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上伊那地域の方言
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上伊那地域の方言は、中北部と南部での差が大きく、一つのまとまった方言圏を形成していない。本記事では、「上伊那地域で話されている方言」について扱う。本文中の「上伊那方言」もそのような意味である。
地域差
要約
視点
上伊那地域の方言は上伊那としてのまとまりはあまりなく、特に太田切川から分杭峠の南北での相違が大きいと言われている。
概要
太田切川-分杭峠以南は飯田・下伊那方言圏に属するとされ、木曽地域とも並行して西日本方言や岐阜・愛知方言との共通点が少なからず認められるなど長野県方言としてはやや異質な地域であるが、太田切以北の上伊那中部・北部ではそれらの特徴がだいぶ薄れ、むしろ諏訪市や松本市、大町市など信州中部の方言に近くなる。これら地域では西日本方言的特徴はあまり多くなく、北に行くにつれ僅かなものになる。反対に東日本方言的特徴は、次第に明瞭なものとなる。また、長野・山梨・静岡方言的特徴は南部でも濃いが、中北部ではさらに際立ったものとなっている。このような相違から、太田切川以北は中信(信州中部)方言に、以南は南信(信州南部)方言に分類される(一般的な行政区分で使われる「中信」「南信」とは範囲が異なる点について注意) [1][2][3][4][5][6]。この太田切川線をさらに重く見る見解も一部で存在し、その一つとして「太田切川東西方言境界線説」がある。方言の系統や分類に関しては詳しくは「東西方言の対立と上伊那地域の方言」で述べる。
以上のように、近畿地方を中心とした西日本方言圏と、関東、東北地方などの東日本方言圏のそれぞれの特徴を比較したとき(体系ではない)、それぞれの特徴が段階的に勢力を弱めながら中部地方全体が東西の緩衝地帯となっているわけであるが、その中でも上伊那地域はそれらの等語線が比較的よく集まるポイントの一つとなっており、もちろんこの辺りだけが特殊な地域というわけではないが、上伊那地域はあくまで東西両勢力の一つの断層地帯としての性格が強く、またそれとも並行して愛知県を中心とした方言の勢力も上伊那地域南部あたりまでで止まっているものがかなり見出せる。西日本全体と共通する特徴がある程度見出せたり、中部地方西部方言との連続性がある程度色濃く認められるのはせいぜい上伊那地域南部あたりまでで、東日本全体と共通する特徴が色濃く見出せるのはせいぜい上伊那地域中北部あたりまでということになる。
- (注):以上のものは、中信方言圏のあたりまでが分布の西限となっているものを抜粋したものであるが、長野県内では佐久地域のあたりまでが東北・関東系の西境になっているものも多く(例えば「べー(意志、勧誘、推量)、べー(…ばかり)、セ(方向)、ヒ>シ、子音+ユ>子音+イ、理由・原因に「カラ」を多用するなど。子音+ユ>子音+イの特徴はもう少し広く上小地域まで認められる)、そのような観点から概ね佐久地域のあたりまでとそれ以外の地域の間に断層が認められるが、それと並ぶやや大きな断層が中信と南信の間にも見られる。しかし関東・東北系のものが長野県までは届いてない例や、西境がほぼ長野県の西境と沿っているもの、それを通り越して岐阜県や愛知県まで及んでいる例などもあるなど、中部地方全体の中で上伊那地域のみが特別目立つ断層地域というわけでもないが、煩雑になりすぎるためそれらは省略した。
上記のうち動詞や形容詞に「ノ」を介さずに「ダ」をつける用法(「見ルダ」「白イダ」のように)は、長野・山梨・静岡方言から南関東、東北地方の一部などで用いられており、中信方言には盛んであるものの、飯田市を中心とする方言では少ない(ただし愛知県まで行くと再び行われるなどやや複雑な分布である)。金田一春彦によれば、この地域の「見ルダ」は東京などの「見ルノダ」等とは少し用法が違うのではないかといい、「見ルダロー」対「見ルノダロー」にしっくり対応する言い方がこの方言にはないのではないかと推測している。これに関しては金田一の述べるように、「行クダ」等をよく使う地域と「行クズラ」のように動詞や形容詞に「ノ」を介さずに「ズラ」がつく地域はほぼ並行しており、「行クンズラ」のように「ノ(ン)」を介す地域では、「行クンズラ」と「行クラ」は確実性の違いによって使い分けられていると見られているが、「行クズラ」を併用する地域になると確実性による区別は次第に曖昧になり、さらに「行クズラ」のみの地域になると「行クラ」と意味による区別はなくなるという。そしてもう少し北へ行くと「行クズラ」一本で事足りるようになり「行クラ」は消える。このような地域では東京でいう「行クノダロー」に対応する言い方が存在しないと見られている[5][6][3]。
- (注):以上のものは、中信方言圏のあたりまでが分布の西限となっているものを抜粋したものであるが、長野県内でも例えば中信と北信の間や中信と東信の間ではこれほどの相違は見られないため、このあたりの方言の性格を語る上で最も大きな特色となっている。ただし、煩雑になりすぎるため表では省略したが、東日本型方言の分布が長野県までは届いてない例や、西境がほぼ長野県の西境と沿っているもの、さらにそれを通り越して岐阜県や愛知県まで及んでいる例もあるなど、中部地方全体の中で上伊那地域のみが特別目立つ断層地域というわけでもない。
- (注):以上のものは、南信方言圏のあたりまでが分布の東限となっているものを抜粋したものであるが、長野県内でも例えば中信と北信の間や中信と東信の間ではこれほどの相違は見られないため、このあたりの方言の性格を語る上で最も大きな特色となっている。ただし、煩雑になりすぎるため表では省略したが、西日本型の方言の分布が伊那谷までは届かずにもっと西で食い止められている例も多いし、数は多くはないが長野県内のもっと広い地域に広まっているものもあるなど、中部地方全体の中で上伊那地域のみが特別目立つ断層地域というわけでもない。
- (注):以上のものは、南信方言圏のあたりまでが分布の東限となっているものを抜粋したものであるが、長野県内でも例えば中信と北信の間や中信と東信の間ではこれほどの相違は見られないため、このあたりの方言の性格を語る上で最も大きな特色となっている。ただし、煩雑になりすぎるため表では省略したが、愛知県の方言の分布が長野県までは届いていない例もあるなど、上伊那地域のみが特別目立つ断層地域というわけでもない。
以上に示すようにこれらの溝にも幅はある。伊那市などの上伊那中北部はある程度中信方言と南信方言との緩衝地域的な性格も持っているが、どちらかと言えば長野県中部以北・以東に類縁を持つものとされている。詳しくは
→「§ 上伊那中・北部方言の位置」も参照
それに対して上伊那南部以南から本格的に目立つようになる西日本方言的特徴や愛知県方言的特徴は、飯田市を中心として発せられ伝えられたものである。飯田市を中心とした小地域の方言の多くも長野県の他地域に同系列のものがないとされ(例外もあるが)、関西や東海方面などに由来するものではないかと見る学者もおり[5][3]、上伊那地域南部は中部地方西部の方言と密接に連なる地域の東端の一つとなっている。
そのようなことから、伊那方言と飯田方言のそれぞれの干渉と断層を詳しく調べることによって長野県南部における一大言境を証明しようという研究も多く行われ、それによれば概ね太田切-分杭峠線に決定的な境界線があるとも言われた。しかし特に駒ヶ根市東伊那や中沢など微細地域の所属などについては議論があり、それらについて詳しくは
→「§ 中北部と南部の境界線」も参照
中北部と南部の境界線
概ね駒ヶ根市赤穂と宮田村の間を流れる太田切川から旧長谷村と大鹿村の間の分杭峠を結んだ線が伊那谷における方言上の一大境界線と見られているが、太田切から分杭峠にかけて真っ直ぐに線を引いた場合丁度境界線上にあたる駒ヶ根市東部の東伊那及び中沢地区の所属についてはやや見解が分かれがちである。境界線に関する研究では、守屋新助、畑美義、福沢武一のものが有名であるが、それぞれの研究方法や目的などが全同ではないためである。
守屋の場合は、飯田で使われているが伊那で使われていない方言について詳しく調査したところ、その分布から太田切川(駒ヶ根市赤穂と宮田村の間を流れる)に決定的な境界線が見られるとした。また遠く離れた名古屋や京都でも距離の割に比較的よく使われているものが太田切川を超えると激減する点についても注目し、飯田方言と伊那方言では根本的に性格を異にしているのではないかと主張。量・質ともに太田切の南北での相違は重視すべきという立場を取り、東海東山方言をもし東海方言と東山方言に分けるなら太田切川の南北を持って分つべきであろうと述べている。ただし、駒ヶ根市中沢や東伊那など天竜川より東側の地域については調査をしていないため触れられていない[33]。
飯田で使われているが伊那で使われていない方言 [33]
10
20
30
40
50
60
70
80
90
100
伊那
西春近
宮田
赤穂
飯島
七久保
片桐
上片桐
大島
山吹
市田
座光寺
上郷
飯田
名古屋(参考)
京都(参考)
|
畑は、似たような方法でさらに詳しく調査した。 まず飯田付近の方言が上伊那にどのように入りこんでいるかについて、その使用率は、中川村89%、飯島町77%、駒ヶ根市赤穂66%、宮田村19%、伊那市5%という割合であり、逆に、伊那附近に使用されていて太田切川以南に少ない語の使用状態を調べてみると、伊那市100%、宮田村88%、駒ヶ根市赤穂21%、飯島町10%であったという[34]。『飯島町誌 下巻 現代 民俗編』で以下の表のように解釈し紹介している[35]。
伊那方言と飯田方言[35]
10
20
30
40
50
60
70
80
90
100
伊那
宮田
赤穂
飯島
飯田
|
そして東伊那と中沢については両方言の混合地帯ではあるが、内容について検討すると関西、東海方面から入ってきた方言のうち代表的なものは赤穂までで食い止められ、東伊那、中沢以北には及んでいないものが多いと主張。当時、東西方言の境界線が長野県南部を通っているという考え方があったためそれとも併せて、赤穂以南を西日本方言圏に、東伊那、中沢は宮田以北とともに東日本方言圏に所属させるべきとの主張を行った[34]。
なお太田切川の南北で大きな相違が見られる理由について畑は、「太田切川は昔から政治上の境界で、大体太田切川以南は関西方面の領主、以北は関東方面の領主の領土であった場合が多かったため、言語、風習等も太田切川を境として長い間に次第に変わって来た」[34]のであろうと人為的要因を主張しているが、「太田切川は流れが急で水量が多く、水難事故が多かったため交通の難所であった」[36]、「伊那谷随一の「暴れ川」として古来から伊那谷を南北に分断してきた」[37]などの自然的要因が挙げることもある。
福沢も、上伊那地域における東西方言の境界線を証明することを目的とした研究で知られる。その手法としては、まず北部系の語と南部系の語の分布・性格についてよく吟味をしたあと、隣接地同士の境界頻度数についての検証を行い、さらにそれに各地点ごとの親疎性や語彙などの語感の違いを総合していくという方法だった。福沢の調べた各地域の境界頻度数は以下のようになったという。
方言境界頻度数1[38]
50
100
150
200
250
300
中箕輪-伊那間
伊那-宮田間
宮田-赤穂間
赤穂-飯島間
飯島-上片桐間
|
さらにここに、天竜川東岸にある中沢地区を加えると以下のようになったという。
方言境界頻度数2[38]
50
100
150
200
250
300
中箕輪-伊那間
伊那-宮田間
宮田-中沢間
中沢-赤穂間
赤穂-飯島間
飯島-上片桐間
|
また福沢は、意図的に上伊那の特徴語のみを抜萃した統計も行い、以下の表のような結果となった。
方言境界頻度数3[38]
10
20
30
40
辰野-中箕輪間
中箕輪-伊那間
伊那-宮田間
宮田-赤穂間
赤穂-飯島間
|
ここに今度は中沢地区、東伊那地区を加えると以下のようになったという。
方言境界頻度数4[38]
5
10
15
20
辰野-中箕輪間
中箕輪-伊那間
伊那-宮田間
宮田-東伊那間
東伊那-中沢間
中沢-赤穂間
赤穂-飯島間
|
福沢はこれらの結果に加えて語感の違いなども総合し(福沢は語感について北部は明快剛直で東日本方言的、南部は温和優雅で西日本方言的な傾向があると主張する[38][4])、太田切川-分杭峠線に言境が認められるとしながらも、中沢地区は赤穂、飯島以南と同じ西日本方言圏に含め、東伊那地区は東西の中間地帯として設けるべきだと主張した[38]点については畑と見解が分かれた。
そのほか、浅川清栄も県内の音韻、文法、語彙などの分布を調べ太田切-分杭峠を信州中部方言と南部方言の境界線とすべきと主張しているが、駒ヶ根市東部の所属や南信方言の位置については特に触れられていない[38]。
一方で、太田切分杭峠線にはあまり肯定的でない見解も一部で見られる。代表的なものとしては、上伊那中北部と南部の境界について熱心な研究を続けた福沢武一が、後年『伊那市史 現代編』『上伊那の方言 ずくなし 上巻』で、
と述べるなど、従来の研究よりもやや南部方言の範囲を広く想定しようという方向性を示した[39][4]。その際の福沢による方言地域別語数分布のグラフを読み取り以下に示す[40]。
50
100
150
200
伊那
宮田
中沢
赤穂
飯島
|
なお福沢は語彙の分布で見た場合、上伊那南部から下伊那全体への連続性についてやや疑問視する見解も述べたが、これの解釈には注意が必要である。風越亭半生によれば、上伊那南部から飯田市あたりまでは概ね共通のものが多く、下伊那南部にやや異なる方言が多いのではないかという[7]。
そのほかで太田切分杭峠線にはあまり肯定的でない見解としては、南向村誌(方言の部分の執筆者は不明)が、いくつかの語彙の分布などを例に挙げながら、諏訪・上伊那系方言と下伊那系方言の境界を中田切川-分杭峠線、すなわち飯島町・中川村と駒ヶ根市の間とみる主張を行っており、また足立惣蔵も自身の調査結果から関西語の影響の及ぶ範囲を伊那谷では飯島町以南とし、中田切川の南北で区別しているなどがある。ただし、いずれも根拠についてはそれほど明確に示されていない[41][42]。なお青木千代吉も、音韻現象における諏訪上伊那方言と南信方言の境界について、連母音[oi][ui]の融合やサ行イ音便の有無などから中田切-分杭峠線に想定したことがあるが、これは音韻のみで見た区分試案のようなものであって総合的区画としての最終結論ではなく(青木は最終結論では境界線についての明示は控える態度を示した)[43]、また上に挙げた項目ものちに馬瀬らの調査によって多少異なる分布を持っていることが明らかになるなど、微細地域の所属を論じようとする場合には少し問題の残るものである。
以上のようにさまざまな説が存在しているが、現在このあたりの区画で最も主流となっているのは馬瀬良雄の提示したもので、境界線としては畑美義説、すなわち太田切川-分杭峠線をもって中信方言と南信方言の境界とし、駒ヶ根市東伊那、中沢については宮田村以北と同じ中信方言に所属させる説を採用した[5][3]。馬瀬は上伊那地域についても綿密な臨地調査を行い、約240地点、280項目もの言語地図の作成および総合的な研究を行った結果と自身の区画論に、さまざまな学者の研究結果を総合したものと見られる[5]。近年では馬瀬による方言区画が専ら採用されており、例えば平山輝男らによる現代日本語方言大辞典でも、馬瀬による方言区画が採用されている。ただし、これを東西方言の境界線と関連づけるような主張は行っておらず、そのあたりについては非常に穏健な立場をとっている。
なお、市川健夫、向山雅重らの研究によれば文化、風習、生活様式などについても太田切-分杭峠線を境に大きく異なっているといい、一例としては忠犬早太郎説話や三河式の手作り花火、照葉樹林帯の分布、炬燵のサイズなどがこのラインの南北で異なるという[44][45][46][47]。なお市川、向山は加えて太田切川を東西方言の境界線とする説にも肯定的であったが、それに関する理論や根拠については次節で述べる。
上伊那中・北部方言の位置
全体的な特徴としては概ね中信方言的であるとされるが、辰野町小野など北端部を除いて、中信方言の中心地である松本市の方言的特徴はあまり濃くなく、伊那市を中心とした地域では中信方言の辺境的、外輪的な性格がやや強い。そのような点で諏訪地域とは並行しており、「松本方言的特徴の色濃い地域」を、「狭義の中信方言」とし、それらの勢力があまり及ばない=「伊那市を中心とした地域から諏訪地域」を別区画として見ている案もある(福沢武一)[4][48][6]。
この「伊那市を中心とした地域から諏訪地域」は既に多少、隣接する諸地域との過渡地域・緩衝地域的な色もあり、飯田方面や山梨県甲州弁からの流入や影響もある程度混じって見られるが、その位置にありながらそれなりの均一性も持った独特の一区域を形成している[5][10][11][4]。なお青木千代吉はこれをさらに「諏訪地域」と「伊那市を中心とした地域」に分けることもできるとしている。そのように見た場合、伊那市を中心とした一つの方言圏というものも考えられるが、しかし飯田や松本に比べてば上伊那内部からの方言放射の勢力は断然弱く、その特徴もそれほど明瞭には見出しにくいという。馬瀬良雄によれば、「伊那市街地の発展が比較的新しく、言語センターとしての機能を充分果たしていないのではないか」という[5][6]。そのようなこともあり、あまり細かく見ない場合は「伊那市を中心とした地域から諏訪地域」までで最も下位区分の一区として見る場合が多い。福沢のほか浅川清栄もそのように見ているという。その場合、圏内のどこかに中心を取ることは難しい。
以上をまとめれば、上伊那地域の方言はまず太田切川のあたりをもって大きくⅠ中北部とⅡ南部に分けられるが、さらにⅠ中北部はⅠA松本方言(狭義の中信方言)域と、ⅠBそうでない地域に分けられるということになる。ⅠAとⅠBの境界について福沢武一は、明確に線を引くことは難しいが、辰野町辰野あたりがだいたい分界と見られ、辰野町小野など塩尻市と接する地域は明確に松本の方言圏(狭義の中信方言)に含まれるとした[48]。そして学者によってはⅠBをさらにⅠBa「諏訪地域」とⅠBb「伊那市を中心とした地域」に分けることもできるが、その場合、その境界線が郡境に沿うかどうかについては研究がないため不明。基本的にⅠBaとⅠBbの間にそれほどの相違はないと言われる[4]。
なお、「…ジャン」「…ジャンカ」は上伊那全域から諏訪、山梨の甲州弁などでは古くからよく使われていたとされ、長野県の他地域よりもこの辺りに特徴的なものと言って良いが、起源には諸説あり、それが内的なものであるか伝播的なものかははっきりとわからない。静岡県や神奈川県、愛知県三河の方言とされることも多いが、馬瀬良雄や福沢武一はいくつかの地域で別々に発祥したものではないかとも考えているという。ジャンの起源を巡っては全国の研究者の間での溝が深く、断定的なことは言えない[6][3]。
なお古くは上伊那地域の中心であった伊那市高遠町からの放射もあると思われるが、新たな言語伝播の波に洗われるなどしてそれらの確認は難しいという。上に挙げた特徴も、かつて高遠を中心として発せられた放射をある時期以後、伊那市街地が肩代わりして引き継いだものである可能性もある[5][6]。
伊那市方言よりもさらに勢力は弱いが、駒ヶ根市赤穂を中心とした小地域の特徴もいくつか見出せる。例えば疑問詞の平板型アクセントを取ろうとする傾向や、終助詞の「…ケ?」など(「ソーケ」「ソーケー」のように使う)[49]である。いずれもその範囲は広くなく、前者は赤穂を中心に宮田、東伊那、中沢、飯島の一部に分布し(ただし赤穂以外ではかなりゆれが生じていて個人差や単語差が大きい)、後者は概ね駒ヶ根市から松川町あたりまでは使われるようであるが、中川村、松川町などでは駒ヶ根ほどは多用されず、またあまり丁寧ではない場面で使われる傾向にあるという[4][5][50]。また語彙でも、赤穂を中心としたものが若干見られる。
語彙はそれぞれの地域に独自のものはそれなりに見出せるようであり、伊那、赤穂の他にも、辰野町、箕輪町のような小地域からの放射やそれらの地域のみに特徴的な方言、伊那市長谷など東部のみに特徴的な方言も見られるという[4][5]。語彙の分布については、「語彙」の項を参照されたい。
諸家による区画・区分・分類案
方言区画・方言圏
- 馬瀬良雄による方言区画[3]
- 畑美義による方言区画[34]
- 福沢武一による方言区画(第1次) [38]
- 風越亭半生による方言区画論
風越亭半生は、「◯◯弁」のような呼称について、「◯◯地域で使われる方言だから◯◯弁」「△△地域で使われる方言だから△△弁」と言ったように定義づけるのには問題があると主張。◯◯地域を中心とした広がったその言語体系の勢力圏を、行政区画に拘らずに「◯◯弁」のように呼ぶべきではないかと主張し、以下のように定義した[7]。
次のものは上伊那地域を方言の違いによって分けようとしているが、周辺地域などとの関連性については明言されておらず、方言圏の全体像についてはわからない。
以下2つはその結論に至った根拠については今日ではやや疑問視されている。
- 南向村誌による区画[41]
- 青木千代吉による音韻のみから見た方言区画[43]
さらに細分する場合
上伊那地域の方言をさらに細かく分けようとする場合以下の案も存在するが、厳密な意味での方言区画案に当たるかどうかわからない。
- 畑美義による方言区画
- 地形、政治的区画、同一語の比較的多く用いられている地域などを勘案しての区画であるという[34]。
- 馬瀬良雄による区分[5]
- 竹入弘元による区分[51]
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東西方言の対立と上伊那地域の方言
