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マイク・ガイエゴ
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マイケル・アンソニー・ガイエゴ(Michael Anthony Gallego , 1960年10月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡ウィッティア出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。
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経歴
現役時代
1981年のMLBドラフト2巡目(全体33位)でオークランド・アスレチックスから指名され、プロ入り。
1985年にメジャー初出場するとその巧みな内野守備とつなぎの野球(1990年にはアメリカンリーグ最多の送りバントを記録。)でチームの3年連続ワールドシリーズ出場に貢献する。
1992年にはニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。ちょうど入れ替わりになるがデレク・ジーターと同じく遊撃手かつ背番号2であった。
1995年はアスレチックスへ復帰した。この年放った安打の28本は全て単打であり、これは投手を除いた記録としては1912年以来のことであった。
1996年からの2年間はセントルイス・カージナルスへ移籍し、アスレチックス時代の監督であるトニー・ラルーサの下でプレー。これを最後に引退した。
引退後
1999年にボストン・レッドソックスのマイナーの内野守備コーチとして指導し、2000年から2008年まではコロラド・ロッキーズの組織で内野守備コーチを務める。
2005年からの4年間はメジャーのコーチとしてチームの守備力向上に尽力し、ナショナルリーグを制覇した2007年のロッキーズのチーム守備率.98925はメジャー記録だった。
特に遊撃手のトロイ・トゥロウィツキーはポジション別でMLBトップの守備率.987、一塁手のトッド・ヘルトンはナ・リーグトップの守備率.999をマークした。
2009年から選手時代を過ごしたアスレチックスへ移籍した。2015年8月24日に解任されるまで三塁コーチを務めた[1]。
2015年11月からはロサンゼルス・エンゼルスの育成ディレクターに就任した[2]。2019年シーズンからはエンゼルスの三塁コーチに就任する[3]。2020年からはベンチコーチに転任となり[4]、2年間務めた。2022年は当初守備コーチだったが、6月に監督だったジョー・マドンの解任及び監督代行にフィル・ネビンが就任したことに伴って三塁コーチへと配置転換された[5]。
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人物
妻のキャリンとの間に3人の子供がいる。
長男のニコはカリフォルニア大学ロサンゼルス校でメンズ・カレッジ・ワールドシリーズに出場し、2010年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団し[6]、後にサンディエゴ・パドレスのマイナーにも在籍した。
また、同じくメジャーリーガー(捕手)のオースティン・バーンズは甥にあたる[7]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
背番号
- 9(1985年 - 1991年)
- 2(1992年 - 1995年、2002年、2005年 - 2006年、2013年 - 2015年)
- 22(1996年 - 1997年)
- 4(2007年、2009年 - 同年途中)
- 7(2008年)
- 12(2009年途中 - 2010年)
- 3(2011年 - 2012年)
- 86(2019年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
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