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上野本郷

埼玉県上尾市および同県さいたま市西区の大字 ウィキペディアから

上野本郷
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上野本郷(うえのほんごう)は、埼玉県上尾市および同県さいたま市西区[8]大字郵便番号は上尾市が362-0056[3]、さいたま市西区が331-0000[7][注釈 1]

概要 上野本郷, 国 ...

上尾市の統計などでは平方地区で分類されている。

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地理

埼玉県の県央地域で、上尾市南西部の大宮台地[9]で上尾市の最南端に位置する。東側で大字平方領領家さいたま市西区大字中釘に、南側から西側にかけてさいたま市西区大字指扇領辻に、北側を大字上野に隣接する。地区の中央部には、大字平方領領家の小さな飛地が二カ所ある。地区の南部はさいたま市側に細長く突き出し、大字平方領領家の飛地や大字指扇領辻との境界が複雑に錯綜する。地区の南端のさいたま市との境界付近で普通河川の指扇辻川が流れる[10][11]

地区内は全域が市街化調整区域[12]農地が多く残り、屋敷森のある農家も数多く所在する、隣接する大字上野や大字平方領領家と同様、農地的土地利用の比重が高い地区である[13]。農地は主に地である。また、地区の東から南にかけての小河川の指扇辻川(滝沼川の支流)が開析する低地沿い(谷戸)はさいたま市との市境が通り、水田として利用されていた[9]が近年は営農環境の悪化により荒地化した一方で、台地上の水田(陸田化)が増加している[14]。地内に上野本郷前遺跡(県遺跡番号:14-306[12])などの集落跡があり、土器片が発掘されている。

さいたま市西区の上野本郷は、上尾市との境界付近に地番568-3が存在するのみである[15]

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歴史

要約
視点

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡指扇領に属する上野本郷村であった[9][16]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では130石(田73石余、畑56石余、山銭として永411貫文)[17]、『元禄郷帳』136および『天保郷帳』によると136石余であった。化政期の戸数は22軒で、村の規模は東西3、南北10町余であった。地名は台地面上にある本郷を意味するものと云われている[9][14]

1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米77.2石、大麦104.6石、小麦15.9石、大豆3.5石、栗20.3石、稗19石、蕎麦6.6石、菜種3.5石、茶3貫、甘藷720貫、里芋2400貫[注釈 2]であった[18]

1880年代は農地の割合が71.4 %(田19.5 %、畑51.9 %)で最も広く、山林の割合は15.6 %で、宅地が7.7 %で、原野は1.2 %であった[14][注釈 3]。1950年代でも桑畑が普通畑に置き換わり、宅地が若干増加したほかは大きな変化は見られない。

初めは幕府領1623年元和9年)より知行旗本山内氏[9]1689年元禄2年)より山内氏が土佐藩移封されたため上知され[14]再び幕府領となるが、1696年(元禄9年)より知行は旗本春日氏従五位下春日河内守貞顯)[19]となり、1701年(元禄14年)より知行は一族の春日氏となる[9]。なお検地1694年元禄7年)に実施[16]

存在していた小字

小字は以下のほかにも児の墓(ちごのはか)、明神前、明神下、明神裏が『武蔵國郡村誌』や『新編武蔵風土記稿』に記されているが[16]、現在の場所を特定できない。

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世帯数と人口

上尾市

2019年平成31年)1月1日時点(上尾市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]

さらに見る 大字, 世帯数 ...

さいたま市西区

2019年平成31年)4月1日時点(さいたま市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[6]

さらに見る 大字, 世帯数 ...

小・中学校の学区

上尾市

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[30]

さらに見る 大字, 区域 ...

さいたま市西区

学区は示されていない[31]

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[32]

さいたま市西区

事業所は存在しない[32]

上尾市

さらに見る 大字, 事業所数 ...

交通

地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は川越線指扇駅である。駅から遠く徒歩圏ではない。

道路

地区内に国道および主要地方道・一般県道は通っていない。

  • 秋葉通り - 地区の最南端をかすめる

バス

大宮駅西口や西大宮駅北口方面への路線バスが運行されている。

東武バスウエスト上尾営業所東武バスウエスト大宮営業事務所
地区内は「一本木」バス停留所が設置されている[33]
上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん[34]
  • 平方小敷谷循環
地区内は「一本木」バス停留所が設置されている。

町内会

施設

地内に街区公園や神社は存在しない。また、地内に指定緊急避難場所は存在しない[36]。上野本郷村の頃は神社は村社の稲荷社のほか、神明社、荒神社、熊野社が設立されていた[注釈 10][9][16]。旧平方村で村内にある神社の合祀が1908年(明治41年)5月に行われたためである[37][38]。合祀先は平方の氷川神社で、1909年(明治42年)9月25日に合祀祭が挙行され[37]橘神社に改称された[39]。また、地内に観音堂が建立され、1876年(明治9年)1月まで存在が確認されているが、その後1882年(明治15年)までに廃堂されている[40]。なお、以下はすべて上尾市に所在する。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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