要約
視点
「シローナル/白クナル」「行カン/行カネー」「人がオル/人がイル」と言ったような、日本を東西に二分するような分布を持つ方言は概ね平均して糸魚川から浜名湖あたりで分かれると言われ、その東西での方言の違いは奈良時代から国民に意識されてきたものであるというが、しかしそれらの分布を一つ一つ見ると太平洋側ではその等語線が大きく分散し、長野県南部や静岡県西部にも西日本方言的なものが多く入り込んでいたり、反対に愛知県や岐阜県にも東日本方言的なものが入り込んでいたりするため、この辺り一体が境界帯となっている。つまりこれらの地域では、西日本的な言い方と東日本的な言い方が混ざって使われる。
上伊那地域の方言は、北部では概ね東日本方言的特徴が濃いとされるが、南下するにつれ西日本方言的特徴が増加し、南部では基準の取り方にもよるが概ね両特徴が拮抗するという見方があるなど、東西両勢力の拮抗する境界帯の中の東端の一部となっている[52] [5]。
では、上伊那地域の方言の分類や系統、また方言の根本的な性質などについてはどのように考えられているか。
東西方言の境界の引き方には大きく2つの立場がある。一つは東西方言の境界帯に合わせて概ね糸魚川-浜名湖ラインのあたりから想定する説であり、その際県境を目安に(あるいはある程度積極的に)境界線を引いている案も多いが、より微視的に見る場合などでは、太田切川-分杭峠ラインを東西方言の境界線と見る説も存在する。またもう一つの立場としては、さらに西に進んだ概ね岐阜県・愛知県の西側あたりに境界線を想定しようとする説も多く見られるが、この辺りは学者個人の言語観や方言区画の目的などによって分かれる側面が大きい。
以下では諸家による方言区画論と東西方言境界線の引き方について紹介し、さらに文法、語彙、アクセント・音韻に分けて詳しく述べる。
諸家による方言区画理論と東西方言境界線の引き方
方言区画にはさまざまなものが提案されているが、ここでは、総合的な区画案に絞って紹介する。
糸魚川-浜名湖線説と方言圏派
都竹通年雄は、言語現象の等語線を重ね合わせる手法を用いて方言を区画し、概ね新潟・長野・静岡と富山・岐阜・愛知の県境を持って東西方言の境界とするのがよいのではないかと発表した。都竹の発想としては境界線というよりまず統一的な面を積み重ねていくというものであり、東日本全体に共通して見られる特徴と、西日本全体もしくは本州西部全体に共通して見られる特徴とが、この辺りで分かれるためである。
都竹は“東西方言の境界として”、アクセントよりも文法を重視したと言われるが、それは方言の分布を区分けの根拠としているためである。都竹自身が東西方言の指標の基準について以下のように述べる[52][53][54]。
ダを本州東部方言の特徴としてはいけない。中国地方の一部、出雲式方言の区域の全部でダを使うから。「払うた」を本州西部方言の特徴としてはいけない。出雲式方言に「私った」があるから。アクセント体系を目安としてはいけない。なぜなら中国地方では東京式アクセントを使っているから。
- (注):もっとも都竹の場合は九州方言をその特徴からして西日本方言からは切り離して別区画として立てているため、東西方言の基準の取り方については本州西部のみに共通で九州までは及んでいないものも含めている。西日本方言に共通する方言的特徴は近畿地方を中心として広まったものであるため、九州も含めた西の隅々まで広がりきっていないものはやはり東方面への広がりも若干狭い傾向はあるが、概ね平均的に見れば岐阜県や愛知県のあたりまでで分布の止まっているものが多い事実は変わらないため、中部地方の区画にはあまり影響はないとされる[53][55]。
このような手法に代表される立場は、重ね合わせ派、もしくは方言圏派などと呼ばれ、言語の区分としては「客観的、機械的」「概ね言語分布の実態に即している」「言語自体の相違に焦点を合わせている」など評価がある一方で、このような立場から区画を立てる場合、それらの分布の中心部ほどはっきりとしていて、外周部分となると等語線がバラバラになって綺麗にはまとまらず漠としたものになる場合が多く、どこが西日本と東日本の境界かということを論じる際には元来やや不向きである[56][53][52]。具体的に言えば、岐阜市や名古屋市を西日本方言圏に含め、長野市や松本市を東日本方言圏に含めることは概ね分布の実態には即していると言えるが、さらに接近して三遠南信地域のあたりとなるとそれら間に画然たる境界は見出しにくい。
実際に都竹自身も、東西方言境界線を跨いで両側に位置する三遠南信地域の方言的共通性については認めており、東西方言境界線という最も上位の境界がこのようになることについては少し悩んでいたようである[57]。この点に関して大岩正仲が次のように解説する[58]。
幾つかの言語事象の各境界線が皆それなりに段階的に東西を区切ってはいても、集まって一線となることなく謂わゆる束状に地帯をなしているのであって、幾つかの小段階が二階と下とを結ぶ階段のように東西両方言をつないでいるわけである。中間のおどり場のような県境に一線を引いてこれを区画するのであるから、境界線の両側が相似ているのも当然である。
また飯豊毅一も、等語線によって引いた境界線の両側の方言について次のように述べる[53]。
ちょうどスペクトルの黄と緑との境界に印をつけることができないようにそれが困難であることもあろう。それは一つ一つの等語線にそのような傾向の見えるものもあろうし、一つ一つの等語線ははっきりしていても多くの等語線を一括して見たときにそのような傾向の見えることもあろう。そのような場合A方言、B方言の中心部の違いを考慮に入れて、二つの地域の中間に操作的に境界線を引くことはあり得る。このような場合、境界線の両側に近接している二地点の方言は極めて類似しているのが普通である。
東西方言境界線という最も上位の境界がこのような処理になることについては問題視する見解も挙がったが[59][53](牛山初男など、この線をある程度積極的に支持する研究もあったが)、実際、糸魚川-浜名湖線をより微視的に見ることで妥当なラインを見出そうという構想もあった。
実は都竹がこのような区画を発表するよりも前の時代に、方言区画論の創始者である東条操は中部地方の区画について、「本州中部方言」を設けるなど東西方言を明確に区画することには慎重な姿勢を示しながらも[52]、もし東西を二つに分けるとしたら『日本言語地図』におけるイル/オルの分布のように、長野県の南部のみ西日本方言の勢力がえぐってくるような境界線の引き方を構想していたようである。それは以下の記録から確認できる。
- 東西二大方言の発界線は、静岡県と愛知県を南北に走っているが、東日本と西日本とは、日本アルプスと天竜川で分かれ、北の境界は富山と新潟におき、中間の長野は北と南に分かれる(1931年)[60]。
- 本州西部方言と本州東部方言との境界線は、越後と越中、北信と南信、遠江と三河の間を通って引かれるということが今では大体承認されているが、本州中部地方は言語上でも東西両方言の中間地帯であるのでこれ間に立てて本州方言はこれを東部、中部、西部の三方言に分けてもよい(1933年)[58]。
- 従来、新潟県の親不知、長野県の鳥居峠、静岡県の浜名湖を連ねる線が東西方言の境界線をして認められていた(1954年)[61]。
このような影響により長野県の研究者の間では県の南部に東西方言の境界線が走っていることを前提に研究が進められていき、畑美義、福沢武一は調査・研究の結果、太田切川-分杭峠の南北に大きな相違が見られるとし、その線以南の地域を岐阜・愛知方言らとともに西日本方言に区画すべきであると主張した(ただし、駒ヶ根市東伊那及び中沢地域の所属に関しては見解が分かれている。また福沢はのちにその主張は撤回している[4][34][38])。
このような見解には市川健夫、向山雅重など県内の地理学者、民俗学者から特に支持があった。市川、向山は太田切-分杭峠線を東西文化の境界線と見る考え方にまず肯定的であり、方言についてもそのように考えていたようである[62][63][64] [46][47][65]。また東条も一定の評価をしているようで、畑美義「上伊那方言集」では冒頭で東条が登場し「東西方言の境界線が太田切川から分杭峠に至る線であると実証するのもこの方言集であろう」と述べてしまっている[34]が、東条はこの頃には既に東西の境界については全く別の構想を持っていたようである。そのようなこともあり、現在では畑、福沢による独自説という扱いになる場合が多い。
岐阜県・愛知県の西側あたりに境界線を想定する説と方言区画派
ところで東条の考える方言区画論は次のようなものであった[56][59]。
「方言を比較して、その体系の差異を調べ、その相互関係をただし、その分裂の順序を推論し、国語の全貌を地理的区画によつて明示し得るようにならなければならない。これが方言区画論である。」
東条は方言の成立について、原始日本語が体系として分裂し歴史的に変化して各地の方言が成立したものと考えており、比較言語学の色が濃いとも言われる。方言区画は共時態に属するが、それらは系統を同じくすると見られる方言同士を同じ区画に入れて示したものということではないかという解釈があり、それぞれの方言を有機的体系的な総合体、構造主義的な閉鎖的組織体と捉えていたものと今日では解釈される[56][59][53]。
そこで東条の考える方言区画の方法としては、まずそこに住んでいる人の区画意識が一番深い基底にあって、それを足がかりに境界線によって大方言区画から次第に小方言へと分割して行くというものであった。そのような方言区画はあくまで「言語体系の違いによって分割した地域」であるから、もし仮に遠く離れた地域に再び同じ体系のものがあったとしても別区画となる[53][66]。
東条の考える「東西方言境界線」について、徳川宗賢が次のような印象を述べている[66]。
(東条)先生の区画論では、その内容がどうかということよりも、その境界線をどこに引くかのほうが大事みたいな感じを受ける面がありますね。関東と関西とは違う。それはもう決まったことで問題は、その境界がどこにあるかといったことでしたね。
ここで東条は、方言区画は方言の全体系によるものでなくてはならないから、いくつかの俚言現象の分布図を重ね合わせていくだけでは不十分で、それとは別に体系による比較ができると主張した。そして体系比較による区画が立てられるならば、明確な一線を画すことができるとした[56][53][59]。
以上のような考え方に代表されるような立場を構造派もしくは方言区画派などと呼ぶ[56][53]。
東条は最終的に新潟(一部を除く)・長野・山梨(郡内除く)・静岡と岐阜・愛知の間に一線を画すのは無理だと考え、それらを合わせた東海東山方言で同じ方言体系を持つ一区とし、全体の所属としてはアクセント体系などから東日本方言に入れるのが妥当であること、隣の北陸方言、近畿方言との体系的な差が大きいことからその間に東西方言の境界線を引くのが妥当であると結論づけた[53][59]。
なお東海東山方言内における南信の位置付けについては、以下のようなやや微妙な記述が見られるものの、最終的には東海東山方言で一つの組織と見てそれ以上明確に細分している記述は見られない(ただし解釈は分かれる)[56][67][53]。
- 東海東山方言を静岡・山梨・北信・新潟(いずれも関東的色彩が濃いという)と、南信・岐阜・愛知(近畿的なものもあるという)で少し区別し、後者を東西方言中間地帯と見る(1951年)[68]。
- 大体、長野・山梨・静岡、岐阜・愛知、新潟の3つに分けられるが、長野の南信は岐阜・愛知に近いとする(地図では長野山梨静岡と岐阜愛知の間には境界線は引いていない。ただし、加藤正信や徳川宗賢はこれをナヤシ/ギアにもさらに分けられるものと解釈し、後年、東条の区画に線を加えている)(1954年)[61][56][52]
- 東西方言の境界は、概ね親不知-浜名湖線であるが、一つの線できっぱり東西の方言を分けることは無理であり、東海東山方言を二分して一方を東部方言に、一方を西部方言に入れるのもまた無理のある考えである(1956年)[69]。
さらなる議論
このような区画論についてW・A・グロータースは、「言語体系の区画を求めるといいながら、実は江戸時代以前の各地域ごとの共通語の境界線の痕跡を探しているのではないだろうか」と印象を述べている[70]。
そのようなこともあって、東条の区画では、境界線の引く位置などが方言分布の実態とは必ずしも合っていない部分もあり、東西方言境界線に関して言えば、西日本全体と共通する特徴を多く持ち、かつ東日本全体と共通する特徴のそれほど濃くない岐阜・愛知方言の名古屋弁を東日本方言に所属させる場合、それよりも東日本方言的特徴の濃いと思われる島根県の出雲方言が西日本方言に属することと整合性が取れないのではないかという指摘があった。これはもっと広く見れば中国地方全体が関連する問題であり、両方言とも概ね西日本全体に広がる特徴を多く有しながらも東京式アクセントを用いるなど近畿方言的特色は薄いと言った共通点を持つ[53]。
このような指摘には東条の区画論に対する拡大解釈や誤解も含まれるとされているが、そもそも方言区画の概念や根本的な言語観などが学者によってまちまちであって、「言語の分類」として見る場合それも一理あるということになる[53]。
ここで例えば、岐阜県の方言 (美濃方言、飛騨方言)は、西日本方言に入れられたり東日本方言に入れられたり、さまざまな観点からさまざまな扱いを受けてきたという意味で特殊な方言であると言われているが、もちろん単に関西/関東ということであれば確かにそれで良いかもしれないが、しかし日本全体から見た場合、岐阜県のあたりで東日本のものと西日本のものがちょうど半々くらいに交わると言うことを必ずしも意味せず、実際に東西方言の等語線が最も複雑な様相をなしているのは岐阜県よりも、長野県の上伊那地域南部以南から愛知県、静岡県にかけてである。ただ岐阜県方言は、ある立場から見れば東日本方言に近く、ある立場から見れば西日本方言に近いということであり、方言区画と方言分布は必ずしも一致するとは限らない[11][53]。
もっとも、東条の区画の具体的な境界線の引かれた位置については、主観的、名人芸的との評があり(加藤正信)、例えば、アクセントの体系は明らかであっても文法や語彙などの体系部分は明らかでないまま、時には方言意識や行政区画などを目安にしながらあえて区画しようとしたことに一つの破綻があったのではないかという批判もある(馬瀬良雄)。今後、方言の文法や語彙の体系が明らかになった場合は、東条のような構造派の区画においても東西の所属が動く可能性はあるかもしれないという[52][71][53]。
その後、両派の考えを調和させながらさらに発展させようという方向性の区画案が増えた。現在では、東西方言境界線の引き方について上記のような立場の二極化でまとめきることは難しく、便宜上、以下のような表現が適用される場合が実際には少なくない。
- 岐阜県方言は、アクセントはじめ、発音的特徴の面においては東日本的性格が著しく、形態素(ヴァンドリエスの用語)的特徴の面では西日本方言的性格が著しいと言えよう(奥村三雄)[72]。
- 岐阜県方言は、アクセントでは東日本的、音韻・語法・語彙では両特徴が混在するが一概に所属は決めかねる(加藤毅)[73]
- なお、各要素ごとの東西の特徴の濃淡についても基準の取り方によって見解が多少異なっているようではある。
以下では、その後出た区画案と東西方言境界線について紹介する。
改めて糸魚川-浜名湖線説
金田一春彦は、東条の区画に対し、印象による方言分類・体系による方言区画を立てたいという点で方向性を同じくしつつも、方法としてはあくまで言語自体の相違を基準として方言を区画すべきであると批判した[53]。
金田一の考える方言区画の根底、前提について以下のような記述が見られる[53][74]。
「まず日本語の言語の地域差を要領よく理解するために、これ(方言区画)は是非必要である。」
「二つの地方のことばが違う、その基準に何を取るか」
このような「ことばが違う」という感じの地域差を要領よく比較するには、言語の根幹部のみを取り上げて比較することが適切であり、それがすなわち方言の体系自体を比較するということであるという。そしてそういうものは比較的はっきりとした地域差を示し、はっきりとした境界が引けるであろうと金田一は主張した[53]。
そして日本列島を同心円的に見ることによって、同じ体系と見られる地域は地理的に連続していなくても同じ系譜を持つ同じ方言として分類している点に大きな特徴がある[53][52]。
そのように見ると、「いかにも関西のことばと感じられるような方言」がまず西日本方言の中の内側にあって、その周りの濃尾方言(岐阜・愛知方言)や中国方言などは「非近畿式な西日本方言」と捉えられるという。
これには楳垣実も似た考えのようであり、概ね近畿・四国・北陸を西日本の中心、中国と岐阜愛知を西日本の周辺、九州を西日本の辺境とし、そのあたりまでを西日本方言の区域と見ているという。しかし境界線がどこを通るかなどについてはあまり細かくは論じておらず、微細地域の所属についてはどのように考えていたか不明である[75][53]。
それに対して金田一はいちおう、東西方言の具体的境界線を、新潟・長野・静岡と富山・岐阜・新潟の県境に合わせて小さい線を引いているものの、しかし「東日本と西日本の違い」は、金田一の考える「言語の根幹部分」とはあまり関係がなさそうで、例えば西日本の中の近畿式と非近畿式の差であるとか、さらにそれらと九州、東北などの差などの方が大きいと金田一は見る[53]。
このようなことから、「三遠南信地域の中に最も上位の境界線が引かれるのはどうか」という問題についてもクリアされていると見ることもできる。金田一によれば西関東から中部地方、飛んで中国地方などを「中輪方言」として同じ方言に分類している点、長野県方言位置付けについても注目される[52][56][53][76]。
以上のように東西対立をどの程度重視するかによって印象は異なってくるが、いずれにせよ南信方言を他の長野県方言とわざわざ切り離して岐阜・愛知方言と合わせるような案はあまりなく、それだけの理由が見出しにくいということもある。一方で後述する大岩正仲説など、南信方言のみを西日本方言に分類しようという考えも全くなかったわけではない。大岩説に関しては最後に述べる[53]。
改めて岐阜県・愛知県の西側あたりに境界線を想定する説
一方で平山輝男は、体系比較による区画を立てるならばやはり東条の区画が概ね妥当ではないかと述べ、東条の区画をベースにしながら通時論的な系譜の推定も試みることで、方言の分布・分類の概念と方言の区画を調和させようという論を展開している。平山によれば、東西方言の境界線は東条のように岐阜・愛知の西側に引かれるのが妥当であり、アクセントの変化は環境によってはかなり簡単に行われることを説明した上で、中国方言などは他の近畿方言や四国方言などと同じ言語地盤の上でアクセントだけが東京式に変化したものであると見ているという[77][78][79][71]。
反対に言えば、岐阜・愛知方言やそれに準ずるような地域では、東日本方言を基盤とした上に西日本的な特徴が張り出すように入り込んできているが、個々の語の勢力に関してはバラバラの状態であって区画としてまとめあげるのは困難であるということになる。平山も東条と同じように東海東山方言で一区と見てそれ以上には細分していないが、越後方言が別の独立した一区となっている点や、代わりに山梨県郡内弁が東海東山方言に入っている点などが若干異なる[78]。中部地方の言語境界の状態について平山と似た考えと見られるものには以下の説もある。ただし服部は東日本方言と西日本方言のような分け方は提唱していない。
- 中部地方における語彙、語法の境界が、アクセントの境界から離れて東に移って行った(服部四郎)[80]。
- 愛知県方言(尾張弁、名古屋方言、知多弁、三河方言)は語法・語彙は近畿的、アクセントは関東的、音韻は中間的だが、アクセントが変化しにくく、語彙や語法の変化が甚しいことから、漸次東日本方言へとはっきり傾斜する(芥子川律治)[73]
そのほかに藤原与一も、「中部地方の層位について見ると、元来は反近畿的なものが根強かったもの上に近畿的なものが覆い被さってきている」という考えのようであり、岐阜・愛知方言はおろか北陸方言についても、1990年の著書では東日本方言基盤であると結論づけた[81]。
藤原は、方言には分裂だけでなく統合の方向性もあり、そのような動的なものがいくつかの統一体をなしそれぞれが対立している状態を方言分派と呼ぶ。分派とは自然的なもので、方言とは分派されたもの、という考えであるという。そして共時方言学と通時方言学を統合した高次共時方言学の成立を主張し、方言区画論の目標を「国民の国語生活全体史の究明」とした[81][82][59][53]。
その具体的な分派認定の方法については方言圏派に通じる点も多いとされ、「人間の言語生活の表現と理解の根源となる」という観点から特に文法を重視しているが、一方で方言意識や調査者の実感と言ったような印象資料も大いに加味させた上で地図を整頓しなければならないとし、例えば岐阜・愛知方言の中の三河弁を関東系に含めるのが妥当と見る根拠としても方言意識を挙げている。そして中部地方全体が関東方言によく接続するものと見ており、そのような基盤の違いは文化や風土の差などと関連するだろうと考察している[81][53][82][83]。
一方で、”共時論的把握“,“静態論的把握”としては「中部地方に東西二分の界線がとらえられる」とし、藤原は糸魚川-浜名湖線のあたりに東西の境界を想定する説と、中部地方の西側に想定する説を、そのような観点から区別した[81]。
