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中村航輔

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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中村 航輔(なかむら こうすけ、1995年2月27日 - )は、東京都北区出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。元日本代表

概要 中村 航輔, 名前 ...
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来歴

要約
視点

クラブ

柏レイソル

小学校1年生の時に地元・北区のコアラSCでサッカーを始めた[1]。当初は様々なポジションでプレーしていたが、2002年日韓共催ワールドカップドイツ代表オリバー・カーンの活躍を見てゴールキーパーに転向した[1][2]。小学校5年時から柏レイソルの下部組織に加入し、2013年に同期の秋野央樹小林祐介木村裕と共にトップチームへ昇格したが[3] 前年の第36回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会直前に右腕を骨折して以来負傷が続き[4][5][6]、出場機会は得られなかった。

アビスパ福岡

2015年J2アビスパ福岡期限付き移籍[7]。第10節ジュビロ磐田戦で移籍後初出場を果たす。しかし負傷が続いたが、第24節大宮アルディージャ戦からスターティングメンバーに定着した[8]。同年のリーグ戦では、2010年以降J2で1,000分以上出場したゴールキーパーの中でトップとなるシュートセーブ率87.3%を記録[9]J2リーグ月間MVPを受賞した9月以降は、出場した全12試合のうち9試合を無失点に抑えた。最終順位は得失点差で自動昇格圏に届かず3位に終わったが、J1昇格プレーオフでもビッグセーブを連発し[8][10]、クラブ5年ぶりのJ1復帰に大きく貢献した。

柏レイソル復帰

2016年、アビスパ福岡への期限付き移籍期間が満了し、J1・柏レイソルへ復帰した[11][12]。前年まで正GKを務めていた菅野孝憲京都サンガF.C.へ移籍したこともあり、開幕からスターティングメンバーに定着すると、シーズンを通じて安定したパフォーマンスを続け、同年のJリーグ優秀選手賞を受賞した[13]

2017年はリーグ戦全試合に出場し、5月には福岡在籍時以来2度目の月間MVPを受賞[14]。満23歳以下の選手を対象としたTAG Heuer YOUNG GUNS AWARD・ベストイレブン[15]、ならびにJリーグベストイレブンに初選出された[16]

2018年シーズンでは、5月20日の第15節名古屋戦で、後半アディショナルタイムに名古屋FWジョーと交錯して頭からピッチに転落、担架で搬送され、脳震盪と頚椎捻挫と診断され入院した[17]。ワールドカップ直前の試合だったため、本戦メンバー入りが危ぶまれたが、無事メンバー入りを果たした[18]。しかし、ワールドカップによる中断期間明けの7月18日に開催された第16節FC東京戦で、61分にFC東京MF東慶悟のグラウンダーのクロスに対し反応した際、ゴール前につめていたFC東京FW富樫敬真の膝が中村の頭部に激突、中村はそのまま意識を失い負傷退場、病院に緊急搬送され脳震盪と診断された[19]。その怪我の影響で3ヶ月半の離脱となったが、11月3日の川崎戦で復帰を果たした[20]

2019年シーズンは、福岡時代以来のJ2でのプレーとなったが41試合に出場。リーグ最少失点に抑え柏のJ1昇格に貢献した。また日本代表復帰も果たした[21]。シーズン終了後には、韓国代表のキム・スンギュの加入が発表された事により、海外クラブや川崎への移籍が噂されたが、新体制発表会で中村の名前が発表された[22]。チーム初戦となるプレシーズンマッチのちばぎんカップ ジェフユナイテッド市原・千葉戦で負傷し、右外側ハムストリング肉離れと診断された。その後のルヴァンカップ第1節のガンバ大阪戦やリーグ開幕戦の北海道コンサドーレ札幌戦は出場できなかったが、コロナ禍による中断明けの7月4日第2節からベンチ入り、7月18日第5節からスタメン復帰となった。しかし9月5日第14節清水エスパルス戦にて負傷し途中交代。シーズン二度目の離脱を余儀なくされ、その後の2020年の出場は無かった。

