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下大島町 (前橋市)
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下大島町(しもおおしままち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2152[2]。2013年現在の面積は1.24km2[4]。大島梨の生産で知られる。
地理
前橋市の南部、広瀬川流域に位置しており、JR両毛線と駒形バイパス、広瀬川が平行して走っている。
河川
隣接地区
歴史
江戸時代頃からある地名であり、前橋藩領だった。もとは上大島村・天川大島村と一村で「大島村」と称されたと考えられている。
年表
- 戦国時代 - 「大胡庄之内・・・大嶋村」の名が山内上杉氏所領として「上州之内 持分之事」(「彦部文書」)に見える[5]。
- 天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以後下大島は江戸時代を通じて前橋藩領だった[6]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、下大島村は駒形新田、天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、笂井村、上増田村、下増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 昭和32年(1957年)1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。
- 昭和42年(1967年)5月1日 - 城南村が前橋市へ編入される。そのため前橋市下大島町となる。
- 昭和54年(1979年)9月25日 - 町内のメッキ工場からシアン化合物を含む溶液約1000リットルが韮川へ流出。下流の利根川本流の水量が多かったため被害は無し[8]。
- 昭和55年(1980年) - 一部が山王町1-2丁目となる。
地名の由来
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世帯数と人口
2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。
交通
鉄道
鉄道駅はない。
バス
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道路
国道は通っていない。県道は群馬県道2号前橋館林線駒形バイパスが通っている。
施設
- 医療機関
- 上毛病院(精神科・神経科・心療内科・外科・内科・消化器科・小児科)
- 下大島医院(内科・呼吸器科)
- 村上皮フ科医院(皮膚科)
- 池医院
- 各種団体
- 群馬県学童保育連絡協議会
- 群馬県計量協会
- 群馬県トラック事業協同組合
- 寺院
出身者
- 関口安太郎 - 県会議員、衆議院議員。
脚注
参考文献
外部リンク
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