その中で南信方言については、「地形上、山脈に囲まれた長野県下の一地域性が明らかである」とのことから下位区分としては「長野県方言」で一区域と見るべきであると主張しているが、その上で南信方言の愛知方言ないし三河方言とのかかわりは、例えば信州と山梨のかかわりや山梨と静岡のかかわりよりも濃いものとして注目している。藤原は岐阜・愛知方言など中部地方西部の基質をよく表すものとして、文末詞「ナモシ」類の使用を挙げており、このような日常の言語表現にあって、もっともよく生活に密着したものが南信方言に入り込んでいることが南信方言のいくらかの関西性を表す根拠として挙げている[81]。
以上のような平山、藤原の説に関しても「名人芸的」との評があり[52]、平山の区画では東西方言を区画する際にはアクセントを第一次の現象として区画しているのに、中国方言の区画ではそれが方言体系を形成する他の要素よりも重要な役割を果たしていないという点について、「そのような特色をいくつも重ね合わせて分析の道に深入りすれば、迷いをいっそう深くすることにはならないだろうか」との見解がある(W・A・グロータース)[84]。また藤原の論の具体的な部分については難解な部分が多いため、「理解することが困難」との意見もある(金田一春彦)[53]。
これらに対して奥村三雄は、方言意識や行政区画、地理的環境といったような非言語的要素にとらわれない、言語自体の相違を尺度とした方言の区画を目指したいとし、その手法としては、「今までさまざまな学者が体系の比較として見てきたものも、実際には“言語のある部分の体系的比較”にしかなっていない」と批判。個々の俚言現象に量と質の原則を立ててそれにしたがって等語線に重軽の差をつけ、それらを重ね合わせていく手法が最も優れているとした[59][53][66]。
このような手法は「方言圏派」と似ていると言われるが、一方で「言語の伝播は地を這うようにして行なわれる」のが原則であるから、隣接地同士の方言比較を重視したうえで大区画から漸次小区分に区画していき、ある程度均一となった地域を(その地域内に中核となる地点が求められなくても)、そのまま区画として立てる方法が方言区画としてもっとも適切であるとした。そして東西方言の境界線としては共通性の多い愛知県三河方言と静岡県遠州方言の間ではなく、体系的な部分の対立の大きい岐阜・愛知方言と近畿方言の間に引く方が妥当であるとした[59][53][66]。
このような奥村の方法では、「離れた地域の方言がどのくらい似ているかはわからないため、言語分類としては完全ではないのではないか」という意見もあったが、あくまで奥村の考えは「隣接する地域の方言は互いによく似ているはずであり、遠く離れている地域ほど、全般的には言語的共通性が少ないはずである」ということである。そして、金田一のように遠隔地のものも同一体系として扱う区画は言語区分としてホンモノではない場合が多いのではないかと批判した[59][53][66]。
例えばアクセントのようなABA型の分布は個々の現象分布図においてこそしばしば見られても、多くの分布図を重ねて行くと、次第にその様な区分は難しくなってくるはずであるといい、出雲方言が東日本方言と似ている点があっても、語彙なども重ね合わせた言語体系全般で見ると隣接山陰方言に似ているのが当然であるという[66]。
そしてこのような方法での区画の方が、住民の方言意識や通時論的分派関係をも反映するものになるはずであると主張した[53][66][85]。
奥村の区画論で言う方言区画とは「…地帯」ということであって、「…式(方言)」「…種(方言)」あるいは「…弁」といったようなこととは概念が違うのではないかとの見解もある[53]。
大岩説
大岩正仲は、方言区画論についてそれぞれの方言の特徴を比較する手法を用いながらたびたび論じてきた学者で、東西方言については概ね糸魚川-浜名湖線のあたりで対立している事実を重視しているものの、しかし一方で中部地方としての共通性も多く、東条のように中部地方で一体として見ることも可能であるとし、ただこれは「概ね糸魚川-浜名湖線を持って東西方言を二分するような区画」と、「中部地方で一まとめにしながらそれを東西のどちらにも所属させないような区画」などが、立場或いは目的などによって2枚3枚同時に並立しうるものであって、これらを無理矢理併せて中部地方全体として東西のどちらかに所属させようという区画論は妥当ではないと主張した[58]。
その上で、対立的な部分に方言本来の性格を見出せるとし、概ね糸魚川-浜名湖線の辺りを持って西日本と東日本に対立するものがより本質的であるとの見解を示す。ただそれにしても、東西両方言の勢力の濃淡が段階的であるためどこかで一線を画せる性質のものではなく、東西方言の境界線をどこに引こうとも結局は境界線の両側の接近した地域がよく似ていて区画された地域内でも遠く離れた地域との差異の方が大きくなってしまう。これにさらにさまざまな分布のものを一つの地図に描いていけばなおのことであり、これでは方言区画として成り立たない(たとえ定めようとも部落ごとに一区画となるような数えきれないほど煩雑な網の目になってしまうから無意味)のではないかと主張した[58][53]。
しかし大岩はこれによって方言の分類を完全に否定したわけではなく、方言の研究法としてはまず個々の方言事象の分布を調べてその中心を求めることから始まり、そして各地の方言の本質的な性格を明らかにし、その上で中心的方言を考定してそれらの勢力がどのように周囲に及んでいるかを明らかにすることで方言研究は立派に達成できると主張した[58][53]。
大岩はこれを「方言勢力圏」「圏域」などと呼び、方言圏の考えをさらに徹底させたものと見ることもできる。しかし、両勢力の過渡地帯や緩衝地帯、場合によっては両勢力圏にまたがる地域も認めなければならない点、従来の方言区画の概念が変容することとなると大岩自身が述べる。また方言の各事象は方向不定な且つ面の上での変相であるから、例えば東西両勢力の接触する地域よりもはるか西の地域に再び東日本方言的特徴の強い方言があるということなども当然あり得るとし、もし離れた地域に同じ言語体系を持つ方言があるならば同じ名を与えるべきとした[58][53]。
具体的な中心的方言の標識の取り方については、「シロー/白ク」や指定「ジャ・ヤ/ダ」、「コータ/買ッタ」などのように同一の語から変異を起こしたか起こしていないか、新態か古態かというだけのものであったり、または系列分化によるものについて(それらの根本に音韻上の性質の相違があったとしても)、実際にはこれらの歴史的変遷が地理的分布に一致せず分布の形がそれぞれ食いちがっていると言うことから、本質を証明するものとは捉えられず、方言区画の標識としてはあまり適当でないとした[53]。
例えば、ある地域でウ>オという音韻変化が働いて「うさぎ→おさぎ」「藪→やぼ」「後ろ→おしろ」のような語が生まれたとしても、現在それらの語は既にそれぞれが全く違った分布をなしており、今それらの語を用いる地域で同化作用によるウ>オの音韻変化が働いているわけではないためである。四つ仮名、セとシェ、エとイェ、カとクヮ、などについても、ほとんど全国的に変異を起こしている過程で新態か古態かという程度であるとし、アクセントに型の区別があるかないか幾つあるかという点についてもこのような観点から大岩は重視できないとした[15][53]。
そのような点をふまえると、別箇別系列の重要な言い方のうち、多くの地域に共通の特徴で、且つその分布地域が分散的でないものによって方言の勢力圏を認めるのが最も妥当であると主張。これに量の問題も考慮した場合、打ち消しに「…ナイ」「…ネー」を必ず用いる範囲までを東日本方言の勢力圏、打ち消しに「…ン」を必ず用いる範囲までを西日本方言の勢力圏と見るのが妥当であるとし、「ナイ」「ン」併用地域は東西両方言の緩衝地帯として差し支えないとした。これに従えば概ね太田切川以南の「ン」専用地域は西日本方言に、宮田以北の併用地域は東西の緩衝地帯に属することになるが、全国的な区画案に中では太田切川-分杭峠の説に最も近いものとなる[58][53]。
なお大岩は系統論についても考えていたというが、最終的には「方言の成立は、それぞれの歴史を持ち食いちがった分布を示す個々の方言事象の集合によるのであって、言語体系として分化し発生したものではない」と結論づけ、系統論は成り立たないとした。そのため以上の説も系統を推論したようなものではない[53]。
文法
上伊那地域北部では東日本方言的特徴も多いが西日本方言的特徴も見られ、南部では両特徴がほぼ拮抗するという見方が強い[5]。
ただし、どこまでを東西対立の指標とし、どのように基準を取るかで判定が変わってくる場合がある。厳密な意味で東西2大対立型分布と言えるものは少ないためである[86]。
文法による方言区画には、井上史雄のものがあり、井上は計量的手法を用いて方言を分類した。その結果南信では、数値上西日本方言的な特徴の方がわずかに上回ったが、小さい値であったためとりあえず県境に合わせて東日本方言に所属させたという。ただし井上は中東部(ナヤシ、越後)と中西部(ギア、北陸)のように分け、東西方言境界線を挟んだ両地域の共通性についても認めている[87]。
東西文法の指標
文法による東西対立の指標として、橋本進吉、牛山初男は以下の5項目をその指標と見ているという。
牛山はそれら5項目の分布を詳しく調査し、太平洋側で大きく展開した等語線を一つにまとめて一線を画すことは困難であるが、さらに「…ヘン」「…ヤス」「…コトナイ?」といったような近畿方言の分布についても加えてみると、長野県では上伊那中部以南でやや近畿的なところもあるが岐阜愛知方言と比べると少なく、総合的に照らし合わせれば新潟・長野・静岡と富山・岐阜・愛知の県境をもって文法上の東西方言境界線としてもよいのではないかと主張した[88]。
これは長野県全域を文法上の東日本方言に含んで良いとする積極的な見解であるが、牛山が方言区画論においてどのような立場であるかは不明であり、例えば中国方言など非近畿的とされる西日本方言との整合性についても特に検討はされていない点は、念頭に置かなければならない。
楳垣実、岩井隆盛は以下の7項目を指標として挙げている[73][75]。
馬瀬良雄は以下の10項目を取り上げたことがあり、これらの上伊那地域における分布についても綿密な臨地調査を元に科学的な研究を行っている。
- (1)行カン/行カナイ(行カネー)
- 否定に「ン」を用いるか「ナイ」を用いるかの対立である
- (2)行カナンダ/行カナカッタ
- 過去否定に「ナンダ」を用いるか「ナカッタ」を用いるかの対立である
- (3)行カネバ(行カニャー)/行カナケレバ(行カナケリャ、行カナキャ)
- 否定の順接仮定条件に「ネバ」を用いるか「ナケレバ」を用いるかの対立である
- (4)コレジャ、コレヤ/コレダ
- 断定の助動詞に「ジャ・ヤ」を用いるか「ダ」を用いるかの対立である
- (5)オル/イル
- …ットル/…ッテルともオーバーラップする
- (6)起キヨ(起キョー)、起キー/起キロ
- 一段型動詞の命令形に「ヨ・ー」を用いるか「ロ」を用いるかの対立である
- (7)コータ/買ッタ
- ワ行五段活用動詞の連用形がウ音便をとるか促音便をとるかの対立である
- (8)出イタ/出シタ
- サ行イ音便をとるかとらないかの対立である
- (9)シローナル/白クナル
- 形容詞の連用形がウ音便をとるかとらないかの対立である
- (10)継続態と結果態の区別有り/区別無し
なお馬瀬自身常識的な線を押さえて以上の項目を挙げたというが、後年の研究ではオル/イルは文法というよりも語彙的に東西を分かつ指標であるとして省略したこともあり(このように、オル/イルは東西対立の指標としては重要であるが、それが文法上のものであるかについて学者によって意見が分かれる部分である)、そのかわりに次のような対立の指標も挙げることができると述べた。
- (11)(回想的過去)「…タッタ」「…タッケ」の不使用/使用
- (12)(打ち消しの逆接仮定条件。具体的な対立は記述されていないが、「…ンデモ/…ナクテモ」が考えられる。日本文法地図第4集第157図を参照。馬瀬によれば打ち消しに関する項目が多くなりすぎるため省略したという。)
以上の項目の上伊那地域における分布状況については、次のような調査結果となったという。
- 「上伊那郡誌 民俗編 下」では、「起きない」についても調査されている。その分布は「行かない」と似ているものの、伊那市、宮田村以北では「ネー」が、駒ヶ根市以南では「ン」の割合が増えるなどよりはっきりした分布となっており、語によっても多少異なる点について注意されたい。また臨地調査ではインフォーマントには基本的に男性が選ばれているが、藪原繁里は男性より女性の方が「ン」を使う傾向がありはしないかと述べており、その点にも注意が必要である。また記述的研究における調査地点4地点による使用意識は以下の通りであった[5]。
- 辰野町小野:ネーまたはネを多く使い、ンはあまり使わない。
- 伊那市富県:ネーもンも昔から使う。使用頻度も丁寧さも同程度だが、ネーの方が多少多く、かつ古いのではないかと言う。
- 伊那市長谷非持山:ネーとンが同程度に使われる。
- 中川村片桐:ンを使う。ナイは標準語。
- 宮田村田中:ネーもンもよく用いるが、ンの方が少し丁寧。
- 駒ヶ根市赤穂:(特にインフォーマントによるコメントはないが、ン専用地域として表に載る)
- 馬瀬は自身の研究結果を「…ン」を用いる地域を−、「…ネー」を用いる地域を+、両者を併用する地域を±として以下のようにまとめた。
- (2)「イカナンダ」を用いる(西日本方言的)[5]
- (3) 全域で「イカネバ(イカニャー)」が用いられている(西日本方言的)が、伊那市以北では「イカナケレバ(イカナケリャ、イカナキャ等)」と混用されている[90][5]。
- (4) 「コレダ」を用いる(東日本方言的)[5]
- (5) 1960年代末から1970年代前半にかけて行われた調査(上伊那郡誌 民族編 下)では、以下のような分布となっており、北部ではイル、南部ではオルが主に用いられている。伊那市以北ではイルが一般的であるが、「イルは昔から使い、最近はオルも使われるようになった」と言ったような情報もあったという[5]。
その後大西によって2010年から2015年にかけて行われた調査(長野県伊那諏訪地方言語地図)では、以下のような分布となっており、大西は、「上伊那北部や旧高遠町でもオルが使われるようになった」と分析した。
- (6)「起きる」「見る」など一段型動詞の命令形の多くは、以下の表に示すような分布となっており、ほとんどの地域で「…ロ」となるが、南端部で「…ヨ」「…ョー」も用いられるようになり、下伊那と接する最南端では形勢が逆転する。
ただし、「見せる」「貸せる」「くれる」など、ほぼ全域で「…ヨ」となるものもある[5]。
- (7)「買ッタ」を用いる(東日本方言的)[5]
- (8)全域がイ音便で占められる(西日本方言的)が、衰退しており、現在では非音便が多い。もっとも西日本各地で非音便が多くなってきているため、東西対立の指標として扱うには異論もあるというが、元々東日本にはないものだという[5][9]。
- (9)ウ音便はごく限られた語において行われ、「白く」「赤く」など多くの語は「シロー」、「アコー」と言ったようなウ音便を取らないが、太田切川以南の地域で、語によってウ音便を取ることが若干増える(概ね東日本方言的)[5]。
いま、「良く来た」を例にとれば、駒ヶ根市以南の地域で半数以上がウ音便形「ヨー来た」を使うと報告している。
- (10)区別を持たない(東日本方言的)[5]
- (11)老年層で「…タッタ」、若年層で「…タッケ」が用いられる(東日本方言的)[5]
- (12)「…ンデモ」「…ナンデモ」「…デモ」「…ドモ」などが用いられる(西日本方言的)[5]
馬瀬はこれらの結果を踏まえ、上伊那北部では東日本方言的特徴が比較的色濃いが、上伊那南部(から下伊那にかけて)では文法的には西日本方言的特徴の方ががわずかに上回るのではないかと考察した[5][10]。また、文法における東西方言の境界線のいくつかが上伊那地域の太田切川-分杭峠線にかなり近いところを通っていることも明らかになった[5][10]。
以上のように、通常はまず東西対立の指標となりうる項目をいくつか選び、それがある地域においてどのように行われているか、当てはまる数の多少などを考慮しながら、西日本方言的か、または東日本方言的かなどの度合いを判定するというのが一般的であるが、馬瀬良雄によると、今まで文法上の東西方言対立の指標として挙げられてきたものの言語的特徴を見ると、母音をていねいに発音するか(西)、子音をていねいに発音するか(東) の音声的性質に還元されるものが極めて多いという。例えば「シロー/白ク」、「落トイタ/落トシタ」、「コータ/買ッタ」、「ジャ・ヤ/ダ」、「ヨ・ー/ロ」などは、元々同一の語形であったものがそのような音韻上の性質の違いによって変化を遂げたものであると説明することができ、馬瀬によれば、初め子音性優位の方言が日本一円を覆っていたところに近畿を中心に母音性優位の方言が起こり、それによって変化を起こした語形はほぼ西日本一帯にくまなく広まっているように見えるものがいくつかあるが、より厳密に見ると山陰や九州の一部などに、東日本方言に共通する特徴が残っていたりするという[86]。このようなことから、馬瀬は音韻上の東西対立についても詳しく論ずることで両方言の本質に迫ろうとした。それについては音韻の項で述べる。
ただし、打ち消しの「ン/ナイ」だけはそのような原則から説明することができず、また語源が遠いと思われ、古く万葉時代の「ヌ/ナフ」まで遡る可能性が高いことから、逆に別系列の相違の方を重視した大岩正仲などは、ナイを使う方言を東日本方言に、ンを使う方言を西日本方言と見ても良いのではないかと述べている[53]。「ン/ナイ」は唯一完璧な東西対立型分布をなしている(境界線よりも西の地域に再び東日本と共通する形が分布しない)点も異なる。
なおその他、能力を表す「ヨー……」(ヨー書カン、ヨー書ク、のように使う)なども西の地域にしかないため東西対立の指標として挙げられる場合もあるが、九州などで使わない地域もやや広い(西の隅々まで広がっていない)ため挙げられない場合の方が多い。また伝聞の「…ゲナ」も西の地域にしかないが「ヨー」以上に使わない地域が広い(サ行イ音便や断定の「ジャ」のように西日本の周辺・非近畿式の地域に比較的よく分布するものの、それらと比べても分布の範囲が狭い)という。どちらも上伊那地域では使わないが、「ゲナ」は下伊那南部まで行くと使われる[11][94]。
東西文法と文法体系
以上では、東西文法の違いをその一つ一つの特徴によって述べてきたが、では東西文法の体系を比較するとどうなるか。馬瀬良雄は、文法を体系によって区画しようとする場合、その体系部分は明らかでないため難しいのではないかという[71]。一方で金田一春彦は、文法の体系部分について積極的に解明しようとしたが、その結果、従来東西対立とされてきたものは文法の体系部分とはあまり関係がなさそうで、東西両方言の文法体系は比較的似ているのではないかという。ただし以下のものは体系とやや関係がありそうだという[15]。
- 近畿地方を中心とした西日本では否定態に「…ン」「…ヘン(セン)」という2つの形をもち、語法に区別がある。関西でいう「書カヘン」は、東京でいう「書キャシナイ」とは意味が違う[15]。
- 西日本の大部分では、可能態を「書カレン」「ヨー書カン」のように区別するが、東京をはじめとする東日本では区別する形式を持たない地域が多い。なお九州では「ヨー…ン」の言い方を持たない地域も多いが、体系としては関係がない。九州では「書キキラン」などの形もありさらに複雑化しているという[15]。
- 上伊那地域には「ヨー…ン」という言い方はないが、一般に能力可能と条件可能が区別されており、西日本方言的である。区別の仕方には地域差が見られる[5]。
- 西日本の多くでは、「書キヨル」「書イトル」のように進行態と既然態の区別があるが、東日本にはない[15]。
- 上伊那地域の方言では区別がなく、どちらも「書イテル」(北部)、「書イトル」(南部)のように言い表わす点、東日本方言的である[5]。
- その他、真田信治は、存在動詞「居る」について、訪問辞などで「居タカ」「居タカエ」のようにタ系で現在を表すものは東日本方言の大きな特徴であるという[95]。
以上のようなものもあるにはあるが、構文や文体といったようなかなり基本的なものから助詞の特殊な用法まで東京と大阪では比較的共通点が多く、東西方言の文法体系はあまり変わらないであろうと金田一は考察する[15]。
音韻・アクセント
音韻・アクセントでは、典型的な東西2大対立型と言える分布はない。しかし楳垣実は、東西音韻にも性質上の違いが認められるとして具体的には以下の3点を挙げている。また馬瀬良雄もそれを支持する[10]。
- 連母音の融合
- 母音の無声化現象
- もともと促音のないところに促音を入れる現象
- 「空風」→「からっかぜ」のようにもともと促音のないところに促音を入れる現象は西日本にもあることはあるが、東日本に断然多いという。この現象は上伊那地域でも多く認められ、特に北部ほど盛んであり、東日本方言的特徴を持っていると言える。ただし南に下るとやや減じるという[5]。馬瀬良雄は、「おっこわれる」「おっつける」のように促音を含む接続語をともなう動詞についても東日本に多い方言的特徴ではないかと述べいるが、上伊那地域における使用についても空っ風等と同様の傾向が見られる[10]。また「ふんだくる」のような撥音を含む接続語をともなう動詞について、西日本にも見られるが東日本に比較的多い特徴ではないかと推定しており、これは上伊那でも全域的に多く使用される[10]。
このような相違の根幹部分は東西文法の性質と全く同じで、母音が子音よりも長く発音される(西)か、子音が母音よりも長く発音される(東)か、という部分に還元できるという。
