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マイク・ジョンソン (1975年生の投手)
カナダの野球選手 (1975 - ) ウィキペディアから
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マイケル・キース・ジョンソン(Michael Keith "Mike" Johnson , 1975年10月3日 - )は、カナダ連邦アルバータ州エドモントン出身の元プロ野球選手(投手)。
台湾球界での登録名は強森(チャンセン)。
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経歴
1993年のMLBドラフト17巡目でトロント・ブルージェイズに指名され契約。
1997年にボルチモア・オリオールズでメジャー初昇格を果たした。同年にモントリオール・エクスポズに移籍し、2001年シーズンまでエクスポズで過ごした。
2002年シーズン途中にショーン・バーグマンの不振で投手力強化の必要があった大阪近鉄バファローズに入団。入団当初はリリーフで結果が出なかったが、8月3日の対日本ハム戦で来日初先発・初勝利を挙げた。しかしこの1勝のみに終わり、シーズン終了後に自由契約公示された。
2003年シーズン途中に、斗山に移籍したマーク・キーファーの代役として、韓国野球委員会(KBO)の起亜タイガースと契約し、8勝を挙げたが翌年の契約でもめ、同年限りで退団。
2004年のアテネオリンピックではカナダ代表に選出された。8月25日の3位決定戦、対日本戦で先発したが敗戦投手になり、カナダはメダル獲得を逃すことになった。
2005年は2年ぶりに起亜に復帰したが、故障でシーズン途中で退団。
2006年はアメリカ独立リーグのアトランティックリーグに加盟するサマセット・パトリオッツでプレーした。
2007年はアメリカ独立リーグのノーザンリーグに加盟していたエドモントン・クラッカーキャッツでプレーした。
2008年は台湾のLa Newベアーズでプレー。同年は20勝を挙げて最多勝利投手となりMVPに選出され、北京オリンピックに2大会連続でカナダ代表として出場した。
2009年は開幕前の3月に開催された第2回WBCでカナダ代表に選出された[1]。
シーズンでは1月15日に韓国のSKワイバーンズと契約し、4年ぶりの韓国球界復帰。しかしWBCに出場したこともあり調整が遅れ、開幕から2試合に投げただけで4月13日に解雇となった。
同年5月にLa Newに復帰したが、防御率6.58と不振にあえぎ、6月29日に解雇。さらにシーズン中に、エドモントン・キャピタルズ(2008年から加盟リーグがゴールデンベースボールリーグになった)に復帰したが、同年にエドモントンで登板することは無かった。
2011年オフの9月16日に第39回IBAFワールドカップとグアダラハラパンアメリカン競技大会の野球カナダ代表に選出された[2]。
2012年オフ9月11日に第3回WBC予選のカナダ代表が発表され[3]、代表入りした[4][5]。
2015年に2015 WBSC U-18ワールドカップのカナダ代表コーチを務めた[6]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- CPBL
- 最多勝利:1回 (2008年)
表彰
- CPBL
記録
- NPB
- 初登板:2002年6月15日、対福岡ダイエーホークス11回戦(大阪ドーム)、8回表に3番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に松中信彦から
- 初先発・初勝利:2002年8月3日、対日本ハムファイターズ17回戦(東京ドーム)、6回1失点
背番号
- 59 (1997年 - 同年途中)
- 47 (1997年途中 - 2000年)
- 31 (2001年)
- 44 (2002年)
- 53 (2003年、2005年)
- 37 (2008年)
- 54 (2009年 - 同年途中)
- 32 (2009年途中 - 同年終了)
代表歴
- アテネオリンピック野球カナダ代表
- 北京オリンピック野球カナダ代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・カナダ代表
- 2011 IBAFワールドカップ カナダ代表
- 2011年パンアメリカン競技大会野球カナダ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・カナダ代表
コーチ歴
- 2015 WBSC U-18ワールドカップ カナダ代表
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脚注
関連項目
外部リンク
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