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ムーキー・ウィルソン
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ウィリアム・ヘイワード・"ムーキー"・ウィルソン(William Hayward "Mookie" Wilson , 1956年2月9日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州バンバーグ出身の元プロ野球選手(中堅手)。右投両打。
元メジャーリーガーのプレストン・ウィルソンの継父(血縁上は叔父)[1]である。
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経歴
要約
視点
サウスカロライナ大学時代、ニューヨーク・メッツに指名されて入団。1980年9月2日にメジャーデビューを果たす。
50日間に及ぶストライキのためシーズンが中断・短縮された1981年には早くもレギュラーに定着し、その年は92試合の出場で打率.271、3本塁打、14打点、24盗塁。
背番号は「1」で、俊足・好打の「一番・センター」で活躍し、本拠地シェイ・スタジアムでは打席に入るたびに「Mooooo-kie」とファンが絶叫するような人気選手となった。
1982年は159試合で打率.279、自己最多の58盗塁を記録。
肩が弱いこと、一番打者にしては三振が多く出塁率がやや低いことも影響して、1985年以後はレニー・ダイクストラとのプラトーン・システムとなったが、ほぼ毎年100試合以上には出場。
デーブ・ジョンソン監督がコンピューターを駆使して各選手の特徴を把握して起用した分、質の高い活躍をし、1986年から1988年までは規定打席には満たないものの2割9分台を記録。
1986年にメッツは108勝54敗の圧倒的な勝率でナ・リーグ東地区を制し、ヒューストン・アストロズとのリーグチャンピオンシップシリーズも制してワールドシリーズに進出。
ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズ第6戦は、メジャーの歴史に残る一戦となった。10回表にメッツは2点のリードを奪われるが、10回裏、2死走者なしから1点を返し、さらに一・三塁としてウィルソンが打席に入る。ウィルソンは追い込まれながらもファウルで粘り、7球目が暴投となって同点に追いつく。10球目を打ってファーストゴロとなったが、レッドソックスの一塁手ビル・バックナーが痛恨のトンネルエラーを喫し、メッツがサヨナラ勝ちを収めた。勢いに乗ったメッツは続く第7戦も逆転勝ちし、チーム史上2度目のワールドチャンピオンに輝いた。
その後も前述のように活躍したが、1989年は開幕から打率2割前後の打撃不振。シーズン途中に、ダイクストラとの交換でフアン・サミュエルが移籍加入してセンターを守ったこともあり、同年8月1日に2選手との交換トレードでトロント・ブルージェイズに移籍。その時点での打率は.205であったが、ブルージェイズ移籍後は打率.298の活躍でチームを地区優勝に導く。
リーグチャンピオンシップシリーズではオークランド・アスレチックスに敗れ、ワールドシリーズ出場はならなかった。
1991年までブルージェイズでプレイして現役を引退。メッツ時代に記録した281盗塁と三塁打62はいずれもメッツの球団記録となっている(2007年終了時点)。引退後、1996年にメッツの殿堂入りを果たす。同年、ニューヨークのマーシー大学で学士号を取得している。
1996年から2002年までと2011年にメッツの一塁コーチを務める。
1999年には大型トレーラー・トラックの運転免許を取得し、オフシーズンに貨物輸送のアルバイトもしている。
2005年にはメッツ傘下のA級ブルックリン・サイクロンズの監督を務めた。
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詳細情報
年度別打撃成績 (MLB)
- 太字はリーグ1位。
背番号
- 1 (1980年 - 1989年途中、1997年途中 - 2002年、2011年)
- 3 (1989年途中 - 1991年)
- 51 (1997年 - 同年途中)
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脚注
関連項目
外部リンク
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