すなわち、文法では母音優位の性質から変化を起こしたものがほぼ西日本一帯に広がっているパターンが幾つかあるのに対し、音韻ではどの項目もそれほどまでは広がらず(変化を起こさず)、漠然とした東西対立となっているものがあるということである[86]。なお楳垣は、そのさらに根本原因については、談話速度がおそい(西)/談話速度がはやい(東)という部分にたどり着くのではないかと結論づけている[75]。
馬瀬は、上記(1)〜(3)の分布に加え実際に聞いた音声の印象なども参照しながら、次のように分析する。
- 上伊那方言の音韻は、東日本方言的特徴を持ちながら、なお西日本方言的特徴をも併せ持っている[5]。
- 上伊那地域でも北部ほど東日本方言音韻の特徴が顕著で、南下するにつれ西日本方言音韻の特徴が漸増する[5]。
なお、次のものも母音優位/子音優位の性質上の違いに由来するとされ、東西対立の指標としてよく取り上げられる[86]。
しかし分布としては近畿/非近畿的な分布となり、近畿方言の西日本一帯への広がりは(1)〜(3)よりもさらに狭い。このような分布から、楳垣実や金田一春彦は概ね、京阪式アクセントが行われていたり、一拍語がキー(木、気)、ヒー(日、火)のように発音される地域を西日本の中心(ないし近畿式方言)、そのような特徴は広がっていないが、ほぼ西日本一帯に広がるような文法的特徴を持っている岐阜・愛知方言や中国方言などを、西日本の周辺(ないし非近畿式方言)のように見ているという[53][75]。
またそのほか、母音uが西日本では円唇の[u]であるのに対し東日本では平唇の[ɯ]であるのも音韻上の東西対立の指標としてよく取り上げられるが、馬瀬によれば全国における分布もあまりはっきりわからないまま東西対立の指標とされていたといい、子音性優位方言と母音性優位方言の違いに由来するものであるかどうかも馬瀬は特に触れていない。馬瀬によれば上伊那方言では東京よりも平唇の度合いはかなり著しく、上伊那でも南部に行くほどその傾向が強いという[5]。
なお母音uの分布については、田原薫によると、概ね近畿方言、中国方言、四国方言、九州方言で円唇の傾向があり、かつ舌が後ろによく引かれる。それ以東の東日本では、平唇でありまた中舌寄りの発音であるという[97]。馬瀬良雄は、上伊那地域の方言では東京方言と比べても平唇の度合いは著しいが、調音は後ろ寄りである点に注意すべきと主張する[5]。
また、徳川宗賢による、アクセントの型の統合の系譜の推測を試みた研究のある。徳川は何度か結論を修正しているが、上伊那地域の中輪東京式アクセントについては、東日本アクセント系に属すると見ている見ている[59]。
語彙
東西語彙の境界も概ね糸魚川から浜名湖にかけて集まるが、長野県南部にも西日本の語形が侵入してきているものがあり[86][98]、それらの勢力が上伊那南部の太田切川あたりで食い止められている例もいくつかあるという[5]。ただ上伊那地域全体としては、文法よりも比較的、東日本方言的特徴が多く見出せるのではないかと思われる。
一方で、語彙は個別的であり、東西対立型だけでなくかなりさまざまな分布の型がある。境界線を引こうとしても網の目のようになりやすく[53]、また東西語彙の特徴・法則性が見出しにくいこと[15]などから、語彙によって東西方言を明確に区画しようとする試みはやや少ない。
語彙による区画に挑戦したものには古くは橘正一のものがあり、それを修正した計算法によって発表されたものには大岩正仲の区画がある。そこでは県単位で区画が行われているため県内の地域差などは論じることができないが、大体長野県方言は東部辺境方言として、岐阜・愛知の西部辺境方言とは互いに辺境同士でありながら本質的に東部と西部に区画すべきだという。ただし枚挙的な把握としては中部地方を「中部方言」として一つにまとめ、東西どちらにも含めないという把握の仕方も可能であるといい、区分の立場或いは目的と、程度或いは段階とによって、2枚3枚の区画が同時に有り得るとした[58][53]。なお橘、大岩の区画論ではその指標の取り方について、日常生活での使用度などが全く考慮されていない点を金田一春彦が猛批判しているが、「ことばが違うという感じ」の地域的傾向を知りたいという金田一と、それぞれの方言の勢力圏を研究したいという大岩では根本的な考えが違うのではないかという林大の指摘もある[99]。
また語彙を中心とした区画論で上伊那地域に詳しいものとしては、福沢武一のものがあり、福沢は語彙の分布を中心に(しかし厳密には、語彙以外の要素も総合している)見ながら、太田切川以南を西日本方言に区画すべきとする論文を発表したこともあるが、のちに撤回し、「西日本直系の方言は決定的な数には程遠いが、県内の他地域に比べれば目ぼしい特徴をなしている」「東日本の中の西日本というべきである」と述べた[38][4]。
また、五條啓三は『日本言語地図』を利用し、ネットワーク法を用いた方言区画を立てている。それによれば、東北方言園・関東方言圏・北陸方言圏・関西方言圏・九州方言圏の五つがそれぞれ対等な等質性をもって対立しているのではないかという結論に到達したという。ここでは長野県方言は関東方言圏に完全に含まれ関西方言圏との接触点もずっと西となっている。しかし東西2大対立を認めていない点、長野県方言や上伊那地域の方言の所属という意味でも注目すべきである[100][101]。
以下では、典型的な東西対立を示す語彙について『日本言語地図』で詳細な分布が確認できるものを取り上げ、上伊那における使用の有無を記載する。このうち上伊那地域に境界線や地域差が認められると考えられるものについては「おる/いる」「からい/しょっぱい」「すい/すっぱい」「やいと/きゅう」「しあさって/やのあさって」などを挙げることができる[4] [102] [5]。「けむり/けむ」「おとつい/おととい」「つゆ/にゅーばい」等は全域的に混在しているが、上伊那内での明確な地域差を見出すことは難しい[102] 。なお、境界線が京都よりも西にあったり、あるいは東京よりも東にあるような対立も東西対立として扱っている文献があるがここでは省略した。また、玄孫や明々々後日など、日常的にほとんど使われず無回答としている地点の多いものも省いた。
単純/複雑型の対立
東西対立分布の一種と言えるものに、東側が単純で西側が複雑と言ったようなものもある(その逆はほとんど見られないという)。例えば、共通語の「あぐら」は東側が「アグラ」一色なのに対し西側は「アグチ」「ジョロ」「オタグラ」「ヒザ」「アブタ」などのさまざまな語が分布していると言ったような対立である[107]。
以上のように、通常は語彙による東西対立の指標となりうる項目をいくつか選び、それがある地域においてどのように行われているか、当てはまる数の多少などを考慮しながら、西日本方言的か、または東日本方言的かなどその度合いを判定するのが一般的である。
なお東西語彙の特徴については、大岩正仲によればよくわからないという[15]。
一方で、福沢武一は、方言語彙の語感について次のように感じているという。
- 上伊那北部方言:男性的、強い、硬い、明快剛直=東国風
- 上伊那南部方言:女性的、柔らかい、温和優雅=上方風
東西語彙と語彙体系
馬瀬良雄によれば、方言語彙の体系は全く不明であり、語彙体系による方言区画は困難ではないかという。よって東西方言を語彙体系によって区画しようとする試みも今のところない[71]。
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文法
要約
視点
特に分布を示していないものは全域に共通する特徴である。南部に特徴的なものは、下伊那地域の方言と連続した分布を持っている点について注意されたい[5]。
動詞
- 仮定形は「押シャー(押せば)」「見リャー(見れば)」のような形が一般的である[5]が、「押シタラ」「見タラ」のようなタラ形も分布する(もっとも意味・用法などが全く同一であるか、細部に渡っては異なるかは不明である)[88]。
- 「起きる」「見る」などの一段型活用動詞の命令形は、一般にかなり広い地域で「…ロ」となるが、南部では西日本方言的な「…ヨ」と混在しており、中川村片桐などの南端地域では一般に「…ヨ」となる。さらに「…ヨ」は融合して「…ョ(ー)」となる場合が多い(例.見ヨ→ミョ(ー)、セヨ→ショー)。例外として、「貸せる(「貸す」の方言形)・かんしる(「許す」の方言形)・呉れる・待ちる(「待つ」の方言形、この語を用いない地域もあり)・見せる」などの命令形は全域で「…ヨ(…ョ(ー))」となる[5]。また、2010年から2015年にかけて行われた調査では、ラ行五段活用化形式の「…レ」もまばらに分布している[9]。「…ヨ」よりも近畿方言的な「…ー」は、「ミー(見ろ)」などごく限られた語において行われる[88]。
- サ行変格活用動詞「する」には広い地域で「シル」が対応し、上一段活用化する傾向があるが、概ね飯島町中部以南では「セル」になる。「シル」及び「セル」の活用を以下に示す[5][109]。
ただし飯島町中部以南にも「シル」は点在し、上伊那方言集では全域が使用地域に含まれる。一方で、北部に「セル」はなく、「シル」と「セル」を併用する地域では「シル」が古いという意識が持たれている傾向にある。また、飯島町北部〜駒ヶ根市赤穂は終止形は「シル」が一般であるが(共通語と同じ「スル」が固まって分布する地域もあり)「セン(しない)」「セマイ(しよう)」「セロ(しろ)」などが方言集に載るなど、活用形によって混在している点に注意されたい[105][5]。
- カ行変格活用動詞「来る」の禁止形は「コン-ナ」となる場合が多く、koを語幹とする一段化への兆しが僅かながらに見られる[5]。
- サ行五段活用に対応する語に助動詞「…タ」を下接させると「カクイタ(隠した)」「ハナイタ(話した。連母音の融合によりハネータとなる場合が多い)」のようにイ音便をとる場合が多い。ただし昭和40年代後半の調査でも東部・南部では盛んであったが、北部・中部では「昔の年寄りが使った」類の回答が多く[5]、2010年から2015年にかけて行われた調査では、山間部でわずかに用いられている程度である[9]。
- 「落ちる」「建てる」のように語幹末尾が「t」ないし「c」の動詞に第2連用形で、助動詞「…タ」が下接すると「落ッタ」「建ッタ」のように促音(Q)があらわれる場合がある[5]。
- 南部では、「聞く」「敷く」「引く」のようなCikuの構造を持つ語は、第2連用形で「キッタ」「シッタ」「ヒッタ」のような活用となる。駒ヶ根市以南で天竜川以東の地域に多い[5]。
形容詞
- 中・東部では、仮定形は「薄イケリャー(薄ければ)」「濃イケリャー(濃ければ)」のように終止-連用形に「…ケリャー」を下接させる。東部では「…クバ」のような形もあるが、「…イケリャー」に比べて古いという。北・南部では「薄ケリャー(薄ければ)」「濃ケリャー(濃ければ)」のようになる。そのほか全域で「…キャー」や「…カッタラ」も用いられる[5][88]。また「無い」の仮定形は「無ケニャー」の別形を持つ[5]。
- 南部では様態形は「ウマカリソーダ(うまそうだ)」「ナカリソーダ(無さそうだ)」のような形になる[5]。福沢武一によると、南部では「…ございます」の意で「…アリマス」を用い、「うもうございますよ」を「ウマクアリマスニ」などと言うが、「ウマカリ」はその「ウマクアリ」がつづまったものであるという。福沢の調査でも「ウマカリソー」の分布は「ウマクアリマスニ」を用いる地域の範囲内に収まっている[4]。
- 形容詞連用形がウ音便を取ることは一般になく、ごく限られた語において行われる。「いかい(程度が甚だしい)」のウ音便形「イコ・エコ」が全域で用いられるほか、南部では「良い」「疾し」が「ヨー」「トー」のようにウ音便をとる場合がある。「ヨー来た(よく来た)」を例にとれば宮田村以北にまばらに、駒ヶ根市以南に濃密に分布する。「早い」のウ音便形「ハヨー」は不連続的な分布が認められる[3][33][5]。
- 東北信や安筑地方に形容動詞「嫌だ」を「ヤダクナル(嫌になる)」、「ヤダカッタ(嫌だった)」のように形容詞化する方言があるが、上伊那では伊那市以北で「ヤダコト(嫌な事)」が用いられる[4]。
- 北端部の辰野町小野では「同じ」を「同ジケレバ(同じなら)」、「同ジクチャ(同じでは)」、「同シカッタ(同じだった)」のように本来の形容詞と同じように活用する[4]。
形容動詞
次のような形容動詞が用いられる[2]
- コーイダ(こういうわけだ)
- コーイデ(こういうわけで)
- コーイナ(こういうふうな)
- ソーイダ(そういうわけだ)
- ソーイデ(そういうわけで)
- ソーイナ(そういうふうな)
推量表現
推量表現に「…ズラ」「…ラ」を用いるのは長野・山梨・静岡方言の特徴である[5]。
- …ズラ
- 動詞、形容詞に接続する場合、北部では「…ズラ」、南部では「…ンズラ」。例.行くだろう → イクズラ(北部)、イクンズラ(南部)[5]。体言、形容動詞の語幹に続く場合は一般に「…ズラ」であるが、地域によっては「…ダズラ」となる場合もある[5][10]。
- …ダラ
- 動詞、形容詞に接続する場合は『上伊那郡誌 民俗編 下』によると「…ンダラ」となるという[5]。『上伊那の方言 ずくなし』では「行ッタダラ」のように直接「…ダラ」が接続する用法が収集されている[4]。1949年の『上下両伊那方言の境界線』や1980年の『上伊那方言集(改訂版)』では、太田切川以南(=駒ヶ根市赤穂以南)でのみ使われるとされていたが、その後北上を続け、1999年の調査では北端部、塩尻市との境まで分布が確認された[6]。例.イクンダラ(行くんだろうね)
- …ラ
- 動詞と形容詞のみに接続する。南部では「…ズラ」よりも確実性が強いとされているが、北部では確実性による使い分けはないという[5][6]。例.イーラ(いいだろう)
- …タズラ、…タンズラ
- 「…ズラ」の過去及び完了。北部では「…タズラ」、南部では「…タンズラ」となる。例.行っただろう → イッタズラ(北部)、イッタンズラ(南部)[5]
- …ツラ
- 「…ラ」の過去及び完了。例.ヨカッツラ(よかっただろう)[5]
- …タンダラ、…タラ
- 「…ダラ」の過去。例.イッタンダラ、イッタラ(行ったんだろう)[5]
- …ズ
- 例.ソンナ コトモ アラズ(そんなこともあろう)[5]
意志表現
- …ズ、…ズイ
- 長野・山梨・静岡方言の特徴語である。例.イッテ ミテ コズ(行ってみてこよう)[5]
勧誘表現
伊那市(南部除く)以北では「…ナイカ(ネーカ)」「…ンカ」など、直訳すると「…ないか」となる表現が多く用いられているが、「…マイカ(メーカ)」や「…ジャンカ」などさまざまな表現が分布する。伊那市東西春近、宮田村以南は「…マイカ(メーカ)」が非常に多い[9]。
- …マイカ(メーカ)
- 名古屋方面に勢力をもつもので、上伊那方言では融合して「…メーカ」となることが多い。積極的な勧誘であり、共通語訳を与えれば「…うじゃないか」となる。北部では五段動詞には終止-連体形で接続するが、南部では全ての動詞およびそれに準ずる助動詞未然形に接続する。例.行こうじゃないか → イクメーカ(北部)、イカメーカ(南部)。また、南部では「カ」を省略した「…マイ」「…メー」も用いられる[5]。南信方言域の中年層以下では「イキマイ(カ)」の形を用いるという[110]。
- …ナイカ(ネーカ)、…ンカ
- 共通語の「…ないか」に相当し、動作の中に話し手がいないでいることも可能であると言う点で「…マイカ」等と異なる[5]。この表現は北部で盛んであるが、北部では打ち消しはナイ・ネーが優勢であることから「…ナイカ(ネーカ)」がより多い[9]。
- …ジャン(カ)
- 「行クジャンカ」のように終止-連体形に接続する。中部・北部を中心にある程度の勢力を持つ[9]。
- …ズ(カ)
- 意志表現として用いられる「…ズ」は勧誘としても用いられる。共通語の「…うよ」に相当する[5]。ただし使用頻度は低い[9]。
打ち消しの表現
- 現在形(…ない)
- 上伊那は東日本方言の「…ナイ(ネー)」と西日本方言の「…ン」の雑居地であり、広い地域で併用されているが、南部では「…ン」を、北部では「…ナイ(ネー)」を多用する傾向がある(分布の詳細は『東西方言の語法上の対立と上伊那方言』を参照)。
- また、太田切川以南、すなわち駒ヶ根市赤穂以南の地域には、婉曲的な打消表現として「…セン」(例.買やーせん)という表現があり、この地域での使用度は高いとされる。このような表現は、近畿方言の「…ヘン」と同類のものであるとされ、西日本方言的である(東日本では、共通語で言うところの「見はしない」「来はしない」という場面においても、「見ない」「来ない」の類で済ませる地域が少なくない[11][88](近畿方言の「…ヘン」は「…セン」の変化したものであり[111]、上伊那方言の方がより原形に近い)。
- 伊那市富県や箕輪町福与では丁寧形「…ます」の否定形は「…マセン」ではまく「…マシネー」となる[106][5]。これは中信方言の特徴である[112]が、上伊那での詳細な分布は不明である。中川村片桐では「…マセン」[5]。
- 過去形(…なかった)
- 過去否定には伝統的には「…ナンダ」を用いる[5]。県別感覚表現辞典によると、南信方言域の中若年層では「…ンカッタ」を中心に用いるという。中信方言域での使用については言及されていないが、長野県史方言編の言語地図では、高年層で「…ナンダ」と「…ンカッタ」が併用されている地点がある[110][10]。
- 順接条件(…なければ)
- 順接条件には「…ネバ」の変形「…ニャー」が広く用いられるが、「…ずは」ないし「…ずば」に由来するとされる「…ジャー」も用いられる。中・北部では「…ナケリャ」、「…ナキャ」などのナケレバ系や、打ち消し「ない」に直接「ければ」が下接した「…ナイケレバ」「…ネーケリャー」も用いる。また「…ンケリャー」が中・北部などで用いられるが、馬瀬良雄は打ち消しに「ない」と「ん」を併用する地域に分布すると推定している。南部では共通語の「…なければならない」には「…ンナラン」も用いる[5]。
- 逆接条件(…なくても)
- 逆接条件には「…ナンデモ」「…ンデモ」「…デモ」「…ドモ」などを用いる[5]。
- 中止形(…ずに)
- 中止形には「…ズニ」「…ッコ」が用いられる。駒ヶ根市赤穂以南の地域では、「…ナシ二」という表現も用いる。例.ガッコーエモ イカナシニ アスンデバッカ オルンダニ(学校へも行かずに遊んでばかりいるんですよ)[33][5]
- 反語(決して…ない)
- 「…ズカ」「…ズケ」が用いられている。例.ソンナ コトカ° アラズケ(そんなことがあろうか、いやあるはずがない)[5]
指定・断定の表現
指定・断定の表現には東日本方言の特徴である「…ダ」が用いられている。中・北部では「見タダ(見たのだ)」「行ッタダ(行ったのだ)」のように活用語に「の」を介さずに「ダ」が続く用法を持っており、共通語の「…なのだ」には「…ダダ」、「…のか」「…のですか」には「…ダカ」が対応する場合がある[5]。一方南部ではこのような用法はそれほど盛んではないようである[5][4]。また、伊那市西春近以南では「…ナ」という表現もあり下伊那地域に近づくにつれ使用頻度が高くなる[33][5]。東部の谷では旧長谷村南部で多少用いられているという[5]。例.ソーナ(そうだ)
理由・原因
- …二
- 例.アミャー フルニ カサー セーテケ(雨が降るから傘をさして行け)[5]
- …デ
- 「…ですよ・ますよ」と訳せるような場面で「…デ」で文を切る方が自然である場合がある。もっとも「…デ」は「…ぜ」の意味でも用いられることもあるが、話者の方言意識は理由・原因の「…デ」であるという。例.ソンナ トコジャー サブクテ イケネーデ、サー チョット オヨリナ(そんなところでは寒くていけませんよ。さあさあ、ちょっとお上りください)[5]
- …モンデ、…モンダデ
- 共通語の「ものだから」にあたる。例.シラネー モンデ ブチャッチマッタ(知らないものだから捨ててしまった)[5]
- …ダニヨッテ
- 南部で用いられる。例.コーダニヨッテ コリャー ケール ワケニャー イカン(こうだからこれは変えるわけにはいかない)[5]
同意を求める表現
- …ジャ(ー)ネー(カ)、…ジャン(カ)
- 共通語の「…じゃないか」に相当し、自分の推定に他人の承認を求めている場合や、他人を勧誘する場合に用いる[4]。「…でしょう」のように訳されることもある[8]。「ジャン」は近年東京の若年層に進出し全国的に使われるようになったが、元は中部地方の方言であり、「…じゃないか」の「ナイ」に打ち消しの「ン」が混同され成立したとされる[6][3][4]。上伊那地域では男女とも用いるが、女性の方が多用する傾向にあり、「ジャン」より「ジャンカ」の方が古いという。また勧誘に用いる点や、「そこに あるジャンネー(そこに あるよねえ)」といったような用法を持つ点で首都圏方言などのジャンとは若干異なる[3]。発祥地については諸説あり、「浜ことば」とされることもあるが、馬瀬良雄は時代背景や交通などから静岡県西部で発生しそこから上伊那へ伝わった説、打ち消しのナイとンが交錯する地域で別々に発祥とする説を唱えている[3][6]。福沢武一も多元発生説であり、長野県も水源地の一つであると主張する[4]。文献に残るものでは山梨県が古く、山梨県から全国へ広まったとする説もある[113][6]。『長野県方言辞典』の言語地図では、上伊那地域は長野県内で唯一、全地点で「昔から使う」と回答している[6]。
可能の表現
上伊那では一般に、「この子はもう字が読める」といったような能力的可能と、「暗くても大きな字なら読める」といったような条件的可能が語形の上で区別される。ただし南部では区別がやや曖昧である。また、中・南部では「読メレル」「着レル」といったようないわゆる「れ足す言葉」、「ら抜き言葉」が用いられている[5]。
敬語表現
