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今久留主淳
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今久留主 淳(いまくるす すなお、1918年11月5日 - 1986年2月15日[1])は、台湾台南州嘉義市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。
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経歴
台南州立嘉義農林学校では1933年夏、1935年春、1935年夏の甲子園大会に出場した[1]。卒業後は全鹿児島を経て、1949年に星野組へ入部。第20回都市対抗野球大会で優勝[1]。
1950年に星野組の仲間だった荒巻淳、西本幸雄、弟の今久留主功と共に毎日オリオンズへ入団。32歳という遅いプロ入りとなり、同年シーズン途中の8月にチームメイトの小田野柏と共に西鉄クリッパースの北川桂太郎との交換トレードで移籍[2]。1956年に引退。
引退後は西鉄で二軍コーチ(1957年 - 1959年)、一軍コーチ兼スコアラー(1960年 - 1965年)などを務めた[1]。
身長が165cmと小柄である為に長打力は無いものの俊足でヒッティングが巧く、また三振が非常に少ない選手で、1952年に記録した22三振が最多。西鉄が初優勝した1954年には、110試合(285打数)で僅か5三振しかしていない。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 2 (1950年)
- 16 (1950年)
- 1 (1951年 - 1956年)
- 40 (1957年 - 1959年)
- 65 (1960年 - 1962年)
- 71 (1963年 - 1965年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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