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恩賜上野動物園

東京都台東区にある動物園 ウィキペディアから

恩賜上野動物園map
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東京都恩賜上野動物園(とうきょうとおんしうえのどうぶつえん)は、東京都台東区上野公園の上野恩賜公園内にある東京都立の動物園。通称「上野動物園」(「恩賜」の語が略される)。

概要 恩賜上野動物園 Ueno zoo, 施設情報 ...
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概要

開園は1882年3月20日で、日本の動物園では最も古い。開園時には農商務省、その後宮内省東京市[2]東京都建設局が所管、現在は指定管理者制度により公益財団法人東京動物園協会が管理する。

上野恩賜公園内にあり、上野駅(公園口)から徒歩5分の場所に正門(2022年までの旧称:表門)のゲートがある。総面積は14ヘクタール[3]。敷地は西園と東園に分かれており、両園間は「いそっぷ橋」を介して行き来できる。

スマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物をはじめ、500種あまりの動物を飼育している。

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ホッキョクグマ

日本一の入園者数を記録する動物園である。旭川市旭山動物園が月間入園者数で上回る月もあるものの、年間入園者でみると当園が日本1位である。ただし、2006年度では上野動物園が350万人であったのに対し、旭山動物園は304万人(前年比98万人増)、また、2008年度は後述のパンダの死亡の影響等もあり、約290万人にまで急減。旭山動物園が約277万人となり、差が急激に縮まっている[4]

1990年代以降は、多摩動物公園で行われたような、飼育環境をできるだけ自然な状態に近づける取り組みが行われている。スマトラトラのコーナーでは密林の雰囲気が演出されている。また同コーナーにはトラが泳げる水槽がある。

多摩動物公園、井の頭自然文化園等の都立動物園とともに「ズーストック計画」(動物保管計画)を実施。

1950年代に、コウテイペンギンなどの飼育が行われた。以来1970年代頃まで、南極ペンギンを飼育する数少ない動物園の1つであった。

1936年、園内からクロヒョウが逃げ出し、警視庁の特別警備隊が出動する騒ぎとなった(上野動物園黒ヒョウ脱走事件)。この事件は阿部定事件二・二六事件とあわせて「昭和11年の三大事件」[5] と呼ばれている。このヒョウは排水溝に隠れていたところを捕獲されたが、後の戦時中における園飼育動物の殺害決定にはこの事件が影響したといわれている[6]

世界三大一覧ジャイアントパンダコビトカバが飼育されている。ジャイアントパンダに関しては、2026年2月20日が返還の期限となっている[7]

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施設・動物一覧

東園
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ニシローランドゴリラ
西園
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真真(シンシン、2022年4月)
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蕾蕾と暁暁(レイレイとシャオシャオ、2022年6月)
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アミメキリン
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形態展示 - ケープペンギン
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歴史

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昭和3年(1928年)のオットセイ池
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1938年(昭和13年)以前のゾウ
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上野動物園正門(1952年)
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都営上野懸垂線
  • 2020年
    • 2月29日 - 6月22日 - 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止のため、その他の都立動物園・水族園とともに臨時休園[28]
    • 9月8日、西園に「パンダのもり」がオープン。ジャイアントパンダとその生息地でみられる動物の飼育施設である[29]
    • 12月10日 - 新型コロナウイルス感染症の影響のため、ジャイアントパンダの返還期限が「シャンシャン」は2021年5月末、「リーリー」と「シンシン」は2026年2月末まで延長となった[30]
    • 12月26日 - 新型コロナウイルス感染症の影響ため臨時休園[31]
  • 2021年
    • 3月26日 - 新型コロナウイルス感染症の影響のため、ジャイアントパンダ「シャンシャン」の返還期限が同年12月末まで延長となった[32]
    • 6月4日 - 動物園などへの休業要請緩和を受け、5か月ぶりに運営再開。当面の間は、ピーク時の10分の1にあたる1日2,000人の入園制限となる[33]
    • 6月23日 - パンダ・リーリーの妻シンシンが第3子(午前1時3分)、第4子(午前2時32分)を出産(オスとメス。どちらが先に生まれたかは不明)[34]
    • 10月8日 - 前述のパンダの名前が「シャオシャオ(暁暁)」(オス)と「レイレイ(蕾蕾)」(メス)に決まる。
    • 12月7日 - ジャイアントパンダ「シャンシャン」の返還期限が2022年6月末まで延長となった[35]
  • 2022年
  • 2023年
    • 2月21日 - ジャイアントパンダ「シャンシャン」、中国へ帰国。
    • 7月8日 - オカピのトトが16歳で死亡。上野動物園で飼育しているオカピはトトを最後に全員逝去した。
    • 12月27日 - 上野動物園モノレール廃止。
  • 2024年
    • 9月29日 - ジャイアントパンダ「リーリー」「シンシン」、中国へ帰国。
  • 2025年
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歴代園長

その他の歴代園長:福田三郎(戦時中の園長代理)

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事故・殉職

上野動物園では、明治・大正期にかけて飼育職員の負傷事故はしばしば発生していたが、殉職に至る例はなかった。当時は設備が不十分でありながらも、荒い性格のゾウを飼育していたにもかかわらず、死亡事故がなかったことは特筆される。

最初の殉職事故は1931年昭和6年)9月15日、オスのゾウ「ジョン」によるものである。象使いとして雇われていたインド人のバイサップ・ジャーマが退園した後、ジョンは荒れるようになり、その馴致を引き受けた石川袋郎(当時30歳)が牙で押し付けられて死亡した。石川は正規職員ではなかったが、死亡後に常備者の手続きが取られ、給与金が支給された。

その後、1960年昭和35年)4月13日には、井の頭自然文化園でゾウの「花子」を担当していた飼育係の斉藤正喜が事故により殉職した。また、1967年昭和42年)3月、ゾウの「インディラ」と「ジャンボ」が争った際にインディラが園内に脱出し、病気療養中であった飼育係の落合正吾(54歳)が収容に協力したが、その後胃がんで死去した。殉職に準じた扱いがなされ、内閣総理大臣から銀盃が贈られている。

さらに1974年昭和49年)8月22日には、飼育課東園飼育係の関根貞男(27歳)が、ゾウ舎での作業中にメスのゾウ「ジャンボ」によって死亡した。この将来を嘱望された青年の殉職は園内に大きな衝撃を与え、没後に勲八等瑞宝章が授与された。故郷の埼玉県比企郡菅谷村にある墓には、東京芸術大学教授・西大由による、ゾウにまたがる姿を表したブロンズレリーフが設置されている。

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関連人物

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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