上伊那地域では一般に、敬語表現は隣接する諏訪方言などと比べて比較的分化しており、敬意の程度によって様々な言い方を使い分ける。しかし東部では、敬意の高い表現はごく一部の言葉の丁寧な人が用いるにすぎず、基底方言では敬語表現はそれほど複雑でない[5][10]一方で、飯田市に近接する南部では敬語表現が非常に豊富であり、特に尊敬語を多用するなど、上伊那地域内でも差が認められる。馬瀬良雄は、社会階層が発達していた地域では一般に敬語表現が豊かであると指摘している[3]が、南部駒ヶ根市赤穂や中川村南向などでは、豪農が多くの家来を引き連れ関西方面より移住し、多くの小作人を使用し封建的な主従関係を結んでいた歴史的背景を持つ。これらは太田切川以北にはほとんど見られないという[34]。
尊敬表現
南部では尊敬表現が多彩であり、以下に示す方言形式のもののほかにも「御…」や「…様」などを多用する[3]。
- ミエル(メール)、オイデル、ゴザル
- おいでになる、いらっしゃるの意[5][114][4]
- オ…ル
- お…になる。宮田村以南で用いられる[3]。例.オ見ル(否定形=オ見ン、過去形=オ見タ)、オ帰リル(否定形=オ帰リン、過去形=オ帰リタ)
- …ッシャル、…サッシャル
- …なさる。北部で用いられる。江戸言葉の系譜を引くものであり、「…ッシャル」は五段動詞の未然形に、「…サッシャル」は上下一段活用の未然形とカ変の連用形に付く。サ変の場合は一般に自立動詞の「サッシャル」を用いる[5]。
敬意を込めて勧める表現
- …(ッ)シ(ー)、…ラ(ッ)シ(ー)
- 軽い敬意と親愛の気持ちをこめて勧める表現。五段動詞には未然形に「…(ッ)シ(ー)」が直接接続し、その他の動詞には「…ラ(ッ)シ(ー)」が下接する。上伊那中・北部の特徴語であり、主に伊那市以北で用いるが、南部にも多少分布しているとする資料もある[4][38][115][5]。例.イカッシー(お行きなさい)
- …ッシャレ、…サッシャレ
- 北端部で用いられる。敬意は低く、その分親愛度が高い[5]。
- オ…ナ
- 中・南部では親愛度が高めであるが、東部では敬意の度合いが比較的高めである。概ね上伊那地域全域で使われるが北端部では「オ…ネ」になるという報告もある。例.サーサ オヨリナ(さあさあ お寄りください)[5]
- オ…ネ
- 北端部で用いられる[5]。
- …トクンナ
- 南部ではより敬意の高いものとして「オ…トクンナ」も用いられる[5]。
- …トクンネ
- 北端部で用いられる[5]。
- オ…ナサンシ
- 北部で用いられる[5]。
- オ…ナンイェ、オ…ナンヤレ、オ…ナンヨ
- 南部で用いられる。詳しい分布は調査されていないが、宮田村あたりまでは使用するようである[5][6]。
- オ…テ
- 主に駒ヶ根市赤穂以南で用いられるが宮田村にも多少分布しているとする資料もある。これは「オ…ル」という敬語形式が…テに接続したものである[5][4]。例.オヨリテ(お寄りなさい)
- オ…ナンショ
- 軽い尊敬と親愛感をもって使われる。南部では「オ…ナイショ」となる場合もある。例.オヤスミナンショ(お休みなさい)[5]
- オ…ナシテ
- 主に北部方面で用いられる。例.オクンナシテ(くださいな)[5][4]
- オ…テ オクンナンショ
- 南部で用いられる。相手に命令する場合の最高位の敬語表現[5]。
謙譲表現
謙譲表現はあまり発達していない。一例として、東部伊那市長谷では自身の動作について近所の知り合いに向かってやや丁寧に言う場合と、この土地の目上の人の向かって非常に丁寧に言う場合を文の上で区別しない場合が多いが、場合によって「御…モース」(一般には「御…モーシマス」の形で用いられる)「シンゼル」が用いられる。これらは全域で用いられるが、「シンゼル」は「神仏に物を供える」といったような意味のみで用いる地域もあるという[10]。南部では「オ…スル」「頂戴スル」などの謙譲表現が用いられ、一般に謙譲表現が用いられることのない長野県の多くの方言と対立する[3]。
丁寧表現
- …ゴザンス
- …ございますの意。中部以北で用いられる。例.オツカリデ ゴザンス(今晩は)[5]
- …アリマス
- …ございますの意。南部で用いられる。例.ハールカブリデ アリマスナムシ(久しぶりでございますね)[5]
- …エ、…イ
- 念を押し、感嘆する意味をあらわし、軽い敬意と親愛の気持ちをこめる。「…エ」が一般に用いられるが、並行して「…イ」が用いられる場合もある。これらの表現は全域で用いられるものの、中・北部での使用度がより高く、南部では助詞に下接する表現などでは「…ナモシ」から変形した「…ナムシ」「…ナ」等に取って替わられる場合があるなど、どちらかと言えば上伊那北部方言的な特徴であると言える。(例.ソーダナエ、ソーカエ、アルゾエ等(中北部の特徴)←→ソーダナムシ、ソーカナ、アルカナ等(南部の特徴))[5][4][4]
- (1)活用語の終止形に下接する。例.ワカルラエ(分かるでしょうよ)、ダレカ ヨンデルエ(誰か呼んでるよ)
- (2)助詞に下接する。「…ナ(詠嘆)」「…カ」「…ゾ」「…ヨ」などに下接することが多い。例.ソーダナエ(そうですね)、ソーカエ(そうかね)
- (3)体言、副詞に下接する。例.ソー ユー コトエ(そういうことですよ)、ソーエ(そうですよ)[5]
- …ナム(シ)、…ナモ(シ)、…ナー(シ)、…ナン(シ)等
- …ねえ。南部で用いられる。念を押し、余剰を込めて敬意をあらわす。例.ソーダナム(そうですね)。なお、「ナー」は北部でも目下に対しては使われるが、目上に対しては「ナエ」が一般的であり、敬称としては使われない[34]。南部などでは、長上に対しても「ナー」で押し通すことから外来者に異様に感じられることもあるという[33]。
これらの語の本拠地は名古屋で、長野県では飯田方面に色濃く、また木曽南部でも用いられる[4]。上伊那では南部で用いられ、下伊那地域に近い中川村、飯島町中部以南での使用頻度が高い。語形によって分布に多少の差があり、語形別の分布状況を以下の表に示す。文献の(1)〜(5)はそれぞれ、
- (1) 長野県上伊那郡における東西方言の境界線
- (2) 上下両伊那方言の境界線
- (3) 上伊那の方言 ずくなし 上・下
- (4) 上伊那方言集
- (5) 上伊那郡誌 民俗編 下(言語地図)
とし、語形もしくは地域が調査対象となっていないものは空欄とする。小黒川・三峰川以北にはいずれの語形も分布していない。
- …ニ、…ニー
- …よ。軽い敬意をこめて余剰を含む確認をあらわす[5]。愛嬌ある主張である。福沢武一は、「伊那谷の代表語と言って過言ではない」と述べている[4]。情報提供(相手に当該の事項に関して全く認識がないことが明らかな場合)や独話では用いられない点などで「…ヨ」とは若干異なる[117]。例.ソーダニ(そうですよ)
- …ジ
- 北端部で用いられる。「…ゾ」と似るが、軽い敬意と親愛の気持ちを込めて使われる。松本地方の代表語であり、その影響下にある[5][4]。例.ソーダジ(そうだぞ)
- …ンネ、…イネ
- 北端部で用いられる。念を押し、余剰をこめて丁寧な断定をあらわす。松本地方に盛んな表現である[5]。例.ソーダンネ(そうなんですよ)
- …ナ
- 南部で用いられる。聞き手に対し敬う気持ちをこめて用いられる。例.オアリンカナ(ありませんか)[5][4]
美化語
「お米」「お水」のように上品に美しく表そうとする言い方を美化語と言うが、南部では美化語を多用する傾向がある。また「良い」に「お」をかぶせた「オイイ」が南部を中心に用いられる。宮田村以南に色濃く、北部にも分布する[3][5]。
その他助詞
格助詞
接続助詞
副助詞
- …カ°
- …くらい、…だけ[5]
- …サラ、…セ(ー)ラ、…マシ
- …ごと[5]
- …シャ(ー)、…キリシカ、…バカ(リ)シカ
- …しか、…だけしか[5][4]
- …ッツ
- …ずつ。南部では、「…つ+ずつ」は「…ツッツ」となる。したがって「3つずつ、4つずつ…」などは「ミッツッツ、ヨッツッツ…」となる。例外として「1つずつ、2つずつ」は「シトンツ、フタンツ」となる[5]。
- …ドコ、…ドコカ
- …どころ、…どころか[5]
- …ナニ、…ナンゾ
- …なんか。「…ナンゾ」は南部で用いられる[5]。
- …バカ、…バッカ
- …ばかり[5]
- …ホーケ
- …られるだけ、可能な限り。動詞の第1連用形に接続する。例.クイホーケ クー(食えるだけ食う)[5]
終助詞
その他助動詞
自称
- 対等以上:ワシ
- 対等以下:オレ、オラ、オラー
対称
- 対等以上:オメサマ、オメーサマ、オメサン、オメーサン
- 対等以下:オメー、オミャー、テメー、ワレ、ウヌ、キコー
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語彙
要約
視点
広域など
上伊那全域で広く用いられている語彙を中心に、点々と分布するものや主に中部で用いられているものも含む。 参考文献:[34][105][4][8][118][106][119]
- あいく
- 歩く
- あいさ
- 間
- あいそしー
- 可愛らしい。南部では「愛想がいい」の意味も。例.まー なんちゅー あいそしー ぼこずら
- あいてー、あいて、あいた
- 痛い
- あおぴょーたん
- 顔が青くやせた人のこと
- あかる
- 容器が転倒して中のものがこぼれ出る
- あかん
- 良くない。関西方言の代表的な言葉の一つであるが、上伊那地域でもあまり一般的な使用はないものの、『おらが知ってる伊那の方言』や『伊那谷 長谷村の方言集』などの方言集に載っており、内陸側では東限の一つとなっている[8][120][11]。長野県では遠山郷の使用度が高く[6][11]、大鹿村でも用いられている[121]ため、秋葉街道を通じて伊那市長谷地区にも入り込んで来ていると思われる。例.このパソコン、すぐエラーが出て、あかんな
- あけ°
- 油揚げ
- あこ°か°かき°にかかる
- 貧困の余り飯が食えなくなる
- あこ°た、おとけ°
- あご
- あすぶ
- 遊ぶ
- あたける
- 暴れる、悪ふざけする
- あだじゃねー
- 容易ではない、気の毒だ。例.あんねに いそがしくちゃー あだじゃねーなえ
- あっこ(1)、あすこ
- あそこ。例.あっこえ いって ぼやを もって おいで
- あっこ(2)
- かかと
- あっためる
- 盗む、隠す。例.他人の 本を あっためる
- あばよ、あんばよ、あばな、あんば
- 別れるときの挨拶。「あばよ」は「さらばよ」の約略とする説があるが、福沢武一は「塩梅好う」が語源であると主張する。「あんばよー」は関西などで「具合よく」「都合よく」の意味で用いられる[4]。
- あびる、あべる
- 泳ぐ
- あらかた、おーけん、ど(ー)えんけん、なから
- おおよそ、だいたい
- あらかす(1)、あらける、あらけ°る
- 例.もみを あらけ°て 干す
- あらかす(2)
- 転がす。例.石を あらかす もんで あぶねー
- あらすか、あらずか、あらすけ、あらずけ
- ありなどはしない
- ありこ°
- 蟻
- あれる
- ころげる。例.石か゜ 坂を あれて いった
- あわさりめ
- 重なり目
- あわしまさま
- いつもボロボロな着物を着ている人
- あわたく
- あわてる
- あんじゃーねー
- 心配いらない
- あんと
- ありがとうの意。宮田村以南やや希薄
- いかつい
- 立派な
- いかん
- ダメ、いけない。北部では「いけん」「いけねー」とも。
- いかんに
- いけませんよ、ダメだよ
- いきあう
- 遭遇する
- いきなり
- 乱雑で、中途半端なさま。放置して、構わぬこと。几帳面の正反対
- いけーに
- どんなに
- いける
- 埋める
- いこ、えこ
- あまり
- いしか°け
- 石垣
- いじゃ
- 行こう(強め)。例.おれと 一緒に まちー 買い物に いじゃ
- いただきました
- ご馳走さま
- いちゃつく
- (1)恋人同士が仲睦まじい動作をすること、(2)うるさくつきまとう。北端部では「慌てる」、南部では「子供などが調子づいて騒ぐ」の意味でも用いる
- …いちら
- …まま
- いっちょーらん
- 一枚しかない良い着物。例.お祭りだで いっちょーらんを 着せて よらずよ
- いってきました
- ただいま
- いなだく
- いただく
- いのく
- 動く
- いび
- 指
- いびくる
- もてあそぶ。例.そんねに いびくりゃ こわれちまうぞ
- いぶる
- 揺さぶる
- いぼう、いぼる
- 傷口が化膿する。いぼった とこから うみが でて きた
- いやんべー
- 程よい状態
- いらんこと、よっこなこと
- 余計なこと
- いりのや(入野谷)
- 高遠からさらに南アルプスの山麓へ入った谷(旧長谷村)。
- いれいち
- 一つおき。例.いれいちに 赤く 塗る
- いろむ
- 色づく。例.柿か° いろんで きた
- いんね
- いいえ(否定)
- うだる
- 茹だる
- うつかる、うっつかる
- 背をもたれかかる
- うっつかっつ
- 五分五分、同じくらい、損得なし
- うでる
- 茹でる
- うとい
- バカだ
- うとんぽ
- 空洞
- うます
- 蒸す
- うめる
- 薄める
- うんと
- たくさんに、非常に
- えーと
- 灸
- えーよ、えーよー
- ぜいたく
- えけ°つねー
- ひどい、あくどい
- えらい(1)、くたぶれた、ごしたい、だるい、たるい、たるっこい
- 疲れた。「ごしたい」に関して福沢武一は、万葉集に多出する「こちたし(わずらわしい)」に由来するというのが通説であるが「腰痛い」の訛りである可能性も主張している。疲れからくる腰痛は鈍痛というべきものであり、全身の疲労がそこに根を張った感じであるが、そのような実感がごしたいには宿っているという[4]。
- えらい(2)
- ひどい
- えれる
- 入れる
- えんのしたのくものすまで
- 全財産残らず。例.えんのしたのくものすまでお前のものだ
- おいさん
- おじさん
- おいでな
- おいでなさい
- おいでる
- いらっしゃる
- おいでん
- いらっしゃらない
- おいはん
- 夕飯
- おいび
- 行きましょう。例.みよっさ 学校い おいび
- おいや
- 食べたくない。例.かぜで ねつっぽいで 今朝わ ごぜんわ おいやだ
- おいれ
- 日没
- おかたしけ、おかたじけ
- ありがとう
- おくびとなり
- 成長が遅いこと
- おこた、おこたつ
- こたつ
- おこ°っつぉー
- ごちそう
- おこりばち
- 怒りんぼ
- おさんまくな
- ご粗末な
- おしゃんこ
- 正座。北部系方言の「おつくべ」「おつんべ」「おつんぶ」等と南部系方言の「おかしま」「かしまる」等の接触地域に多く分布する。
- おしょる
- 折る
- おぞい
- 品質が悪い
- おたく°り
- 動物のはらわたを煮た料理
- おちゃ
- (1)お世辞、(2)おやつ、間食
- おっかい、おっかない
- 恐ろしい。「おっかない」は東日本方言の特徴語である[98]が、万葉集の「おくかなし(奥処なし)」もしくは「おほけなし(身の程知らずである、似つかわしくない、果敢である)」を語源とする説がある。この説に対し福沢武一は、前者は古すぎ、後者は語義から離れすぎていると批評している。福沢は「おー怖!」から「おっかい」が導かれ、さらにそこから「おっかない」が造語された説を唱える。柳田國男は「おっか」は「おーこれは!」を語源とする説を唱えている[4]。
- おつかいな、おつかりな、おつかりなんしょ
- (1)お疲れ様、(2)夕方のあいさつ
- おっかさま、おっかさん
- 母親。南部では「おかーちゃ」「おかーま」とも。
- おっさま
- お坊さん
- おっとら
- おっとり
- おつよ
- 味噌汁
- おと、おとっと
- 次に生まれた子
- おどける
- 驚く。例.そりょー きーて まず おどけちまった
- おどし、そめ
- かかし
- おとつい、おっとい
- 一昨日
- おとっこ
- (1)末子、(2)生育の遅れた蚕
- おとっさま、おとっさん
- 父親。南部では「おとーちゃ」「おとーま」とも。
- おなし、おんなし
- 同じ
- おはずけ
- 漬かった漬け菜
- おべー
- 着物
- おべんこー、べんこー
- ませた口をきくこと
- おみゃー
- お前 (卑語)
- おめこ、おそそ
- 女性器
- おもしー
- 面白い
- おもる
- おごる。例.今日わ おれか° おもるよ
- おやき
- (1)米粉をねり、円板状に薄く伸ばして焼いた食べ物、(2)米粉の皮に小豆あんを入れ、茹でた後に焼いた食べ物。上伊那では平板に発音される[4]。
- おやけ°ねー、おやいねー
- 気の毒な、かわいそう。上伊那では一般に「おやけ°ねー」であるが、駒ヶ根地域では「おやいねー」ともいう[122][123]
- おら
- おれ、私
- おらねー
- いない。宮田村のテキスト方言訳に載る。この地域では、「おらん」や「いねー」とともに混用される[10][6]。
- おらほ
- おれの方
- おりいろ
- 紺色
- おるすき°
- お留守番
- おろのく
- 間引く
- おわい
- お食べなさい。例.たんと こしれーたで うんと おわいな
- おわざと
- しるしばかりの品
- おんもり
- 思う存分
- …か°
- …くらい、…だけ。例.お菓子を 百円か° とこ つつんで おくれ
- かーち、かーし
- 代わり
- かう
- 閉める
- …かえ
- …か、…かね。例.そーかえ
- かか°かか°する
- 気ぜわしく動き回る、そわそわする
- かけじ、おかけじ
- 掛け軸
- かじかざわ
- 塩。伊那市高遠町で用いられる。甲州鰍沢で陸揚げされた塩が、甲州街道を通ってこの地まで運ばれたためこの名がついた[5][124]。
- かしき、かしき°
- 炊事
- (ひっ)かしぐ、(ひっ)かしがる、よろぶ
- 傾く
- かしょ
- かせ
- かっつく
- 追いつく
- かどま
- 角
- かぶた、かぶつ
- 株
- からい
- 塩辛い。伊那市以北では「しょっぺー」とも。
- からかみ
- ふすま
- がりあう
- 言い争う。例.あの夫婦わ 年中 がりあってばっかいて よわった もんだ
- かんかん、かんから
- 空き缶
- かんしょ
- 堪忍して下さい(男性的)。例.おれか° わりかったで かんしょな
- かんちょろりん
- 痩せた人
- かんな、かんね
- ごめんね(女性的)。例.わしか° わりかったで かんね
- きかいこーじょのけつまがり
- 製糸工場の女性をはやし立てた子どもの失言
- きさんじー
- 立派な、見事な。例.あの えーの 稲わ きさんじー
- ぎすい
- 滑りが悪い。例.この 戸は ぎすくて いけんで なおして おくんな
- きび
- (1)トウモロコシ、(2)気味
- きびしょ
- 急須
- きもがみじかい
- 短気である
- ぎゅーす
- こらしめる、ひどい目にあわす
- (布団を)きる
- (布団を)掛ける
- きんのう、きんにょー
- 昨日
- きんたまのちーせーやつ
- 小胆の者
- くつば(か)す、くすば(か)す
- くすぐる
- くつばってー、くすばってー
- くすぐったい
- くさくさ、ぐさぐさ
- 固く締まっていない
- くざる、く°ざる
- 悪口を言う
- ぐしゃつく
- 水気が多くなる
- ぐしゃったみ
- 湿地
- くすか°る
- 刺さる。「串」が「上がる」が語源であるという。現在は串のみならずトゲや矢、釘などさまざまものに対して用いる。なお「刺す」は「くすげる」と「くすぐ」の2通りがある[4]。
- くちめんずり
- 口先ばかりで生意気を言う(辰野)[125]、うわさ話で争いを起こす(駒ヶ根・赤穂)[122]、他人の悪口、陰口を言ったため恨まれる(中川)[126]
- …くに
- …のように。例.あのくに いのいちゃー 体に どくだに
- くねっぽい
- 年よりませてみえる。例.この ぼこわ ばかに くねっぽいなえ
- くべる
- 燃やす
- くます
- くずす
- くむ
- (1)崩れる、(2)交換する
- くりょ
- くれ
- くるいっこ、くりっこ
- 戯のとっくみあい
- ぐるら、ぐるわ
- 周り、周囲
- くろ
- 田のへり、耕作地の縁ぞい
- くわずみ、くわぐみ
- 桑の実
- けーど
- けれども
- けーむし
- 毛虫
- げーもねー
- 無益な、つまらない
- けしくりからん
- 不都合だ、よろしくない。例.そりゃー けしくりからん ことだぞやい
- けっからかす
- 蹴飛ばす
- けぶ、けむ、けも
- 煙
- げほーもねー
- 過度にたくさん
- けもねー
- 造作もない
- けやす
- 消す。例.火を けやす
- げんと
- てきめん。例.この薬は げんとに きいて たまけ°た
- …っこ
- …するはずがない。例.いきっこ
- ごーか°わく
- 腹が立つ。例.こんねに ごーか°わいた こたー ねーよ
- こーぜ、こーぜー
- 文句、理屈、言いがかり
- こき°
- 枯れ枝
- こく
- (1)言う、(2)打つ・叩く・殴る。例.頭を こかれて こぶか° できた(3)脱穀する
- こく°り
- かたまり
- こくれる
- 遅れる。例.種まきか° しゅんに こくれちまった
- こけ
- (1)ばか、やぼ。例.ゆーだけ こけだで やめとけよ。(2)魚の鱗
- こける
- 転ぶ
- こさえる、こせーる
- 作る
- こしょー、なんばん
- 唐辛子
- こすい
- ずるい
- こずむ
- 沈殿する
- ごとーむし
- カミキリムシの幼虫
- ごへーもち(五平餅、御幣餅)
- 竹串、板串へ挿しまたは練りつけて焼き、味噌を塗ってさらにあぶった飯団子
- ごまくら、ごまこ°ま
- しきりと人を欺く手管を使うこと
- ごまくらかす
- ごまかす
- ごむせー
- 汚い。例.そんな ごむせー しこーを して きちゃー みっともねーぞ
- ころましー
- 見事な。例.なんちゅー ころましー 柿ずらなえ
- こわい
- 硬い
