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七二会

日本の長野県長野市の大字 ウィキペディアから

七二会
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七二会(なにあい)は、長野市大字かつ地域。本項ではかつて概ね同地域に所在した上水内郡七二会村(なにあいむら)についても述べる。

概要 七二会 なにあい, 国 ...

概要

長野市の西部に位置し、南に犀川が流れ、北の陣場平山までの傾斜地に集落が点在している中山間地に位置する。犀川沿いには国道19号が通り、県道長野大町線が分岐している。南北には県道戸隠篠井線が通り、中腹には県道小川長野線が東西に貫通している。犀川には笹平ダムがある[1]

中世は春日氏の所領であったといわれ、近世は松代藩領だった。当時は、戸隠松代を結ぶ松代往来道が地蔵峠を通り、笹平には舟渡があった。国道19号も1985年昭和60年)の大安寺橋の改築をはじめ、1995年平成7年)の明治橋の改築、1997年(平成9年)の笹平トンネルの開通などの改良により、さらに交通の要所となっている[1]

村名「七二会」の由来は、1876年(明治9年)に、7か村と枝村の2か村が合併した意味を込めて、「七二会」と命名された[1]

人口

地域内の人口(長野市役所七二会支所管内)は692世帯 1,336人(令和5年3月1日時点)[2]

以下の1889年1990年は『長野市誌 第8巻』[3]に、2000年~は住民基本台帳の各年1月1日時点のデータ[2]に基づく。

七二会地区は純農村であったため、農業の盛衰がそのまま人口の増減に反映されやすい。1915年に人口はピークを迎え、高度経済成長期には若者の農業離れと核家族化が進行し、人口は徐々に減少に向かった[3]。近年、そのスピードは加速し、過疎化が進行している。

1950年(昭和25年) 4,911人
1960年(昭和35年) 4,419人
1970年(昭和45年) 3,571人
1980年(昭和55年) 2,995人
1990年(平成2年) 2,866人
2000年(平成12年) 2,521人
2010年(平成22年) 2,010人
2020年(令和2年) 1,465人
長野市 / 推計人口
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地理

山岳

  • 陣場平山

河川

沿革

概要 なにあいむら 七二会村, 廃止日 ...
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交通

道路

脚注

参考文献

外部サイト

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