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ルイス・ガルシア (1978年生の内野手)
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ルイス・アルフォンソ・ガルシア・エチェバリア(Luis Alfonso García Etxebarria , 1978年11月5日 - )は、メキシコ合衆国ハリスコ州出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
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経歴
MLB傘下時代
1996年に、投手としてボストン・レッドソックスと契約。
1998年から打者に転向した。
2001年まで、傘下のマイナーチームでプレーした。その後はセントルイス・カージナルス、クリーブランド・インディアンス、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・メッツを渡り歩いた。
2004年にドジャース傘下AAA級ラスベガスで、打率.314、32本塁打、95打点の成績を残し、メキシコウインターリーグにおいて2008年から2010年の間、3季連続で本塁打王に輝いた。
メキシカンリーグ時代
2006年開幕前の3月に第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメキシコ代表に選出された。2006年以降は、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレーしている。
楽天時代
2011年6月7日、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団[1]。2日後に一軍初昇格。来日初打席でセンター前ヒットを放った。当初は中々成績を残せず、スタメン落ちする試合が多かった。しかし徐々に日本の野球に順応し始め、8月頃から一塁手のレギュラーとして中軸を任されるようになった。山崎武司が不振でスタメンを外されるようになってからはシーズン閉幕まで4番に座り、打率.261、8本塁打、34打点という成績を残した。
2012年シーズン開幕直後、夫人の第2子出産に立ち会うため、4月3日に出場選手登録を抹消されて一時帰国[2]。再び日本に戻った後は、二軍で数試合の調整出場を経て一軍復帰。4番から7番までのいずれかの打順を、主に指名打者にて任されている。6月22日、福島県郡山市のホテルで着替え中にぎっくり腰になり、登録抹消となった[3]。復帰後、全く打てなくなってしまい最終的に77試合出場、打率.227、7本塁打と不本意なシーズンだった。11月21日、自由契約選手として公示された[4]。
メキシカンリーグ復帰
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのメキシコ代表に選出された[5]。この年からメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズに復帰。
2015年3月27日にユカタン・ライオンズへ移籍した。
2017年3月23日にメキシコシティ・レッドデビルズへ移籍。背番号は18。
2018年は、オアハカ・ウォーリアーズとドゥランゴ・ジェネラルズでプレーした[6]。
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選手としての特徴
広角に打ち返す打撃を見せる[7]。
かつては種田仁を彷彿とさせるガニ股打法だったが、2012年シーズン終盤からは重心を高くしたフォームになっている。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2019年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2019年度シーズン終了時
記録
- NPB
- 初出場:2011年6月9日、対横浜ベイスターズ4回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回表に横川史学に代わり一塁手で出場
- 初打席・初安打:同上、7回裏に江尻慎太郎から中前安打
- 初先発出場:2011年6月11日、対中日ドラゴンズ3回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、6番・一塁手で先発出場
- 初本塁打・初打点:2011年6月15日、対広島東洋カープ3回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にブライアン・バリントンから左越2ラン
- 初盗塁:2011年8月5日、対北海道日本ハムファイターズ11回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、6回裏に二盗(投手:ボビー・ケッペル、捕手:鶴岡慎也)
背番号
- 50 (2011年 - 2012年)
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表
- 2007年パンアメリカン競技大会野球メキシコ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表
脚注
関連項目
外部リンク
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