ポルティモネンセSC

2021シーズンより、プリメイラ・リーガポルティモネンセSCへ完全移籍[23]。初の海外挑戦となった同シーズンは、怪我の影響などもあって公式戦の出場はなかった。

その後も長らく正GKのサムエル・ポルトガルの控えに留まっていたが、そのサムエルが2023シーズンより、FCポルトへ移籍したことで正GKに昇格した。以降はレギュラーとして出場を続け、第15節首位SLベンフィカ戦で、PKストップ含む11本のセーブを記録。チームは0ー1で敗れたものの自身はMOMを選ばれるなどと活躍を続けた。

代表

中学時代から各世代の年代別日本代表に選出され、2011 FIFA U-17ワールドカップでベスト8進出を果たした「94ジャパン」の絶対的守護神として活躍した[24]2012年には飛び級でU-19日本代表の正GKを務め[25]AFC U-19選手権2012の代表メンバーに招集されたが、同年7月と10月に右腕の同じ箇所を骨折した影響で辞退した[5][26]。2年越しの参加となったAFC U-19選手権2014では全4試合に出場したが、準々決勝北朝鮮戦でPK戦の末敗退し、2015 FIFA U-20ワールドカップの出場権は獲得出来なかった[27]。2016年のリオデジャネイロ五輪では予選から櫛引政敏が正GKとして起用されていたが、本大会1次リーグ初戦ナイジェリア戦で5失点を喫し敗れたことで、第2戦コロンビア戦からスターティングメンバーに名を連ねた[28]。第3戦スウェーデン戦では完封勝利に貢献したものの、チームは1次リーグで敗退した[29]。同年10月、日本代表史上初めて実施されたゴールキーパーのみの代表候補合宿に参加[30][31]2017年5月、キリンチャレンジカップ2017ならびに2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選のメンバーとしてA代表に初招集された[32]

2017年12月9日、EAFF E-1サッカー選手権2017の北朝鮮戦でA代表初出場を果たした。デビュー戦ながら好セーブを連発し、チームの完封勝利に貢献した[33]

2018年6月、ロシアワールドカップメンバーに選出された。日本代表の正GKである川島永嗣のパフォーマンスが安定しなかった事もあり、中村をスタメンに推すメディアも多かったが[34][35]西野朗監督が経験が豊富でベテランの川島を信頼した事もあり[36]、W杯本番での出場は無かった。

2019年12月、EAFF E-1サッカー選手権2019メンバーに選出された[37][38]。2023年6月のエルサルバドル、ペルー戦にメンバー選出された。ペルー戦に先発フル出場し勝利に貢献。

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人物

  • 趣味は幼少期に祖父から教わった将棋[39]。オンライン対戦アプリ「将棋ウォーズ」で4,000局以上の対局経験を積んでいるほか、テレビの将棋番組や羽生善治の著書にも目を通している[40][41]2017年7月に開催された柏のファン感謝イベントではプロ棋士中村太地四枚落ちのハンデ戦を行い、得意の四間飛車を用いて勝利を収めた[41]
  • インタビューで「今の自分があるのは、福岡での1年があったから。本当に大切な時間だった」と語り、期限付き移籍で加入したアビスパ福岡での1年間がターニングポイントだったと語っている[42]
  • アスリートの筋トレ方法を積極的に学んでいる。また、独学の呼吸法も取り入れ、72kgの体重を1年で10キロ増やし、82kgにした[42]

所属クラブ

個人成績

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その他の公式戦

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その他の国際公式戦

出場歴

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タイトル

クラブ

柏レイソルU-12
柏レイソルU-15
柏レイソルU-18
柏レイソル

代表

U-19日本代表

個人

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代表歴

出場大会

試合数

さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場

さらに見る No., 開催日 ...
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脚注

関連項目

外部リンク

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