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世界陶芸祭
かつて滋賀県で行われた陶器の祭典・博覧会 ウィキペディアから
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世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91(せかいとうげいさいセラミックワールドしがらき’91)は、1991年(平成3年)4月20日から同年5月15日にかけて滋賀県甲賀郡信楽町(現甲賀市)で行われた博覧会である。テーマは「語り、創り、燃える 陶芸ルネサンスを目指して」。
概要
信楽焼の魅力を世界へ発信するため、1990年6月の「滋賀県立陶芸の森」完成を見据え、1989年に県と町が主体となって実行委員会が発足した[1]。
当時の滋賀県は「湖国21世紀ビジョン」プロジェクトの一環で「ひとの時代・活力創生の郷土づくり」を目指し、交流の舞台をつくる「新・国民休養県構想」を謳っており[2]、公園完成直後には「プレ世界陶芸祭」及び「パブリックセラミックス展 '90」を開催[3][4]。1991年4月6日から5月5日にかけては滋賀県立美術館で博覧会に合わせ「近代日本陶芸の巨匠」という企画展が開催され[5]、会期と同時に記念切手の発売や山本直純ら著名人の招待などを積極的に行った[6][7]。
これらの効果もあり、当初来場者数は約35万人を見込んでいたというが、最終的に60万人を超え、当時の博覧会ブームでも稀にみる盛況ぶりとなった[8]。年一回の恒例行事として継続的に行うとする計画もあった[9]。
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会場

当時のガイドブックには信楽町一帯が会場として使われたと記載されている[10]。
開場時間は9:30~18:00。陶芸をアピールするエキジビション、シンポジウム、イベントで構成されており、ヨーロッパ・アジア各国の陶芸展示・陶器市、障がい者の陶芸作品の出展、国際陶芸シンポジウム、陶と花のふれあい展、創作研修館フォーラムinしがらき、陶芸遊園地(陶芸広場)、ワークショップ、登り窯の設置、野焼きフェスティバルなど人々が陶芸に触れ合う展示もあった[4][8]。
交通

国道307号(当時新名神は未開業)および信楽高原鐵道信楽線が主なアクセス手段となった。
主催者側は人員の75%を道路、25%を鉄道によって賄う方針を立て[1][11]、1990年3月に県知事(実行委員会委員長)は信楽高原鐵道および信楽線と貴生川駅で接続する草津線を持つJR西日本へ協力を要請した。信楽線ではイベントに合わせて2.1億円かけて大規模路線改良を行い[1]、1991年3月16日には貴生川~紫香楽宮跡間に小野谷信号場を開設、日中でも1時間間隔運転を行うダイヤに改正し大量輸送に備えた[12]。
実際にはピーク時1日2万人が鉄道を利用[11]。期間中にはJRの協力でキハ58を用いた臨時快速列車が平日は京都駅発着の1往復、土日は京都駅・大阪駅発着の2往復運行され、また線内でも貴生川~信楽間ノンストップの快速列車を1日6往復運行した。JRからは特別きっぷ販売も行われた[12]。
事故による中止
→詳細は「信楽高原鐵道列車衝突事故」を参照
会期中の5月14日、信楽線内において小野谷信号場の信号機故障に端を発する列車衝突事故(信楽高原鐵道列車衝突事故)が発生し、当イベントのために運行されていた臨時快速と普通列車に乗っていた計670名が死傷、信楽線は長期的運休に追い込まれた。これを受けて翌15日に会場は閉場され、翌年以降の開催も取りやめとなった[13]。
その後
陶芸の森は同年7月20日に営業を再開した。施設の多くは閉幕後も営業を続けており、時折展覧会やシンポジウムが開催されているほか[3]、2010年からは陶芸の森を中心に信楽まちなか芸術祭が開催されている。
脚注
関連項目
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