- こわる(1)
- 壊す
- こわる(2)、こわす
- くずす。例.一万円札をこわる
- こんだ
- 今度
- …さ
- …さん
- さいなら
- さようなら
- (桑が)さく
- (桑の)芽が伸びて葉が伸びる
- さけをころしてのむ
- 酒をちびりちびり飲んで酔った風をしない
- さざむし
- トビケラ類の幼虫
- ささらほーさら
- さんざんな状態、 徹底的にダメなさま。救いようのないさまの例えである「ササラ先穂」を語源とする説がある[4]。
- さす
- (警察などに)密告する
- さっきに、いつに
- とっくに
- さっきゃく
- さしあたり、とりあえず
- さびお
- 絆創膏
- さぶい
- 寒い
- …さら、…せら、…まし
- …ごと
- さらける(1)、さらけおちる、さらけくずれる
- 烈しく転落する、転げ落ちる
- さらける(2)
- (1)かきちらす、(2)露出する。北部では「捨てる」の意味でも用いる。
- さわす
- (1)水に浸して柔らかにする、(2)渋を抜く
- しあさって、しなあさって、しのあさって
- 明々後日。東京中心部を除く東日本では明々後日のことを「やのあさって」、明々々後日のことを「しあさって」と言い、西日本や東京中心部では明々後日のことを「しあさって」、明々々後日のことを「やのあさって」と言う[127]が、上伊那では西日本系のしあさって類を用いる。ただし北端部の辰野町小野では東日本系の「やのあさって」と混用されている[4]。また、南部では「しがさって」とも。
- しきね
- 敷布団
- しくる
- しくじる
- しける
- 雨天になる
- しこる
- じっとしている
- しじつ
- 手術
- (風呂に)しずむ
- (風呂に)浸かる
- …しな
- …ながら
- しにゃー、せにゃー
- しなければ。北部では「しねーけりゃー」とも。
- しみ
- 寒気
- しみる
- 寒気が激しい
- しもけ°る
- 凍傷を起こす、霜焼けになる。例.手か° しもけ°た もんで かいくて こまる
- じゃける
- ふざける
- …じゃん、…じゃんか
- (1)…じゃないか、…だったでしょう(自分の推定に他人の承認を求めている、控えめな主張、やわらかい断定)(2)…うよ(勧誘)。例.一緒に カツ丼を食べる じゃん
- しょいこ、しょいた
- ワラ製の背負い具。「しょいこ」は北部で「ワラ製の背負い袋」の意味も。
- しょーか°ねー
- 物が腐ってもろいこと
- しょーわる
- 臆病。例.しょーわるで 1人じゃー どけーも 行けねー
- しょずむ
- つかむ。例.どじょーを しょずむ
- じょぼじょぼ
- ずぶ濡れ
- しょぼろったい
- 気障りだ
- じょろじょろ
- 艶めかしいさま。例.女か° じょろじょろ あいってた
- しわい
- けちくさい
- しん
- しない。北部では「しねえ」、南部では「せん」とも。
- しんしゅーのつれしょんべん(信州の連れ小便)
- 人がすれば俺もする
- しんぜる
- 神仏に供える
- しんとー
- 物の中心
- …ず
- (1)…だろう(推量)、(2)…ない(否定)、(3)…しよう (意思)
- すい
- 酸っぱい
- ずいた
- 性質(悪意)、性格、品性
- すかんたらしー
- いやらしい
- ずく
- 熱心さ、ことをする気力、やる気。例.ずくのある人だ(やる気があり、従って根気もあり、精出し、骨惜しみをしない)。「怠け者」は「ずくなし」、「怠ける」は「ずくを病む(ずくーやむ)」もしくは「ずくを抜かす(ずくーぬかす)」と言う。また派生語に「まともな仕事をやり遂げる気力」「大きな仕事はするが小さな仕事を嫌う」「仕事が遅い」などを意味する「おーずく」、「細々とした仕事に精を出す」ことを意味する「こずく」がある。前者は形容動詞、後者は名詞[3][4]。意味合いの独特さ、信州らしさなどの理由から長野県ではポピュラーな方言である。伊那谷ではずくの有無は人を評価する上での指標ともなっており、「ずくがある」か「ずくなし」かによって将来までも予告されてしまうほどであったという[113]。語源にはさまざまな説があるが、そのいくつかを以下に示す。
- 「ずつ(術=手段・方法=能力)」の転訛とする説(小宮山説)[4]
- 山梨県や下伊那で「足」「足の甲」を意味する「ずか」を語源とする説(青木千代吉説)[4][3]
- 中信地方などで、「すねたり、意地を張ったりする」「ニワトリが卵を抱いて温める」ことを意味する「ずくねる」[128]と繋がっているとする説(福沢武一説)[4][129][130]
- 「苦労する」「疲れる」を意味する古語「いたづく」の上略とする説(岩波泰明『諏訪の方言』)[129][130]
- 「直立するもの」の名であった「つく」を語源とする説(柳田國男説)[3]
- 「骨」を意味するという説(柳田國男説)[129][130]
- すねくる
- 駄々をこねる、すねる
- すべくる
- つるりと滑る。例.道か° 凍ってる もんで よく すべくって あぶねー
- …ずら、…だら、…ら
- …だろう、…でしょうの意。このうち「…だら」は、1949年の『上下両伊那方言の境界線』や1980年の『上伊那方言集(改訂版)』では、太田切川以南(=駒ヶ根市赤穂以南)でのみ使われるとされていたが、その後北上を続け、1999年の調査では北端部、塩尻市との境まで分布が確認された[6]。
- ずるい
- 遅い。例.仕事の ずるい 人だ
- すれる
- 仲が悪くなる
- せーどない
- 騒がしい、うるさい
- せこをかう、せこーかう
- 入れ知恵する。北部では「けしかける」の意味でも用いる。
- せせじらみがくいついたよー
- 特別執拗に交渉または請求される場合
- せせる、せせくる
- 集まってくっつく
- せんねんよ
- 棟上げ祝いに餅を投げること。北部では餅の名称も同様に呼ぶ場合がある。
- そーいだ
- そういうわけだ。例.おめー そーいだでなー りょーけん してくりょよー
- そーえ
- そうですね
- ぞぜーる
- (1)甘える、(2)ふざける、(3)わがままを言う。南部では「どぜーる」とも。
- そそくる
- つくろう
- そっぺか°ねー、そっぺもねー、そっぺなしだ
- 愛想がない
- そのまんま
- そのまま
- ぞもぞも、ぞむぞむ
- 寒気を感じる
- ぞろっぺー
- だらしがない、投げやり
- たーくらたー
- 間抜け
- だいじょー
- 大丈夫
- たける、たきる
- 獸類が発情して騒ぎ立てる
- だだくさもねー
- 必要以上に大量にあるさま。例.お菓子を だだくさもねー 買っちまった
- たたっからかす
- めちゃくちゃ叩く
- たたった
- 建った
- (戸や障子を)たつ
- (戸や障子を)閉める
- (虹が)たつ、ふく
- (虹が)出るの意。この表現は箕輪、伊那、旧高遠町三義、駒ヶ根市中沢、飯島などに散らばって分布する[4]。
- たっこねー
- 物言いが幼稚だ
- だっちもねー、らっちもねー
- つまらない、くだらない。例.だっちもねー ことー ゆーと わらわれるぞ
- たっぽれる
- (1)目的なくさまよう、(2)ボケる
- …だに
- …だよ
- たねる
- 束にする
- だまかす(1)
- なだめる
- だまかす(2)、だまくらかす
- 欺く
- ためる
- 狙う
- たるくさい、とろ(っ)くさい、とろい
- まだるい
- たわけ、たーけ
- ばか者
- たわけた、たーけた
- 愚かな
- たんだ
- ただ
- たんと
- たくさん
- たんま
- タイム
- ちき°
- 秤(はかり)
- ちびる
- 大小便を少し漏らす
- ちゃっと
- すぐに
- …ちゅー
- …という
- ちゅーど
- 当時
- ちょーちんや(提灯屋)
- 一旦筆を染めた字に、も一度手を加える(えどる)こと
- ちょろっこい
- 要領が悪い
- ちんじゅー
- 縮れ毛
- ちんぼ
- 男性器
- つく
- 浸水する
- つくなる
- 力尽きてしゃがみこむ、立つに堪えないでうずくまる
- つくねる
- (1)積む・重ねる、(2)整理しないで物品を積んでおく
- つっからかす
- 突きまくる
- つぶ
- タニシ。南部では「つぼ」とも。
- つまい
- 窮屈だ。衣類等が窮屈な場合に使われる。「つまる」の形容詞化によって「つまい」が生まれたという。「つもい」を用いる地域もあり[4]。
- つめる
- しめる、とじる、はさむ。例.戸で 手を つめる
- つよ
- 露
- てか°えし
- こねどり
- で
- かさ、量。例.この かつぶしわ でか° あるなえ
- …(だ)で、…(だ)もんで
- …(だ)から
- てしこ
- (1)手段、(2)しまつ、(3)力量
- てしょ
- 小皿
- てっぺんずけ
- 最初に
- でんきんばしら
- 電柱
- てんずけ
- 最初から、いきなり
- でんでんまっこ
- ぐるぐると自分で回ること
- でんぷに
- 多量に、贅沢に
- どいれー、どえれー
- ひどい、非常な
- どーいで
- どうして
- とーし
- 篩(ふるい)
- とーととと
- 鶏を呼び寄せる声
- とーり
- 土間。南部では「にわ」とも言い、下伊那と接する地域では「にわ」の方が多い。
- とか°める
- 治療すべきところを化膿させ、悪化させる
- とき°る
- 尖る
- とこ
- たたみ
- とこば
- 床屋。例.はやくとこばへ行ってこい
- とっつく
- 到達する
- とと
- (1)鶏、(2)魚。例.白いマンマにととせーて食うとうまいなえ
- どどめき、どんどぶき
- 小さい滝
- とびっくら
- かけっこ
- とぶ
- 走る
- どべ
- 最下位
- とよ
- 雨どい
- とりあべる
- (1)いろいろと組み合わせる、(2)手持ちのものでなにかと間に合わせる
- とろい
- 弱い
- どやす
- (1)腕ずくで強打する、(2)大声で叱りとばす
- どろぼーぐさ
- ヌスビトハギ。北端部では「ばか」とも。
- どんど、どんどん、どんどっこ
- 水の落ち口、堰、滝壺
- どんどやき
- 道祖神の火祭り
- なかっせ
- 長男と末子との中間の子供
- なききる
- 泣きに泣いて声も立たなくなる
- なぜる、なぜくる
- 撫でる
- なめくる
- 舐める
- ならかす
- ならす
- なるい
- (1)勾配が弱い、(2)寒さが穏やかだ、(3)感覚的に温和である
- …なんしょ
- …なさい。例.おやすみなんしょ
- …なんだ
- …なかった。例.行かなんだ
- …なんでも、…んでも、…でも、…ども
- …なくても
- …に
- (1)…よ、(2)…のに、(3)…から
- にくたらかす
- グツグツと長く煮る、形の崩れるほど煮る
- にすい
- 未熟である
- にどいも
- 馬鈴薯
- にねんまいり
- 大晦日から深夜0時の年明けにかけて神社にお参りに行くこと
- にばんせ
- 次男
- にる
- 炊く
- …にゃ、…にゃー、…な
- …なければ
- ぬくとい
- 暖かい
- ねこのしっぽ
- 未子
- ねっから
- ろくに、まるで
- のせ
- 傾斜
- のり
- 傾斜面
- はーるか
- 久しく、ながらく
- はーるかぶり
- 久しぶり
- はう
- 除草する
- はずむ
- 大小便を催し堪え切れなくなる
- ばっか
- ばかり。例.俺ばっか怒られる
- はっちらがる
- 先を争う
- はっちる
- (1)はねあがる、(2)張り切る
- はつる
- 剃り落とす
- はなる、はなーる
- 始まる
- はならかす
- 離す
- はねーる
- 始める
- ばばい
- 汚い。例.てーてか° ばばいで あらっといで
- はやいとこ
- 早く
- ばら
- 野茨
- ばらんけん
- いい加減
- はんじくなる
- 屈み腰になる。しゃがむ。南部では「ほんじょくなる」とも。
- びしょってー
- 汚らしい。例.いかにも びしょってー しこーを して 来た もんだ
- ひずこく、ひずーこく
- 苦労する。上伊那全域で使われているが、隣郡には拾われておらず上伊那独自の方言であるという。福沢武一は、岐阜県や愛知県の方言で元気・勢力を意味する「ひず」との繋がりを指摘している[4]。
- ぴすけっと
- ビスケット
- ひだす
- 穀物を箕に入れ、ちりくずを出す
- びちゃ(ー)る、ぶちゃ(ー)る、ぱいする、ほーる(1)、ほかす(1)
- 捨てるの意。北部では「さらける」、「ふてる」とも。「びちゃ(ー)る」「ぶちゃ(ー)る」は「打ちやる」がつづまったとする説、「うて(捨て)」に「やる」が結合し変化したという説がある。「ぱいする」の「ぱい」は「投げ捨てる」の擬態語[4]。
- ひとじゃく
- 一人前
- ひとなる、しとなる
- 成長する。例.この 犬わ めた 食べる せーか どんどん ひとなるよ。「人」と「成る」が語源であるという[4]。
- ひどろっこい
- 眩しい
- ひび
- 蚕のサナギ
- ひまぜー
- むだ手間
- ひやかす
- 浸す
- ひやめしこぞー
- 次男以下の子供
- ひる
- 用をたす、大小便を排泄するの意。北部では「まる」とも。
- ふっせ
- 種子を蒔かずに生えた野菜
- ふんと
- 本当、確実
- へー
- (1)もう。南部では「はい」とも。(2)蠅
- へつる
- こっそり抜き取る
- へぼい
- 程度が低い
- へら
- 舌
- へりこじえる
- 過度の空腹で変調子になる、腹が減りすぎてかえって食欲を失ってしまう・もう何もする気力もなくなっている
- ほーったね
- 頬
- ほーる(2)、ほかす(2)
- 投げる。「ほーる」は「はふる(葬る)」が語源である。「ほかす」は「放下(投げ捨てること)す」のつづまったもの[4]。
- ほきだす
- 吐き出す
- ぼける
- 保存してある果実が柔らかくしまりがなくなる。例.このリンゴはぼけとっておいしくない
- ぽこぺん
- かくれんぼの一種
- ほっそく
- 山奥
- ほとーる
- 熱を持つ
- ぼぼ
- (1)ひとみ、(2)ネギの花、(3)人形、赤ん坊
- ぼや、ぼさ
- 柴、枯れた小枝。南部では「もや」とも。
- ほんなら
- それなら。例.ほんなら俺はやめとくよ
- ほんに
- 本当に
- まーず
- (1)とにかく、(2)先ず。例.まーず驚いた
- …まいか
- …しませんか(勧誘)。例.行かまいか
- まえで、まいで、めーで
- 前方。例.めーでの 人の かけ°で めーなんだ
- ましょくにあわん
- 働き損だ
- まぜくる
- 混ぜ合わす
- まっと
- もっと
- まつめる
- (1)かわいがる・子どもをなつける、(2)集める・まとめる
- ままやく
- 吃る
- まめ
- (1)大豆、(2)健康・丈夫。例.あねさんは ふんとにまめで たまげたよ
- まるかる
- 丸まる
- …まるけ
- …だらけ
- まんが
- (1)稲こき機、(2)代かき用の馬鍬。南部では「万能鍬」の意味も。
- まんま
- …まま。例.いじらなんで その まんま 置いた
- みー
- 見ろ
- みえる
- いらっしゃる
- みじく
- (1)意気地がない、(2)未熟
- みして
- 見せて
- みしょ
- 見せろ
- みやく
- 磨く
- みやましー
- (1)甲斐甲斐しい、勤勉な、よく働くこと。例.あの 人わ 何をやっても みやましー 人だ。(2)体裁が良い。上伊那地域では「磨く→みやく」といった音韻変化があるが、それと同様な変化として「みがましー→みやましー」となった可能性を福沢武一は指摘する(「みがましー」は上伊那の「みやましー」と同様の意味で愛知県や静岡県で用いられる)。また一方で福沢は、「(他の甲斐甲斐しさを目にし)み(=おのれ自身)をせめる」から「みやむ」という動詞が成り立ち、「みやましー」が成立した説も唱えている[4]。
- みんなして
- 皆で
- むく
- (1)まるで…ない、(2)雛をかえす
- むしっぽい
- (1)蒸し暑い、(2)気むずかしい、(3)吐き気がする、(4)虫がいるのか子供がむずかりがちである
- むせっぽい、むせったい
- むせそうである
- むらう
- 貰う
- めこじき
- ものもらい
- めそめそどき
- たそがれ
- めた、めためた
- やたらに、ひっきりなしに。例.今日わ めた 人か° 来て 忙しかった
- めめぞ
- みみず
- もーる
- 漏れる
- もちーいく
- 取りに行く
- もみついて
- すずなりに
- ももっか
- 化け物
- もんも
- お化け
- やいやい
- おいおい、おやおや。例.やいやい大変なことになった
- やえる
- 重複する。「八重」を動詞化したもの[4]。
- やくざ
- 何も仕事のできない人、またしない人
- やしむ
- 叱る。例.しょーか° つくよーに うんと やしまれるか° いーわ
- やたかましー、やたかしー
- 騒々しい
- やっこい
- 柔らかい。北部では「やこい」、南部では「やーこい」とも。
- やっぱ、やっぱし
- やっぱり
- やんか
- (1)ふざけること。例.あいつも やんか こぞーだで よわる。(2)こごと
- ゆいつける
- 結びつける、縛りつける
- ゆー
- 言う。ゆわ-(未然形)、ゆい-(第1連用形)、ゆっ-(第2連用形)、ゆうぇー(目的形)、ゆやー・ゆうゃー・ゆうぃゃー(仮定形)、ゆうぇ(命令形)[5]
- よ
- 戸主権。例.むすこに よをゆずる
- よーせー
- 弱い
- …よか
- …より、…よりかも。例.それよか こっちの 方か° いーぜ
- よけー
- 余分。例.よけーにとっておいた
- よじめる
- 縮める、開いたものを狭くする
- よせる
- (洗濯物を)取り込む
- よたっこ
- 乱暴者
- よど
- よだれ
- よばる
- 呼ぶ、招待する
- よべーぼし
- 流れ星。「夜這い星」の転訛[4]。
- よりあう
- 協力する
- らくになる
- 死ぬ
- れろ
- 弁
- わかされ
- 道の分岐点
- わきゃーねー
- 容易だ。例.そんな こと く°れー わきゃーねーぜ
- わく°む、わこ°む
- 歪む、曲がる
- わし
- 私
- …ん
- (1)…の、(2)…ない(否定)、(3)…ないか(勧誘)
- …んならん
- …なければならない
北部系方言と南部系方言
福沢武一によると、上伊那の方言は北部系・南部系がはっきり識別される[4]。以下に北部系方言と南部系方言の分布を示す。
なお北部系には、北部地域にまとまって分布する語彙のほか、諏訪、松本方面に色濃く上伊那以南に少ないものも含み、また南部系には南部地域にまとまって分布する語彙のほか、下伊那方面に色濃く上伊那以北に少ないものも含む。
表の使用地域は畑美義『上伊那方言集』による10区画から代表地点を一地点ずつ選び、その地域での使用の有無を示したものである。表にはないが、南箕輪村及び駒ヶ根市中沢の方言語彙については以下の書籍に詳しい。
- 南箕輪村:南箕輪村誌編纂委員会(1984年)『南箕輪村誌 上巻』
- 駒ヶ根市中沢:北原貞蔵(2004年)『暮らしとことば』
北部系
- 語の分布は主に以上の文献に従った。また、各地域の方言集[125][106][39][132][120][122][133][126]も参照している。
- ◎…その地域の特徴語
- ○…その地域での語の使用が認められる
- △…一部の文献で使用を認めるが認めない文献もあり。もしくは複数の文献で使用を認めるが使用頻度が低いと思われる
- ×…その語は用いられない
南部系
- 語の分布は主に以上の文献に従った。また、各地域の方言集[125][106][39][132][120][122][133][126][134]も参照している。
- ◎…その地域の特徴語
- ○…その地域での語の使用が認められる
- △…一部の文献で使用を認めるが認めない文献もあり。もしくは複数の文献で使用を認めるが使用頻度が低いと思われる
- ×…その語は用いられない
じゃんけんの方言
共通語の「じゃんけん」には「ちっち」が全域で用いられるが、散点的なものなどに以下のものがある[5][4]。なお、2010年代の調査では方言形は縮小し、「じゃんけん」が多くなってきている[9]。
- しっこ
- しっこっぺ
- しっし
- しょっけ
- しょっこ(箕輪町特有の方言であり、2010年代の調査でも比較的色濃い分布をみせる[131][9][4])
- しっぺ
- しょー
- せっせ
- ちっこはい
- ちっこっぺ、ちっこんぺ
- ちょいちょい(男児向き)
- ちょーあい、ちょーいす
- ちょこ
- ちょっぺ
「じゃん・けん・ぽい」の掛け声には以下のものが用いられる[4]。
- ちっち類
- 3拍子
- ちっ・ちし・てん
- ちっ・ちっ・せ
- ちっ・ちっ・ち
- ちっ・ちっ・ほい
- ちっ・ちっ・ぽい
- ちっ・ちで・ほい
- ちっ・ちの・ひょいと
- ちっ・ちの・ほい
- 5拍子
- ちっ・ちっ・ち・の・せ
- ちっ・ちっ・ち・の・ち
- ちっ・ちっ・ち・の・ほい
- ちっ・ちっ・ち・の・ぽい
- 3拍子
- しっし類
- 2拍子
- しっ・しっ
- 3拍子
- しっ・しっ・しっ
- 2拍子
- しょっこ類
- 2拍子
- ちっ・こ
- ちょっ・ぺ
- 3拍子
- しっこ・ぺいの・ぺい
- しょっ・こ・えい
- しょっこ・ぺんの・ぺん
- ち・こっ・ぺ
- ちっ・こ・ほい
- 6拍子
- しっ・こっ・えい・しっ・こっ・ぺ
- 2拍子
- ちょーあい類
- 3拍子
- ちょー・あい・こ
- ちょー・あい・つ
- ちょー・い・せ
- 3拍子
- ちょいちょい類
- 3拍子
- ちょい・ちょい・せ
- ちょい・ちょい・ちょい
- 4拍子
- ちょい・ちょい・ちょい・よ
- 5拍子
- ちょい・ちょい・ちょい・の・せ
- ちょい・ちょい・ちょい・の・ちょい
- ちょい・ちょい・ちょい・の・ほい
- 3拍子
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会話例
要約
視点
友人Aが友人Bを飲みに行こうと誘う場面
出典:[135]
- 共通語訳
- A:○○、ちょっと、飲みに行かない?
