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ロマン・メンデス
ドミニカ共和国の野球選手 (1990 - ) ウィキペディアから
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ロマン・ユニオール・メンデス・ペレス(Román Júnior Méndez Pérez, 1990年7月25日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとレッドソックス傘下時代
2008年、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・レッドソックスでプロデビュー。11試合に先発登板して3勝1敗・防御率2.65・46奪三振の成績を残した。
2009年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッドソックスでプレーし、12試合(先発10試合)に登板して2勝3敗・防御率1.99・47奪三振の成績を残した。
2010年はまずA級グリーンビル・ドライブでプレーし、6試合に先発登板して0勝2敗・防御率11.40・18奪三振の成績を残した。6月からA-級ローウェル・スピナーズでプレー。8試合に先発登板して2勝3敗・防御率4.36・35奪三振の成績を残した。
レンジャーズ時代
2010年7月31日にジャロッド・サルタラマッキアとのトレードで、クリス・マッギネス、マイケル・トーマス、さらに金銭と共にテキサス・レンジャーズへ移籍した[1]。移籍後は傘下のA-級スポケーン・インディアンスでプレーし、3試合に先発登板して1勝1敗・防御率2.31・13奪三振の成績を残した。
2011年はA級ヒッコリー・クロウダッズでプレーし、26試合(先発20試合)に登板して9勝1敗1セーブ・防御率.3.31・130奪三振の成績を残した。オフの11月18日にレンジャーズとメジャー契約を結び[2]、40人枠入りを果たした。
2012年はまずA+級マートルビーチ・ペリカンズでプレーし、18試合(先発12試合)に登板して4勝6敗1セーブ・防御率5.14・71奪三振の成績を残した。8月にAA級フリスコ・ラフライダーズへ昇格。5試合に登板して2勝0敗1セーブ・防御率1.46・9奪三振の成績を残した。
2013年はAA級フリスコで16試合に登板したところで、右肘の疲労骨折によって5月31日に離脱した[3]。この年は2勝0敗2セーブ・防御率1.82・24奪三振の成績を残した。
2014年はAAA級ラウンドロック・エクスプレスで開幕を迎えた。25試合に登板。0勝1敗2セーブ・防御率4.02・30奪三振という成績を残した。7月7日にメジャーへ昇格した[4]。翌8日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。5点ビハインドの8回表から登板し、2回を無安打無失点1四球に抑えた[5]。
レッドソックス時代
2015年9月11日にウェイバー公示を経てレッドソックスへ移籍した。移籍後は3試合に登板し、防御率4.50・1四球・1奪三振という成績だった。年間トータルの防御率は5.27であった。オフの12月2日にクリス・ヤングの加入に伴ってDFA[6]、7日に40人枠を外れる形でAAA級ポータケット・レッドソックスへ配属された[7]。
2016年はAAA級ポータケットでプレーし、32試合に登板。4勝2敗2セーブ・防御率3.38・59奪三振の成績を残した。
阪神時代
2016年11月27日にNPBの阪神タイガースと1年契約を結んだ[8]。12月2日付で、NPBから支配下登録選手として公示された[9]。背番号は20。阪神では、2016年に契約していた6人の外国人選手のうち、ランディ・メッセンジャーとマルコス・マテオに対してのみ2017年シーズンの契約を結んでいた。その一方で、入団1年目の2016年にシーズン中盤まで一軍のセットアッパーを務めながら、10月に右肘の手術を受けたラファエル・ドリスとの契約更新を一時的に保留。このような事情から、ドリスとの再契約に至らない可能性を視野に入れながら、救援陣を強化する目的でメンデスの獲得に踏み切った。なお、メンデスを獲得した直後には、正三塁手候補としてエリック・キャンベルとも契約している。
2017年には、春季キャンプを主力選手主体の「沖縄組」で迎えた[10]が、阪神球団はキャンプ期間中にドリスと再契約。NPBの一軍公式戦で外国人投手を3人までしか同時に登録できない外国人枠との兼ね合いから、右のエースで開幕投手に内定していたメッセンジャーを除く最大2人分の投手枠を、自身と同じドミニカ出身のマテオやドリスと争うことになった。メンデス自身はオープン戦2試合の登板(通算投球回数3イニング)で防御率3.00を記録したものの、日本特有の春先の寒さにうまく適応できなかったことや、前年に実績を残したマテオとドリスが揃って好調なこと[11]を背景に3月上旬から二軍で調整[12]。そのままウエスタン・リーグ公式戦の開幕を迎えると、7月中旬までに38試合の登板(オール救援)で19セーブ(いずれもリーグ1位)という好成績を残した。さらに、開幕から一軍のセットアッパーを務めてきたマテオが腰の張りで調子を崩したことを機に、7月22日付でNPB移籍後初めての出場選手登録[13]。同日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)7回裏から4番手投手として一軍公式戦へのデビューを果たす[14]と、登板4試合連続で無失点に抑えたほか、3試合目の登板だった7月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦(阪神甲子園球場)でNPB初ホールドを記録した。マテオの復帰に伴って、7月31日に出場選手登録をいったん抹消された。8月11日にメッセンジャーが故障で戦線を離脱したため、代わって再登録。再登録後は救援で3試合に登板したが、通算3回2/3イニングで8失点(6自責点)と振るわず、8月16日に再び登録を抹消された。
ウエスタン・リーグ公式戦には、通算でリーグ最多の52試合に登板。1勝5敗、防御率3.48ながら、リーグ最多の23セーブを挙げた。一軍がレギュラーシーズン2位で迎えたDeNAとのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ(甲子園)では登板機会がなかったものの、レギュラーシーズンの終了後にはフェニックス・リーグへ参加していた。オフの12月2日に自由契約選手として公示された[15]。
ナショナルズ傘下時代
2018年1月3日にMLBワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[16]。この年はAA級ハリスバーグ・セネターズでプレーし、メジャー昇格の機会はなかった。
メキシカンリーグ時代
2019年はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのドスラレドス・オウルズと契約。59試合に登板し、1勝7敗32セーブ、防御率3.75という成績だった。
2020年も引き続きドスラレドスに所属したが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でシーズン中止となったため[17]、公式戦での出場は無かった[7]。
2021年は春から秋まではいずれの球団にも所属しなかった。5月19日に東京オリンピック予選の野球ドミニカ共和国代表最終ロースターに選出されたが[18]、本選ではメンバーには選出されず、補欠選手として登録された[19]。オフはドミニカウィンターリーグ(LIDOM)のエストレージャス・オリエンタレスでプレー。
2022年4月23日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約した[7]。
2023年2月14日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのレオン・ブラボーズと契約した[20]。5月21日に自由契約となった。5月23日に同リーグのタバスコ・キャトルメンと契約した[21]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2018年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2018年度シーズン終了時
記録
- NPB
- 初登板:2017年7月22日、対東京ヤクルトスワローズ14回戦(明治神宮野球場)、7回裏に4番手として救援登板、2回無失点
- 初奪三振:2017年7月25日、対横浜DeNAベイスターズ12回戦(阪神甲子園球場)、9回表にホセ・ロペスから空振り三振
- 初ホールド:2017年7月27日、対横浜DeNAベイスターズ14回戦(阪神甲子園球場)、6回表に2番手として救援登板、1回2/3無失点
背番号
- 55 (2014年 - 2015年途中)
- 70 (2015年途中 - 同年終了)
- 20 (2017年)
登場曲
- 「CHA-LA HEAD-CHA-LA」影山ヒロノブ(2017年)
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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