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上村和生
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上村 和生(うえむら かずき、 1994年1月13日 - )は、 日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。徳島県徳島市出身。徳島県立美馬商業高等学校、東洋大学経済学部卒業。大塚製薬所属。身長170cm、体重52kg。
大学時代に行われた全日本大学駅伝では初優勝のゴールテープを切った。
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来歴・人物
- 川内中学校3年次に都道府県駅伝に出場した。
- 高校3年次に出場した全国高等校駅伝競走大会では、1区(10km)で30分16秒(区間11位)と快走し、解説の金哲彦氏に上りの走りと粘り強さを高く評価された。
- 高校卒業後には東洋大学に進学。大学1年次は大学3大駅伝には出場しなかったが、第89回東京箱根間往復大学駅伝競走では、同級生の服部勇馬に給水係としてボトルを渡した。
- 2013年、大学2年次の夏合宿は箱根駅伝の登録メンバーとして臨んだが、10月に開催された出雲全日本大学選抜駅伝競走と、11月に開催された全日本大学駅伝対校選手権大会は出場しなかった。
- 2014年1月に開催された第90回東京箱根間往復大学駅伝競走では復路9区を任され、後ろから駒澤大学の大エース窪田忍が追い上げるも、1時間09分24秒の区間4位でトップを守り、アンカー大津顕杜に襷を繋げた。チームは総合優勝(復路新記録)を果たし、上村にとって最高のデビュー戦となった。
- 同年、大学3年次も箱根駅伝の登録メンバーとして夏合宿に臨んだが、前年度に続き出雲、全日本の出場はならなかった。
- 2015年1月に開催された第91回東京箱根間往復大学駅伝競走では、往路3区を任された。トップで襷を貰い、前半は駒澤大学の中谷圭佑と先頭集団で並走したが、後半から一気にペースが落ちて先頭集団から脱落し、更に明治大学の有村優樹と青山学院大学の渡邉利典にも抜かれ、1時間03分34秒の区間6位に終わった。チームも総合3位で連覇を逃した。
- 大学4年次は、副将として主将・勇馬と共にチームを引っ張った。
- 2015年11月に開催された全日本大学駅伝では、自身初出場でアンカー8区を任された。同区間では、優勝候補筆頭の青山学院大学が3代目山の神と言われている神野大地を起用しており、同大の原晋監督は、「トップと30秒以内なら逆転優勝ができる」と宣言していた。上村はトップで堀龍彦から襷を受け、2位青山学院大学と27秒差でスタートした。逆転される可能性が高いと予想されたなか、上村はむしろ神野との差を徐々に広げ、そのままトップでフィニッシュテープを切り、東洋大学初の優勝に貢献した。(59分04秒・区間4位)
- 2016年1月に開催された第92回東京箱根間往復大学駅伝競走では、当日変更で1区を任されたが、青山学院大学の久保田和真のスパートに付いていくことが出来ず、先頭と53秒差の1時間02分15秒で区間7位で2区・勇馬に襷を渡した。チームも総合2位で、王座奪還はならなかった。
- 同年同月に開催された全国都道府県対抗駅伝競走大会では、地元・徳島県のアンカー7区を任され、34位で襷を貰うと順位を4つ上げる走りを見せ、38分54秒の区間19位でフィニッシュテープをきり、箱根駅伝で優勝した青山学院大学の主力選手(青学四天王)の一人である小椋裕介を12秒上回ったが、チームは2時間24分33秒と31位で終わり、上位でのゴールはならなかった。
- 大学卒業後は、大塚製薬に入社。2024年2月に開催された香川丸亀国際ハーフマラソンの出場をもって、現役を引退した。
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戦績・記録
駅伝戦績
- 大学駅伝
- 実業団駅伝戦績
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自己ベスト
関連項目
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