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1977年のF1世界選手権
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1977年のF1世界選手権(1977ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第28回大会である。1977年1月9日にアルゼンチンで開幕し、10月23日に日本で開催される最終戦まで、全17戦で争われた。
1977年のFIAフォーミュラ1 世界選手権 |
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前年: | 1976 | 翌年: | 1978 |
一覧: 開催国 | 開催レース |

概要
1976年ドイツGPでの事故が元でタイトルを逃したニキ・ラウダが完全復活。優勝は3回ながら、コンスタントに得点を積み重ね、自身二度目のタイトルを獲得した。フェラーリもコンストラクターズチャンピオンシップを3連覇。しかし、ラウダはチームと衝突し、シーズン終盤を欠場した。
ロータスは革新的なグラウンド・エフェクト・カー、ロータス・78を開発し、5勝を挙げ低迷から脱した。
ウィリアムズ(フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ)を買収して発足したウルフが開幕デビュー戦で優勝。シーズン中に3勝を挙げ、ジョディー・シェクターがチャンピオン争いに食い込んだ。一方、フランクは新たにパトリック・ヘッドをパートナーとしたウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング(WGPE)を設立。1977年はマーチのシャーシを購入して参戦しつつ、翌年のコンストラクターとしての参戦に備えて準備を進めた。
シーズン中盤のイギリスGPでターボエンジンを引っさげてフランスのルノーが参戦を開始。タイヤはミシュラン製、ドライバーはフランス人のジャン=ピエール・ジャブイーユと、オールフランス体制だった。
この年デビューした有力選手はジル・ヴィルヌーヴ、リカルド・パトレーゼ、パトリック・タンベイ、ブルーノ・ジャコメリ。新規参戦チームが増える一方で、マーチとBRMがF1から撤退した。マーチは1981年に復活する。
南アフリカGPではトム・プライスがマーシャルを跳ねた事故で死亡。ラウダの代役としてフェラーリ入りしたヴィルヌーヴは日本GPでコース外に飛び出し、観客が死傷する惨事となった。
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開催地及び勝者
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エントリーリスト
エントラント名変更
- サーティーズのNo.18は、第7-14戦は「チーム・サーティース」。
ドライバー変更
- ブラバムのNo.8は、第14戦以降スタックがドライブ。
- サーティースのNo.18は、第7-9戦はパーキンスが、第10-13戦はシュパンが、第14戦はレオーニがドライブ。
- エンサインのNo.22は、第6戦のみイクスがドライブ。
- ヘスケスのNo.25は、第5-9戦はアーテルが、第11-13戦はレバークが、第14戦以降はアシュレーがドライブ。
- ヘスケスのNo.39は、第7-9戦はレバークが、第12,13戦はアシュレーがドライブ。
エンジン変更
- なし
タイヤ変更
- なし
スポット参戦
- エンサインのNo.23は、第10-17戦のみ出走。
- ペンスキーのNo.35は、第11戦のみ出走。
- ボロのNo.38は、第13,14戦のみ出走。
- ヘスケスのNo.39は、第7-9戦のみ参戦。
- マクラーレンのNo.40は、第10戦のみ出走。
- ウィリアムズのNo.41は、第14戦のみ出走。
- ティレルのNo.50は、第17戦のみ出走。
- コジマのNo.51,52は、第17戦のみ出走。
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1977年のドライバーズランキング
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1977年のコンストラクターズランキング
- 太字はカウントされたポイント
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ノンタイトル戦結果
注
外部リンク
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