- B:仕事から帰ってきたばかりだから、あとでいい?
- A:それなら、ちょっと休んだら、メールくれない? 駅前の○○で待ってるから。
- B:そう。それじゃ、あとでね。
- A:車、ダメだよ。
- B:わかっているよ。大丈夫。
- 伊那市西町(47歳女性、2016年収録)
- A:○○、ちょっと、のみに いかん?
- B:いま、しごとから かえってきたばかりだもんで、あとで いい(かや)?
- A:ほいじゃー、ちょっと やすんだら、メール くれん? えきまえの ○○で まってるで。
- B:(ほーかい)、ほんじゃー(あとでなえ)。
- A:くるま、だめだに。
- B:わかってるよ、だいじょーだ。
- 駒ヶ根市東町(57歳男性、2015年収録)
- A:○○、ちょっと、のみに いかんけ?
- B:いま、しごとから かえってきたばかりだで、あとで いいけ?
- A:ほいじゃー、ちょっと やすんだら、メール くれや? えきまえの ○○で まっとるで。
- B:ほーけ、ほんじゃ あとでな。
- A:くるま、だめだに。
- B:わかっとるで、だいじょーだ。
友人Aと友人Bの会話
A、Bは友人同士。ともに年配の男性。朝、AがBを起こすところから始まる(出典:[5][6])。
- 共通語訳
- A:おい、早く起きろ。もうじき夜が明けるぞ。
- B:ううん。なんだ。まだ暗いじゃないか。出掛けるまで2時間もあるじゃないか。
- A:何を言っているんだ。もう1時間しかないぞ。お前の時計は遅れているに違いない。
- B:なぜそんなに急ぐんだ。ゆうべはあのように遅くまで起きていただろう。
- A:早くしないと昼までには町につけないぞ。
- B:眠たくて起きられないんだ。もう少し寝かせておいてくれ。
- A:きのうは何も支度をしてないんだろう?まだかばんに詰めたりいろいろなことをしなければならないではないか?
- B:それもそうだ。
- A:7時のバスに乗らないと、大変なことになるぞ。早く起きないか。
- B:しょうがないなあ。じゃあ、起きることにするか。
- A:早くしろ。僕はいつでも出掛けられるぞ。
- B:きのうのうちに用意しておかなかったのは確かに間違いだった。
- A:文句を言ってないで早く起きろ。
- 辰野町小野(明治25年生まれ男性、1975年収録)
- A:やい。はやく おきろ。へー じき よか° あけるぞ。
- B:んーん。なんだ。まだ くれーじゃ(ー) ねーか。でかけるまでにゃー にじかんも あるじゃ(ー) ねーか。
- A:なにょー こいてるだ。へー いちじかんしか ねーぞ。てめ(ー)の とけ(ー)わ おくれてるに ちげーねー。
- B:なんで そんねに いそぐだ。ゆんべなー あのくに おそくまで おきてたずらー?
- A:はやく しね(ー)と ひるまでにゃー まちー つけねーぞ。
- B:ねぶったくて おきられねーだ。もーちっと ねかしといとくりょ。
- A:きのーなー なんにも よーいして ねーずら?まだ かばんえ つめたりなんか いろんな ことー しにゃー ならねーじゃ ねーか。
- B:それも そーだ。
- A:ひちじの ぱすえ のらね(ー)と えれー ことん なるぞ。はやく おきねーか。
- B:しょーねーなー。ほいじゃー おきることに しるか。
- A:はやく しろ。おらー いつでも でかけられるぞ。
- B:きのーなの いとに よーいして おかなんだなー たしかに まちげーだった。
- A:もんく いってなんで はやく おきろ。
- 伊那市長谷溝口(明治39年生まれ、40年生まれ男性、1975年収録)
- A:やい。はやく おきろ。へー じき よか° あけるぞ。
- B:んーん。なんだ。まんだ くれーじゃー ねーか。でかけるまでにゃー にじかんも あるじゃー ねーか。
- A:なにょー こいてるだ。へー いちじかんしゃー ねーぞ。おめーの とけーわ おくれてるに ちげーねー。
- B:なんで そんねに いそぐだ。ゆーびゃー[136] あんねに おそくまで おきてたずら?
- A:はやく しねーと ひるまでにゃー まちー つけねーぞ。
- B:ねむくて おきれねーだ。いまちっと ねかしといとくりょーやい。
- A:きのーわ[137] なんにも したくを して ねーら?まんだ かばんうぇ いれたりなに いろいろな ことー しねーけりゃー[138] ならんじゃー ねーか。
- B:それも そーだ。
- A:ひちじの ぱすうぇ のらねーと えれー こんに なるぞ。はやく おきねーか。
- B:しょーがねーなー。そいじゃー おきると しるか。
- A:はやく しろ。おりゃー いつでも でかけられるぞ。
- B:きのーの うちに よーいして おかなんだなー たしかに まちげーだった。
- A:もんく いってなんで はやく おきろ。
- 伊那市富県(明治39年生まれ男性、1975年収録)
- A:やい。はいく おきろ。へー じき よか° あけるぞ。
- B:んーん。なんだ。まんだ くれーじゃ ねーか。いくまじゃー にじかんも あるじゃー ねーか。
- A:なにょー ゆってるだ。へー いちじかんしゃー ねーぞ。おめーの とけーわ おくれてるに ちげーねー。
- B:なんだって そんねに いそぐだ。ゆーびゃー[136] あのくに おそくまで おきてつら?
- A:はいく しねーと おひるまでにゃー まちー つけねーぞ[139]。
- B:ねむくて おきれねーだ。いまちっと ねかしといて くりょー。
- A:きんのーわ なんにも したくして ねーら?まんだ かばんいぇ つめたりなんか いろいろな ことー しにゃー ならんじゃー ねーか。
- B:それも そーだなー。
- A:ひちじの ばすいぇ のらねーと えれー ことん なるぞ。はいく おきねーか。
- B:しょーがねーなー。そいじゃー おきると しるか。
- A:はいく しろ。おりゃー いつでも いけるぞ。
- B:きんのーの うちに したくして おかなんだなー たしかに まちげーだったよ。
- A:もんくを ゆってなんで はいく おきろ。
- 宮田村北割(明治41年生まれ男性)
- A:おい。はやく おきろ。へー じき よか° あけるんだぞ。
- B:おー、なんだ。まんだ くらいじゃ ねーか。でかけるまでにゃー にじかんも あるんだぞ。
- A:なにょ ゆっとるんだ。へー いちじかんきり ねーだ。おめーの とけーわ おくれて おるんじゃー ねーか。
- B:なんで そんねん あわてるんだ。ゆんべわ あんねん おそくまで おきとっつら?
- A:はやく しねーと ひるめしまでにゃー まちえ つけんぞ。
- B:ねむくて おきれんじゃー ねーか。もーちっと ねかせて おいて くりょよ。
- A:きにょーわ なんにも したくを して ねーんずら?まんだ かばんに えれたり いろいろ しにゃー ならんじゃー ねーか。
- B:それも そーだ。
- A:ひちじの ばすに のらねーと えれー ことに なるぞ。はやく おきんか。
- B:しょーが ねーなー。それじゃー おきると しるか。
- A:はえー こと しろよ。おりゃー いつでも いけるからなー。
- B:きにょーの うちに したくして おかなんだ こたー、たしかに まちげーだったなー。
- A:もんく ゆっとらなんで はやく おきろよ。
- 中川村葛島(明治37年生まれ男性、1975年収録)
- A:おい。とく おきょ。へー じき よか° あけるぞ。
- B:んーん。なんだ、なんだ。まんだ くれーじゃ ねーか。でかけるまで にじかんも あるじゃー ねーか。
- A:なにょ こいとるんだ[140]。へー いちじかんきりしか ねーぞ。おめーの とけーわ おくれとるに ちげーねー。
- B:なんで そんねに いそぐんだ。よーべわ あんねに おそくまで おきとったんずら?
- A:はやく せんと ひるまでにゃー まちにゃー つけんぞ。
- B:ねむくて おきれんのな。もー ちょっと ねかしといて くりょやれ。
- A:きにょーわ なんにも したくを しとらんずら?まんだ かばんいぇ つめたりなに いろいろな ことー せにゃー ならんじゃ ねーか。
- B:そりゃ そーだ。
- A:ひちじの ばす[141]い のらんと えれー こんに なるぞ。
- B:しょーねーなー。そいじゃー おきることに せるか。
- A:とー[142] しょー。おらー いつでも でかけれるぞ。
- B:きにょーの うちに よーいしとかなんだなー たしかに まちげーだった。
- A:もんく ゆっとらんで はやく おきょ。
祖母と孫の会話
七夕の前日。おばあさん(A)と小学校の孫(B)の会話。あとで嫁(C)が加わる(出典:[5])。
- 共通語訳
- B(孫):おばあちゃん、明日は七夕だよ。
- A(祖母):ああ、そうだったね。それじゃ、明日は芋の露を取ったりしなければならないが、おまえ、早く起きられるかね。
- B(孫):うん、起きられるよ。だけどどうして、わざわざ芋の露なんか使って来ただろう。水道の水だっていいじゃないの。
- A(祖母):いいや、七夕様へはな、昔から芋の露で字を書いてあげるということに決まっているんだよ。
- B(孫):ねえ、短冊買いに行って来てもいいでしょう。
- A(祖母):ああ、行っておいで。
- C(嫁):-次の間から-おばあちゃん、お茶が入ったから、飲みにいらっしゃい。
- A(祖母):ああ、そうかい。それでは飲みに行こう。
- 辰野町小野(1975年収録)
- B(孫):おばーちゃん、あしたー たなばたさまだじ。
- A(祖母):おー、そーだったいなー。ほいじゃー、あしたー いもの つよー とったり しにゃー ならねーか°、おめー はやく おきえるかなー。
- B(孫):んー、おきれるよ。だけーど なんだって やくやく いもの つゆなんか つかって きたずら。すいどーの みずだって いーじゃんかい。
- A(祖母):いんにゃ、たなばたさめーわなー、むかしっから いもの つよで じを けーて しんぜるっちゅー ことに きまってるだよ。
- B(孫):ねー、たんじゃく かえー いってきても いーずらい。
- A(祖母):おー、いって こらっし。
- C(嫁):おばーちゃん、おちゃか° へーったで のめー きましょや。
- A(祖母):おー、そーかい。ほいじゃー のめー いかずい。
- 伊那市長谷溝口(1975年収録)
- B(孫):おばーちゃん、あしたー たなばっさまだぞえ。
- A(祖母):おー、そーだったなー。そいじゃー、あしたー いもの つよー とったり しねーけりゃー ならねーか°、おめー はやく おきいぇるかえ。
- B(孫):んー、おきれるよ。だけーど なんだって わざわざ いもの つゆなんか つかって きたずら。すいどーの みずだって いーじゃんかい。
- A(祖母):いんにゃ、たなばっさめーわな、むかしっから いもの つよで じを けーて しんぜるっちゅー ことに きまってらーやれ。
- B(孫):なえ、たんじゃく かえー[143] いってきて いーらえ。
- A(祖母):おー、いって こいよ。
- C(嫁):おばーちゃん、おちゃー へーったで のめー おいでやれ。
- A(祖母):おー、そーかえ。そいじゃー のめー いかずい。
- 伊那市富県(1975年収録)
- B(孫):おばーちゃん、あしたー たなばただよ。
- A(祖母):おー、そーだったなー。ほいじゃー、あしたー いもの つよー とったり しにゃー ならんか°、おめー はいく おきえーるかえ。
- B(孫):んー、おきれるよ。そいだけーど なんだって わざわざ いもの つゆなんか[144] つかって きたんずら。すいどーの みずだって いーじゃん。
- A(祖母):いんにゃ、たなばたさめーわな、むかしっから いもの つよで じを けーて しんぜるっちゅー ことに きまってるだぜ。
- B(孫):ねー、たんざく かいー いってきても いーら。
- A(祖母):あー、いっといで。
- C(嫁):おばーちゃん、おちゃー へーったで のめー おいでやれ。
- A(祖母):あー、そーかえ。ほいじゃー のめー いかず。
- 中川村葛島(1975年収録)
- B(孫):おばーちゃん、あしたー たなばたさまだに。
- A(祖母):んー、そーだったなー。そいじゃー、あしたー いもの つよー とったり せにゃー ならんけーど、おめー はやく おきれるかや。
- B(孫):んー、おきれるに。だけーど なんだって わざわざ いもの つゆなに つかって きたんずら。すいどーの みずだって いーんじゃー ねーのかな。
- A(祖母):いんにゃ、たなばたさめーわな、むかしっから いもの つよで じを けーて あげるっちゅー こんに きまっとるんな。
- B(孫):なむ、たんざく かえー いってきても いーら。
- A(祖母):んー、いっといな。
- C(嫁):おばーま、おちゃー へーったで のめー おいなんしょ。
- A(祖母):あー、そーけー。そいじゃー のめー いかずか。
孫
北原貞蔵『暮らしとことば』「孫」より一部抜粋(出典:[123])。
- 共通語訳
- はあはあと息を弾ませながら、おばあさんは孫の後をついていく。そしてああつかれたつかれたといいながら孫の後を追った。
- 孫は下駄を履いていたが思うように走れないのかすっかり脱いでしまって裸足になってあちらこちらと走りまわった。
- おばあさんはこらこら下駄をはきなさいよ。裸足なんかで歩くと蟻さんが来て痛いことをしますよといいながら、脱ぎ捨てていった下駄をひろいながら叱った。
- しかし当のご本人様はそんなことには無頓着に足が軽くなったの叱れば叱るほど面白がってとびまわった。
- 今まで長い間雨降りが続いていたので、お家の中で遊んでばかりいたので、久しぶりの外のせいかよけいに喜んでいるようだ。
- おばあさんはもうすっかり諦めてしまってしょうのない子だねといって後についていった。
- いいわねおばあさんの言うことを聞きませんと今に転びますよといって注意した。
- 著者は駒ヶ根市中沢、2004年出版
- はーはーいいながら後をついて来た おばーさんわ あーごしてーと独り言をいいながら孫の後をついていく。
- 孫わかっこ[145]をへーておったが そのうちにぬいじゃって裸足になってちょこちょこと道路をはしりまわった。
- おばーさんわ こらかっこをはかんか はだしでとんだいくと[146]と めーめがきて ちっくん ちくんするぞといいながら ぬいじゃったかっこをひろいながらやしむ。
- やしんでも当の本人わあんよが軽くなったもんでちっとばか やしんでもよけいおもしろがってやしむ程えせて[147]とびまわる。
- いままで雨ばっかふっておったもんで おんもえでてあそべなんだもんでよけいはっちる[148]。
- おばーさんも もうあきらめちゃってしょーがねーがきだといいながらあとをついていく。
- そしていいわい いまにゆうことをきかんちゅうとこけるぞよといいながらやしんだ。
傾斜畑
北原貞蔵『暮らしとことば』「傾斜畑」より一部抜粋(出典:[123])。
- 共通語訳
- ここの場所の野菜畑は少しばかりは平のところがあるが半分程も行くと坂になりだんだんと勾配がきつくなってくる。
- それですので畝を作る場合には中程まではたいらでよいですがそれからが坂になっているので大変だ。
- お父さんはいつも肥え土が下へいってしまうからといっては いつも下の端から畝を作っていく。
- 僕にはなかなかじょうずにはできない。
- なにしろ下の方から後ろ向きになって坂を登るのですから倍も体を曲げなければ出来ませんので 少し作業しただけでもう腰が痛くなってくる。
- それだけならまだ良いが鍬がどうしても深く入ってしまう。
- さきほどから僕の姿をじっと見ていたお父さんがそんな格好では畝は作れないぞといった。
- 普通の畑よりかかがまなければ鍬をつかえない。
- 上の方から畝立てを始めればとても楽だと思うんだがそんなわけにもいかず傾斜畑は骨がおれて大変である。
- それに次の畝との間隔も大きくなったり小さくなったりしてきたりしてきたのでお父さんがお前の畝は太いところや狭いところがあって丁度蛇が蛙を呑んだようだと言われた。
- 本当にそういわれればそんなような畝になってしまった。
- 上に盛り上げた土で出来上がった畝が埋まったりして浅くなったりする。やむなくもう一度手直ししながらどうやら全面積の半分くらいは出来上がってきた。
- お母さんが下の方からお茶を持って登ってきた。
- お父さんが明日はお父さんはほかのとこへ仕事に行かなければならないから精出して仕事を頼むよといった。そうして今度はその畝が出来上がったら休憩しようといった。
- 僕は今度は休憩出来るかと思って馬力をかけて畝をつくった。
- やがてお母さんが休憩しませんかねといって下の石垣のところへ莚を敷いて呼んだ。
- 著者は駒ヶ根市中沢、2004年出版
- ここんとこのさえんばたわひらっばただもんで ちーっとばかしなるいこーべだが半分くれーいくちゅーとだんだん坂がきつくなってくる。
- そいだもんで いをかうときにゃとてもごしてー。
- とーちゃわ いっかな肥え土が下えいっちゃいかんといっちゃ下のくろからはねーる。
- そいだもんで俺もやるが中々うまくいかん。
- なんしろ べーも体を曲げにゃならんもんで 腰がじきに痛くなる。
- そいだけならまんだいいが鍬がどうしても深くへーっちゃう。こんねん骨ばっかしおるんじゃかなわん。
- さいぜんから俺のしこーを見ておったとーちゃが そんな しこーじゃいをかえんぞといった。
- なんしろ てーらの畑よりかこのがらにゃ 鍬をつかえん。
- 上のくろから畝立てをはねーりゃうんとらくだに ひらっぱたわこっぺーだもんで えれー。
- 次の畝と次の畝とのえーさがでかくなったりせべくばったりしたもんでとーちゃが おめーの畝わふてーとこや せめーとこがありゃがって へんびがげーろを呑んだよーだと言った。
- ふんと(ー)にそーいわれりゃ ほんに へんびが げーろを呑んだよーな畝になっちゃった。
- 上え盛り上げた土で畝がいかっちゃったりしちゃってあせーとこなんかできたりする。そいだもんで そこんとこをもう一度しゃくりあげたりしてどーにか畑の半分くれーわできた。
- 下のほーからかーちゃがお茶をさげーてやってきた。
- 明日からおりゃ ほかんとこえ仕事にいかにゃ ならんもんで わりゃせーって やってくりょといいながら こんだーそのうねができたらいっぷくしめーかといった。
- 俺わこんだー休めるかと馬力をかけて鍬を動かした。
- やがてかーちゃがいっぷくしめーかといって下のくろの石げーきのはたんとこえ莚をひいてよばった。
製材屋
北原貞蔵『暮らしとことば』「製材屋」より一部抜粋(出典:[123])。
- 共通語訳
- 今日は前々からお願いをしておきました移動製材屋さんがお仕事に来てくださると言うので、お父さんは朝早くから軒下に積んであった莚やねこを納屋の方に運んだりして忙しいようだ。
- 近日中に大工さんが来られて調理場やトイレの改修をして下さるようにお願いしてありますので今日はその製材やさんが来られて挽いてくださるそうです。
- そんなことでお父さんは、あちらこちらと片付けていた。今度は電柱柱よりも大きな丸太を鳶で動かしながら囲炉裏ばたから炭を持ってきてこれは柱だとかこれは板にと記号をはじめた。
- やはりぶっつけ本番よりもしるしをしておいて製材やさんに見ていただいた方がよくはないかとお母さんと打ち合わせをしながら、この間大工さんに書いていただいた見積もりの表を見ながら記号をしていった。
- 一本一本ですので大変のようだ。
- (中略)
- お父さんがお前たちそんなことをしていないで早く食べなさいと言って叱った。
- お母さんが弟のご飯をこぼしたのを見まして、まあこんなにご飯をこぼしてみんな拾って食べなさいよ、みんな拾って食べないとお目目が潰れますよと言って食べさせた。
- 朝ご飯が済んでしばらくしたらおじさん達が五人もお早うございますといってお家の中へ入ってきた。
- 製材やの方たちだ。
- お母さんは挨拶をかわしながらお茶を差し上げた。
- 著者は駒ヶ根市中沢、2004年出版
- 今日移動製材屋さがくるちゅーもんで あさっぱら[149]からとーちゃわ軒下えしめーこんでおいた莚やねこを納屋の方え運びはねーた。
- ちけーうちにでーくさがきて流し場とうえちょーずばをそそくって貰う ちゅーもんではーるか積んでおいたでっけー丸太を製材屋さが来て挽いてくれるっちゅーこんだ。
- そいだもんで けさは片付けが終わったら こんだー でんきん柱よりかでっけー丸太を鳶であらしてわけーずみでこいつぁはしらだとかこいつわ板だとかしるしをしはねーた。
- やっぱりてんずけよりか めーからけーておいたほうがいいずらとかーちゃとはなしながら こねーだでーくさにけーてむらった紙を見ちゃ印を付けちゃおる。
- なかなかひとんずつだもんであだじゃねーなえ。
- (中略)
- とーちゃがこら喧嘩なんかしなんでわりゃたちゃ はよーまんまを食べんかと言って叱った。
- かーちゃが弟がまんまをこぼしたもんでまーこんねんまんまをこぼしてひろって食べないって拾わせた。粗末にするとめーめが潰れるよと言った。
- 朝飯がすんだころおいさま[150]達が五人もお早うございますといってへーってきた。
- 製材やのおいさまたちだ。そいだもんでうちんなかがどいれーにぎやかになった。
- かーちゃがありがとうございますといって挨拶してお茶を出した。
山の説明
出典:[8]。
- 共通語訳
- A:あの山は、何と言う山ですか。
- B:あの山はねえ、仙丈ケ岳ですよ。あの山は、この部屋からの眺めが一番いいですよ。
- A:本当だね。来年は仙丈ケ岳に登りたいなあ、案内してくれないかなあ。
- B:ああ いいですよ。けれどもなかなか 疲れるよ。だが若いから 大丈夫だよ。
- お茶が入ったので、ここに座って眺めたらどうです。
- A:ありがとうございます。いい急須だね、どこで購入したのですか。
- B:なに、私が造ったのですよ。取っ手と注ぎ口はだいぶ苦労したよ。
- A:そうですか。このお茶はおいしいね。
- 主に伊那市周辺の方言を用いた会話例、2003年出版
- A:あの山わなんちゅー山ね。
- B:あの山わなえ、仙丈ケ岳ね。あの山わ この部屋から 眺めが 一番いいんだに。
- A:本当だなえ。来年は仙丈ケ岳に 登りてーなえ、案内してくれんずらか。
- B:ああ いいぜ。だけんどなえ なかなか ごしてーぜ。だがわけーから あんじゃーねーよ。
- お茶がへーったで ここに座って 眺めたら どうだえ。
- A:ありがとーござんす。いいきびしょだなえ、どこで 仕入れたのえ。
- B:なんに わしがこせーたのえ。取っ手と 注ぎ口わだいぶひずーこいたにー。
- A:そーかね。このお茶わ うめー じゃんかね。
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音韻
要約
視点
母音の特徴
参考文献:[5]
- 馬瀬良雄は、「母音性優位方言」であると述べており、母音の無声化は非常に少なく、母音はしっかりと声帯を震わせて発音される。これは特に南部へ行くほど顕著である。中川村片桐方言を例にとれば、「ゆったりとしている」等の印象を持たれることが多いが、これは母音無声化が非常に少ないことに起因するものが大きいという[3]。ただし第2拍が広い母音の場合に無声化する場合がある。
- 「ウ」は極度の平唇であり、東京方言より非円唇、平唇の程度はかなり著しい。しかし唇には若干の緊張があり、東京方言よりも後ろよりの発音である。
- 東京方言では「ズ」「ツ」「ス」の具体音声に中舌化が認められるが、上伊那方言では中舌化は認められない。
- 「エ」、「オ」の具体音声は東京方言のそれより若干広い。
- 共通語の「エ」にあたるところには、狭い母音に続く場合[we](ただし語頭は[e])があらわれる。(例.上[ɯwe]、油煙[jɯwen])
- 共通語の「オ」にあたるところに、場合によって「ウォ」があらわれる。
- 東部以外では、広い母音に続く場合[o](ただし助詞「を」はいかなる場合でも[wo])、狭い母音に続く場合[wo](ただし語頭は[o])と発音される(例.尾根[one]、強い[tsɯwoi]、竿[sao])。東部では、語頭以外は基本的にすべて[wo]があらわれる(竿、顔などもそれぞれ[sawo] [kawo]となる)。
- 共通語の「…エオ」にあたるところに「…ウィョ」、「…エワ」にあたるところに「…ウィャ」があらわれることがある
- 助詞「へ」は「イェ」と発音する地域が多く、「ウェ」や「ウィェ」と発音される場合もある。
- 中・南部では共通語にはない「ĩ」という音素があり、ガ行5段活用動詞のイ音便にあたるところにあらわれる。(例.嗅いだ[kaĩda]。インフォーマントによれば、この[ĩ]は強いて書けば「キ」に濁点ではなく点一つを打ったような文字で書き表されるという。)
- 連母音[ai]、[ae]は徹底的に融合され[ee]となる(例.ない→ねー、はい→へー)。また[ie]も融合し[ee]となる場合が多い(例.ひえ→へー)。[oi],[oe]→[ee](例.すごい→すげー、どこへ→どけー)、[au],[ou]→[oo](例.ちがう→ちごー、ひろう→ひろー)といった融合は北部では比較的盛んであるが、南部では融合せずそれぞれ[oi],[oe],[au],[ou]で対応するのが普通である。[ui]は「かゆい」などの例外を除いて一般に融合しない。
- 共通語で「リ」で終わる副詞が規則的に「ラ」で対応する。例.はっきり[haQkira]
子音の特徴
参考文献:[5]
- 南部では、[h]の具体音声は後続母音が[o],[a],[e]である場合無声声門音、[u]である場合無声両唇摩擦音、[i],[j]である場合無声硬口摩擦音で発音される。なお、無声両唇摩擦音の摩擦的噪音はかなり強く、無声硬口摩擦音の具体音声は共通語に比べ摩擦的噪音がかなり弱い。
- 破裂音[g]と鼻濁音[ŋ]とが区別される。
- 規則的ではないが、[ŋ]音が脱落する場合がある。例.わがまま[waamama]
- 北部では、共通語の[k]にあたるところに、語頭以外で時として半有声化がみられる。
- 「キ」の子音が摩擦音[ɣ]に発音される傾向が顕著であり、このことにより母音の無声化がより一層現れにくくなっている。また[ɣ]は時として脱落する場合がある。例.出来た[deita][43]
- 「ク」「コ」の子音が脱落する場合がある[43]。
- 南部では、「ス」「ソ」「サ」「セ」の[s]にあたるところは、舌端が上歯の裏から歯茎前部に近づいて発せられるような摩擦音が聞かれる。また共通語の[s]のような狭い息の通路は形成されず、音調面は横に広い。そのため音色は共通語との隔たりが大きいという。人によっては舌のへりを多少そり気味に上の歯茎に近づけて無声摩擦音を出す。
- [c]を構成する拍では、共通語にない「ツォ」「ツァ」を持つ。
- 特に南部では、[c],[z]の音声は共通語と比べ摩擦が弱く、[r],[d],[t],[z],[c],[s]が後続する場合とりわけ顕著である。
- 南部では、[r]にあたるところは、ふるえ音の[r]が対応する場合が多い。ふるえの回数は、通常の速度の発話で2〜3回程度。
- 「チ」「ツ」の前の「シ」音が「ヒ」音となる傾向がある。例.七[hici]
- 「ソ」音が「ホ」音となる傾向がある。例.それでは[hoizjaa]
- [a]に挟まれた[w]が脱落する傾向がある。例.瓦[kaara]
- 規則的ではないが、共通語の[m]に[b]が対応する場合がある。例.寒い[sabui]
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アクセント
要約
視点
上伊那方言のアクセントは有アクセントの中輪東京式アクセントに属し、体系的には共通語とほとんど同じであるが、中には異なる点も認められる[5]。
名詞
一拍名詞
一拍名詞では、類による対立は共通語と同じであるが、以下の語に若干の違いがみられる。
なお、「帆」は元々共通語及び上伊那南部で平板型、北部で頭高型という対立を為していた[10]が、近年は共通語で頭高型が優勢となってきており[152]、若年層では全域で頭高型となる[5]。
二拍名詞
二拍名詞も類による対立は共通語と変わらない。なお、第2類の語(石・歌など)は北信地方や下伊那南部で「いし(が)」「うた(が)」のように平板型で発音される傾向が強いが、上伊那方言では「いし(が)」「うた(が)」のような尾高型が多く、平板型の語は県内では非常に少ない。上伊那で平板型をとる語はほぼ全域で「人」、一部地域で「北・寺・梨」のみであり、このうち「北・人」は共通語でも平板型、「梨」は平板型と尾高型[5][10]。 二拍名詞に属する語で、共通語とアクセントが異なると言われる場合のある語には上記の第2類の語も含め以下の表に示すようなものがある。このように羅列すると非常に多いようにも見えるが、大半の語は共通語と同じである。
なお、近年共通語で元々尾高型であった「熊」「匙」の頭高型が広まっている[152]が、上伊那でも一部地域で同様の変化が見られる[10]。また「汽車」「鹿」「父」は元々共通語で尾高型、上伊那で「きしゃ」「しか」「ちち」という対立を為していた[114][5]が、近年は共通語でも上伊那方言と同様のアクセントが優勢となっている[152]。
三拍名詞
三拍名詞では、「アワビ・黄金(こがね)・小麦・サザエ・力・二十歳(はたち)・岬」など第3類に属する語は共通語では「あわび」のような頭高型と「こがね」のような平板型が拮抗しているが、上伊那方言では「あわび」のような中高型が若干優勢であるものの、頭高型、尾高型、平板型も見られ、一定の傾向を示さない[5]。
また、「朝日・油・命・姿・涙・柱・火ばし・眼」など第5類に属する語は共通語では「あさひ」のような頭高型が多いが、上伊那方言では「あさひ」のように中高型とする傾向が強い[5]。
類に属さない三拍名詞でも、共通語で頭高型のものに上伊那方言で中高型が対応するパターンが多く見られ、例として「青葉・落ち葉・きのこ・去年・トマト・花火・火鉢・めがね・若葉・わさび・わかめ」などがそれにあたる。上記の語のうち「去年・トマト・花火・めがね」などは「きょねん」のように平板型をとる地域もあるが、いずれにせよ共通語アクセントの頭高型は極めて少ない[5]。
なお、第6・7類に属する語は、長野県方言では交通不便な山間部で頭高型の語が東京と比べて多く見られるが、上伊那方言では平板型が多く、共通語に近い。第7類に属する語では頭高型の語も少なからず見られるが、その多くは東京でも頭高型である。「烏・ミミズ・苺・後ろ・便り・椿」など、上伊那内でも頭高型と平板型が混在する語もみられる[5](共通語では「烏・便り・椿」が頭高型、「苺・ミミズ・後ろ」が平板型[152])。
三拍名詞で共通語とアクセントの異なる語は該当数が多いため、個別アクセントは取り上げない。
四拍名詞
四拍名詞は、東京では尾高型の語は3拍目にアクセント核を置く中高型に移行している(例.としより→としより)が、上伊那方言ではこの現象が認められず、依然として尾高型が多い[5]。
疑問詞
上伊那では頭高型をとるものが多く、下伊那と接する中川村や飯島町南部では頭高型をとるものが非常に多い。ただし駒ヶ根市赤穂を中心とした小地域では、平板型が非常に多い[10]。
動詞
二拍動詞
二拍動詞では、「着く」「吹く」「伏す」「付く」などは共通語では「つく」のように尾高型のアクセントを持つが、上伊那方言ではいずれも「つく」のように頭高型のみになる。これは母音の無声化が起こらず、アクセントの山が移動しないためである。また、「切る」「食う」「降る」「来る」が付属語「て」「た」をともなう場合、共通語では「きって」のように尾高型を持つが、上伊那方言では「きって」のように頭高型のみである。そのほか、「織る」は共通語では「おる」だが、上伊那方言では「おる」、「行く」は共通語では「いく」であるが伊那市高遠町三義で「いく」[5]。
三拍動詞
三拍動詞では、第1拍、第2拍がCa’e-またはCa’i-の構造を持つ「帰る」「返す」「入る」「参る」などの語は共通語では「かえる」のように頭高型だが、上伊那方言では「かえる」のように中高型に発音される場合が多い[5][151]。そのほか、個別的な共通語との差異としては、以下が見られる。
四拍動詞
四拍動詞では、「集める」「数える」「調べる」など第2類Bに属する語を松本地方では「あつめる」のように中1高型に発音するが、上伊那にはその傾向はない。類に属さない語では北部で「(物などに)つかまる」が中1高型「つかまる」であり、松本平と同様のアクセントである[5]。
複合動詞
複合動詞は、起伏型+平板型、起伏型+起伏型ともに共通語では平板型となるが、上伊那方言では前節部の山が消えず、以下のようなアクセントとなる[5]。
自立語に付属語が続くときのアクセント
自立語に付属語が続く場合、上伊那方言では共通語よりも複合の度合いがさらに弱く、原則として自立語のアクセントの型を変えることはない。それは北部ほど顕著である。しかし特に南部では、共通語でアクセントの型を変えない付き方をするものが、型の対立を失わせる付き方をするパターンも見られる。共通語とアクセントの異なるもののうち、文献によって確認できるものを以下に示す[5][152]。
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イントネーション
- 体系的な面では、『上伊那郡誌 民俗編 下』の調査では北部のインフィーマントは下伊那地域の飯田方言について「話すスピードがゆっくりである」「ことばの抑揚が優しい」と言った印象を持っていたが、太田切川を超え駒ヶ根市赤穂へ行くと飯田の言葉に近くなるという意識を持っていた[5]。
- わからせたい気持ちを込める終助詞「…よ」は、首都圏方言ではやさしく教える場合や聞き手の反応を待つ場合などで上昇調、わからせたい気持ちを強く訴えかける場合下降調、断定的・一方的にわからせたい気持ちを込める場合無音調が多く選ばれる[157]が、上伊那地域で共通語の「…よ」に相当する方言終助詞の「…ニ」は常に上昇調に発音され、抑揚を非常に高く置く点が特徴的である[117][4]。
方言の現状
2015年から2016年にかけて、上下伊那地域に居住歴のある短大生(上伊那6人、下伊那1人)を対象に行われた調査によると、家族や友人との会話では方言がよく使われており、また方言が好きで残したいと全員が回答した。語彙・語法別に見ると、推量の「ら」や否定の「ん」、理由・原因の「で」、愛嬌ある主張「に」、「ずく」「まえで」「いただきました」などが盛んに用いられている一方で、推量の「ずら」、「おやげない」「もごっちない」「みやましー」などは若年層では使われていなかった。また就職後の職場では使用を控えるという回答が多く、方言と共通語を場に応じて使い分けようという意識が広く持たれていた[135]。
このうち「ずく」は、共通語に言い換えられない独特の意味合いを持ち、また信州の風土・信州人の生き方と合っているなどの理由から全県的に非常に人気の高い方言であり、好きな長野県方言に関する調査では毎回上位にランクインしている[158][113]が、2015年に駒ヶ根市の中学生約250人を対象とした調査では、「ずく」を使用すると回答した割合は3割程度にとどまり、意味はわかるが使用しない、もしくは意味を知らないと回答した割合が合計で約7割に達するという前述の調査と相反する調査結果が得られた[159]。これに対して大橋敦夫はショッキングであると評している[158]。しかし共通語と形式の異なるものでは「つまい」の使用率が低く、「ずく」の使用率がやや低かったものの、過去否定「なんだ」や愛嬌ある主張「に」、「…まるけ」「うつかる」などは意味がわかり、かつ使用すると回答した割合がそれぞれ6割前後となった。また共通語と形式が似ているものや、形式が同一であるが意味用法が異なるものなどは使用率の著しく低い語は見られず、方言であると認識されていないものほど使用率が高くなる傾向が認められた[159]。
出典
参考文献
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