボビー・アリソン(1973年, 1975年)
トム・スニーヴァ(1975年 - 1978年)
マリオ・アンドレッティ(1976年 - 1980年)
リック・メアーズ(1978年 - 1992年)
ボビー・アンサー(1979年 - 1981年)
ビル・アルサップ(1981年)
ケヴィン・コーガン(1982年)
アル・アンサー (1983年 - 1989年)
ジョニー・ラザフォード(1984年[注 2])
マイク・サックウェル(1984年[注 2])
ダニー・サリバン(1985年 - 1990年)
ジェフ・ブラバム(1989年[注 2])
エマーソン・フィッティパルディ(1990年 - 1996年)
ポール・トレーシー(1991年 - 1994年, 1996年 - 1997年)
アル・アンサーJr.(1994年 - 1999年)
ヤン・マグヌッセン(1996年[注 2])
アンドレ・リベイロ(1998年)
アレックス・バロン(1999年, 2003年[注 2])
ゴンサロ・ロドリゲス (1999年)
タルソ・マルケス(1999年[注 2])
ジル・ド・フェラン(2000年 - 2003年)
エリオ・カストロネベス(2000年 - 2020年 [注 3])
マックス・パピス(2002年[注 2])
サム・ホーニッシュ・ジュニア(2004年 - 2007年)
ライアン・ブリスコー(2008年 - 2012年)
A.J.アルメンディンガー(2013年)
ファン・パブロ・モントーヤ(2014年 - 2017年)
サイモン・パジェノ (2015年 - 2021年)
オリオール・セルビア(2016年[注 4])
※ グレッグ・ムーアはチーム・ペンスキーより2000年シーズンに出場予定であったが、1999年シーズンの最終戦での事故により他界した。代わりに招かれたのがエリオ・カストロネベスである。
モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ
現シーズン(2024年)
- No.オースティン・シンドリック(2021年 - ) 2
- No.12 ライアン・ブレイニー(2014年, 2018年 - )
- No.22 ジョーイ・ロガーノ(2013年 - )
過去の所属ドライバー
- ドニー・アリソン(1972年)
- ボビー・アリソン(1974年 - 1976年)
- ラスティ・ウォレス(1980年, 1991年 - 2005年)
- ジェレミー・メイフィールド(1998年 - 2001年)
- マイク・ウォレス(1998年 - 2001年)
- ライアン・ニューマン(2001年 - 2008年)
- トラヴィス・クォピル(2004年 - 2005年)
- ブレンダン・ゴーン(2004年)
- カート・ブッシュ(2006年 - 2011年)
- サム・ホーニッシュJr.(2007年 - 2010年, 2012年)
- ブラッド・ケセロウスキー(2011年 - 2021年)
- A.J.アルメンディンガー(2012年)
- ファン・パブロ・モントーヤ(2014年)
エクスフィニティ・シリーズ
現シーズン(2021年)
- No.12 ブラッド・ケセロウスキー
- No.22 オースティン・シンドリック
Remove ads
主なスポンサー
データは2013年時点。
- フィリップ・モリスUSA[注 5](タバコ)
- ミラー(ビール)(NASCARのみ)
- IZOD(アパレル)
- シェル/ペンゾイル(ガソリン、オイル)
- 日立オートモティブシステムズ
- ヤマザキマザック(工作機械)
- コカ・コーラ(ソフト・ドリンク)
- ベライゾン(携帯電話)
F1

概要
1974年の終盤カナダGPからF1に参戦。1975年からフル参戦を開始した。1975年の一時期、マーチ製シャーシを使用もしたがそれ以外は自製シャーシで参戦。エンジンはフォードコスワースDFVを使用して、当時の典型的なF1マシンであったが、デザインは他のチームと異なり、曲線などをマシンの随所に使用していた。スポンサーはファースト・ナショナル・シティ銀行。
1976年のオーストリアグランプリでは、チーム唯一となる勝利をジョン・ワトソンが挙げた。1977年にドイツのホイールメーカーであるATSがチームを買収したことから、エントリー名がATS・レーシング・チームに変更されたが、コンストラクター名はペンスキーのままであった。マシンは前年度のPC4を継続使用した。1978年からはコンストラクター名もATSとなり、さらにマーチも買収して、完全にATSとして参戦した。
変遷表
*枝がついているチームに車体を供給(括弧内に供給した車体の型番を記載)
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads